チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

戦争体験 4

2021年08月19日 10時32分41秒 | 日記
天皇陛下の玉音放送が12時に行われるという回覧板が回ってきて、全員公民館に集まった。子供たちは炎天下の下石けりなどして騒いでいた。時間になると大人たちが口に手を当てて「静かにしなさい」という態度を見せたので、子供たちは日陰で休んだ

何を言ってるのか聞き取れない口調の放送が終わると、大人たちが笑ったり泣いたり天に手を上げて狂ったように踊ったり、その様子にあっけにとられている子供たちに、兄が「戦争が終わった」とつぶやいた。

私はある風景を思いだしていた
珍しく敵機を打ち取ったわが兵たちが、その燃える機体から落下傘で降りてきた米軍の兵士を捕虜としてとらえ、縄を巻き目隠しして歩いていた。そこへ子供たちが群がり「やーいやーい」とか汚い言葉を吐きかけ石を投げようとする子供もいた。捕虜に付き添っていた日本の兵士が、「何をするか、やめなさい」と子供たちを諫めてにっこり笑って去った。「アメリ兵」を見たのは初めて、まだ少年のように若かった

あの人たちもお母さんに会えるのだと思いほっとした

ひと騒ぎ終わると、家に戻って料理を作り、それを持ち寄って宴会が始まった。どこにあったのかお酒も出てきて、大人たちは解放された喜びの無礼講が続いていた

一夜明けると事態は一転し、連合軍が占領をして来て何もかも略奪が始まり、女は坊主になって男の格好をするようにというお達しが来た
その時父は
「昨日の放送は、日本は連合国に対して全面降伏をした、これから何日かの後本当の終戦の調印式がある。その時まで連合軍はまだ日本全土を占領しない、落ち着いて」
と村の人たちに話をして、今後の身の振り方を真剣に考えねばいけないと結んだ

他の家族の中には夫や息子が戦地に行き、無事に帰ってくるのかもわからない。今度は自分の身に危険がなくなったので、夫や息子たちの身の安否を真剣に気にするようになった。便りも全く届かないので、生きているのか死んでいるのか家族は気が休まることはない

父の仕事の再開、姉や兄の通学、私の病気治療もあり、一週間後にはまた父の実家へ戻った
コメント
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