チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

きもの教室

2013年12月16日 11時12分42秒 | 日記
戦後に出来たものが「きもの教室」
この時代になるまで
きものを着るのに月謝を払って着付けを習うと云うことがあったであろうか

これも戦後一気にきものを捨て洋服に走ってしまったが
冠婚葬祭ではやはりきもので出席というのが常識であったので
急遽着物の着付けを教える教室や学院が誕生した

其の校長のほとんどは
「戦争未亡人」であった
このうちの何人かを取材したことがあるが

きもの研究家の方々と違うのは
着付け教室を開いた女性達は生活が逼迫していた
そしてほとんどの方が中流階級の出身であった

ソレが良かった
なぜなら彼女たちは普段着のきものの着方を教えることが出来たから
そこには今はやりの「着肉」である補整など一切無かった

中に
さる公爵の姫君が理事に名を連ねていた学院があったが
この姫君はご自分できものを着ることはなく
手入れも女中任せ帯結びなど全くおできにならない
戦後の女性に教えることは出来ないが
優雅な作法は教えることが出来た

昭和30年代は日本の文化的な伝え方が混沌としていたのでは無いかと思う
みんなが一線上に平民になり民主主義のきものの着方は
誰かが統一しなければならなかった

そこにきものの着付け教室や学院が誕生した

しかしトップに戦前のどの階級の方がいたかで着付け方も微妙に違った
更に男がトップに立つとどういうわけか「着肉」が王道となっていく

もう一度女の着方に戻らなければきものを愛する人は広がらないと思う
コメント
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