天正六年、有岡城に荒木村重を説得に向かった官兵衛が数ヶ月も戻って来ない状況のなか、生死も分からず家臣たちは心配の余り動揺していた。
重臣達は如何なる事が起ころうとも、黒田家を護らんと連署起請文を書いて絆を深めた。
これは家老母里太兵衛他十一名による官兵衛室櫛橋氏へ宛てた起請文である。
幽閉されていた官兵衛が無事に救出され、黒田家はそののち戦国史に残る活躍をなした。
天正六年、有岡城に荒木村重を説得に向かった官兵衛が数ヶ月も戻って来ない状況のなか、生死も分からず家臣たちは心配の余り動揺していた。
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