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千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

ロザリンド・フランクリン生誕93周年

2013-07-25 22:12:02 | Nonsense


帰宅後、早速パソコンでGoogle検索をかけたらロザリンド・フランクリン生誕93周年を記念したログに変更されている。
私はGoogleのお茶目なロゴが大好きで、今年の母の日のロゴはとても楽しませていただいた。そして、今日のロゴもかなりお気に入りとなった。
「o」にはロザリンド・フランクリンの横顔、「l」には二重らせん構造のDNA、「e」にロザリンド・フランクリンが撮影したX線画像が描かれている。このX線画像はかなり重要だ。
さて、ロザリンド・フランクリンって誰?
たまたまつたない弊ブログをご訪問され、1920年に英国生まれて1958年にわずか30代で亡くなった女性科学者にご興味を感じたら下記の再掲載のブログをお読みいただけたらと。

2010年10月30日「ダークレディと呼ばれて」より再掲載

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「『ロージー』はノーベル賞がとれたのか」。
1998年8月15日の「自由なオランダ」紙が投げかけた命題である。1953年にDNAの二重らせん構造をフランシス・クリックとともに解明して、62年にノーベル賞を受賞したJ・D・ワトソンの『二重らせん』を読んで、ワトソン-クリックの後に続くのは、”第3の男”のウィルキンズではなく、X線解析で彼らにヒントを与えて貢献したロザリンド・フランクリンではないかと、私は考えた。但し、もし彼女がその時、生きていたならば。

本書の著者のブレンダ・マックスはそのような仮定は無意味だと結論している。確かに、彼女が男性だったら、という”もしも”と同じように無意味だ。しかし、この質問を、彼女が生きていたらノーベル賞委員会はウィルキンズではなくロザリンドに与えたはずだ」という主張に変えたとしたらどうなるであろう。ストックホルムのノーベル賞委員会には、各国から推薦を受けて受賞者を選ぶのだが、推薦人にはその国の受賞者が含まれて、彼らは師弟関係を優遇する。「二重らせん」で序文を書いたローレンス・ブラック卿は、英国の候補者の決定に強い影響力をもち、彼がウィルキンズを推薦していたのは想像できる。37歳という若さで亡くなり、世界で最も権威のある賞には縁がなかったが、80年代以降、ロザリンド・エルシー・フランクリンが優秀な科学者だったことが再評価されている。副題に「二重らせん発見とロザリンド・フランクリンの真実」がつけられた本書は、1920年7月25日、ユダヤ人の裕福な銀行家に生まれた彼女の家族の歴史からはじまり、生い立ちから熱心に研究生活に励み、最後の日まで取り乱すこともなく次の研究課題を考えておだやかに眠るように逝った彼女の生涯が綴られている。

読むのにあたり、私が心がけたことがふたつある。「二重らせん」が売れたのは、20世紀最高の生物学的発見者による本というだけでなく、真偽のほどはともかく、赤裸々な科学者の生態と、二重らせんの解明にある意味ルール違反ではないかと思われる過程があったことも人々の好奇心に作用したのではないだろうか。クリック以上に、この本の中で重要な役割を演じているのが、ダーク・レディと呼ばれた通称ロージー。ノーベル賞という権威の裏にある暴露的なことを期待したり、フェミニズムの視点で悲劇のヒロインの象徴を求めたら、科学とひとりの女性研究者の本質を見誤る、というのが私の考えだ。著者のブレンダ・マックスはサイエンス・ライターにふさわしく、ロザリンドの業績と人となりを曇りのない視点で客観的に書いていて、私は感動すら覚えた。

