チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 446

2021年08月14日 10時50分30秒 | 日記
兵児帯姿は西郷さんそして父その他のお父さんや青年
昔の男は角帯はあまりしなかった
角帯は礼装用とか商人、渡世人が使っていた
東映の仁侠映画がはやってから「角帯」が男着物の前面に登場してきたように思う
今では浴衣まで角帯だもの

今はもうないけど竺仙には浴衣に「燕帯」という帯があった
木綿で出来ていて両端には芯が入っていなくて、前は角帯後ろは兵児帯になるというアイデアもの。先代の発案であったらしい
つい最近現社長に「燕帯はないの?」と聞いたら、今はね説明しても理解できないのでね作っていないとおっしゃる「惜しいなあ」浴衣にはぴったりだし、着物初心者にはありがたい帯

そうだ兵児帯
あるとき舞台の衣裳担当を務めていて、さえない男がわが子おぶるのにどうしたらいいかと、演出家が頭を悩ましていた。
そのとき口出したチャ子ちゃん先生
「兵児帯で子供をおぶり、下駄はいたら感じ出ますよ」
さすが松竹衣裳兵児帯をすぐ取り寄せ、子供をどうおんぶするかのレクチャーが始まった

子供の背中に帯を当て、子供の手の両脇からオブる人の方に布を持ってくる。胸の前で布をばってんにして、後ろに回し子供のお尻をしっかり包んでもう一度布を前に持ってきて結ぶ。兵児帯一本が子供を大人の背に括り付けるのだ。この安定感はすごい
そしてちびた下駄をはいた男は、何の説明もなく悲しき男に一丁上がり!
演出家も役者も大喜び

おぶったことはないがそういう姿が当たり前の景色の時代があった。母と子は常に一心同体だ。
母と子ともに絹の兵児帯でつながっているので、いまさらながら気持ちよかったであろうことは察しが付く。

子供たちはその兵児帯を家から持ち出して、繋いで結んで輪を作り「電車ごっこ」をして遊んだ。どこかのお姉さんのハンドバックが車掌の切符切り、運転手の帽子はお兄ちゃんの学生帽。お客さんは色紙を切って、色によって行き先が決まる。子供たちは遊びの天才、「遊びにけりと生まれけり」だ

お父さんの兵児帯がいろんな役目をしていたのだ

お相撲さんもほとんど兵児帯、ぐるぐる巻いて挟み込むだけ。またやくざの親分も兵児帯愛好者が多い。総絞りの兵児帯は超高価で、それを巻いて歩いていると「おお」と引く人も多かったであろう。現代人のネクタイと同じ位置を占めていたのかもしれない
それにして総絞りの兵児帯は今のおかねで言えば100万円はくだらない高級品

古着屋さんでは兵児帯の意図が分からず何千円で取引されているようで、見つけたら購入するのも悪くない。それでおんぶして子供との体温交換を楽しむのも悪くない

一昨日聞いた話だが
大水に流された親子、確りおんぶをしていた母と子は助かったが、前に抱いたいた子供は流されたそうだ。母の知恵が子供を救った

戦後は兄の兵児帯は姉たちのブラウスになっていたが結構お洒落だった
コメント
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