チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 76

2018年12月27日 19時33分05秒 | 日記
野村町でのSさんとの出会いは衝撃的だった
野村町は大昔から養蚕の地で種や(蚕の卵)を扱う企業もあり
明治時代はここから種生糸の出荷でかなりの富豪農家が生まれた模様
そのとき旅芸人の芝居小屋も作り市もできて大発展の街であったようだ

気候的にも養蚕に優れまた指導者も良かったようで良質の生糸ができ
エリザベス女王戴冠式用の白生地の輸出となった町だ
その伝統を守るために市が経営する博物館も誕生
豪商の人たちが用いた衣裳や裕福な養蚕農家の模型などが展示されていて
いかに日本の絹が優秀であったか忍ばれる

町ははや過疎化に向かっていて養蚕農家も全盛期の50分の一に減っていたので町は「織姫制度を」導入
養蚕と織りの技術を絶やさないように指導者を入れた
その方がS氏
沖縄で十分に染織技術を身に着け更にもっと良い糸を作りたいという情熱を持っていた

初めてその地を訪れた時いきなり私に中国の「古文書」を見せられた
傍線を引いてあった部分を読むと挿絵とともに繭の「塩蔵の図」と読めた
たった3行だ

その頃はというより今でもそうだが蚕が糸を吐き繭をつくる7日もするとその中で蛹になり蛾になり繭を破って出てしまう
そのため」高温の熱風を繭にかけて蛹を殺してしまう
その時大切なセリシンが分解されて固くなりそのセリシンを取り去る化学処理をして糸を取る
そうすると本来の糸の輝きしなやかさ強さが消失してしまう

その状況を変え蚕が吐いた糸の質をどうしたら保てるかをSさんは研究し「塩蔵」に行き着いたばかりだった
まだ蛹が生きている間にツボの中に塩を繭を交互に入れて蛹を冬眠させて眠っている間に命をいただく
最終的には命をいただくのだがゆっくりした乾燥して命をいただくのと塩蔵の糸とは雲泥の差があることを知った

いつものことながら早速一枚購入し仕立てた
軽い
布は重いほどいいと聞いていたのになんと片手に軽々乗る着たらまるで羽のよう

ある方の講演会で司会をした
その時「控えめに無地を着よう」と壇上に登りライトを浴びて司会を始めた
休憩時間に友人がすっ飛んできて「チャコ着物を着替えなさい」「なんで」「光りすぎるのよ、みんなの視線があなたに向いている、すぐ着替えなさい」

といってもーー打ち合せのときに着ていた母の結城紬に着替えて二部を始めた
つまり
本当の絹は艶があり光を発するということがその時わかった

その後S氏は桑の葉の選別、蚕の種類、飼育、糸のとり方、織り方すべてを「良い糸を作りたい」という強い思いで作業重ねている

いま
来年の大嘗祭関連の斎服をS氏にい願いした

#斎服 #塩蔵 #古文書 #チャコちゃん先生 #野村町 #エリザベス女王 #戴冠式 #養蚕農家 
 
コメント
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