ワトソンが31歳のロザリンドに初めて会った時の印象として、顔立ちはよいのに、化粧もせずにイギリスの文学少女めいた衣服を着て、母親からつまらぬ男と結婚しないですむように、職業的技能を身につけさせるように強要した結果と評価している。後に教養も高い裕福な銀行家の娘と知るのだが、”ダークレディ”というニックネームとともに、ヒステリックで頑固、周囲との協調性に欠けるやぼったい女性というイメージが、本の売れ行きとともに、当の本人が亡くなったために反論の機会すらないまま、遺族が悲しむくらいにひろまってしまった。ここで、ワトソンの言葉にある”技能”と”強要”に、私にはひっかかるものがあるが、私も本書を読まなければ、そう感じたままで終わっていただろう。自らエピローグに言い訳めいて書いているが、科学者の世界では「女性は真剣な思考から救ってくれる気晴らしの存在」としてみる傾向があるということだ。栄冠をめざして競争社会で生きる彼ら男性群にとっては、ハーバード大学ですら女性に終身在職権を与えたのが1992年のことという社会的背景もあり、女性は気楽に遊べる女の子か、ワトソンの妹やクリックの妻のように恋人や妻にふさわしい美しい女神しかいなかったことも、あまりにも聡明で男以上に勤勉なロザリンドに対して愚かな対応だった原因はある。人は誰しも、その人のすべてを知ることは難しく、ワトソンの”ロージー像”もすべてが誤りだとも思えないが、あまりにも独断による一面しか伝わってこないのは、如何なものかと思われる。

確かに、ケンブリッジはロザリンドに、人生を変え、専門職と哲学を与えてくれたが、ロンドン大学キングスカレッジでの彼女への扱いは不遇としか言いようがなかった。また不運が同僚との対立をうみ、礼儀正しさが育ちの違いの印象を与え孤立を深め、慎重さが猜疑心の深さ、生真面目さが頑固と思われ、よい人間関係を築きことができなかった。女性に対する偏見や周囲の無理解だけでなく、彼女がフランスで初めて愛情をもった既婚の科学者のように、尊敬に値する優秀な頭脳を上司に期待し過ぎた失望が人間関係の躓きともなったと思える。しかし、頭のよい女性にありがちなそのような厳しさは、自分がチームのリーダーとなるや、次々と論文も発表するかたわら研究費獲得のために努力し、不治の病を自覚してからは部下の生活すら配慮して彼に遺産を与える遺言状を残す、という実に有能で頼れる理想の上司として慕われる面を発揮していくことになる。

また、ワトソンがもっと化粧をした方がよいと感じた全く色気のないロージー像は、世間に女性科学者への偏見すら与えていないだろうか。実際のロザリンドは、洗練されていてとてもおしゃれだった。夜、白衣を脱いで研究室の階段を下りる彼女が、別の星からやってきたように美しいイブニング・ドレスだったことを目撃した者もいる。人間関係を築けないどころか、友人の家庭を訪問するとこどもたちとたちまち仲良く遊び、気がきく贈物を選ぶ気配りもあり、料理も大好きで、自宅でのもてなしも得意だった。そして旅行が大好きで、裕福な家庭の娘にも関わらず、元祖バックパッカーだった。フランスでの研究生活、アメリカでの招待講演をかねた旅行、最後のバークベックカレッジでの暮らしでは、毎日、生き生きと充実した日々だった。残念ながら、恋をした男性は既婚者ばかりで、唯一結婚を考えられる男性と出会った時は遅し、すでに彼女は病に冒されていてあきらめるしかなかったのだが。

研究者としてロザリンドが用心したのは、産業界から一定の距離をおくこと。自分の研究が営利目的のみの道具となることを憂慮してのことだが、これには戦争体験や裕福なユダヤ人の一族という出自にもある。そんな思慮深く人生哲学をもつ彼女が亡くなった後、研究成果が認められると、ワトソンの”職業的技能”という言葉にもあるように「地道」で「腕の良い実験者」という”ほめ言葉”で再び知性を貶められることになった。しかし、ロザリンドは炭素、タバコ・モザイク・ウィルスの研究で世界的評価をえて、数々の論文は短い人生ながらも、科学者の一生分のキャリアに並ぶものだった。そしてDNA構造の解析に決定打のヒントを与えたのは、ロザリンドの撮った51番のX線写真だ。本書の監訳をした福岡伸一氏によると、彼女はデーターをひたすら地道に積み上げていく「帰納的」アプローチでDNAの構造を解明することをめざしていたことになる。そこには野心も気負いもなく、ひらめきやセレンディピティは必要なく、クロスワードパズルをひとつひとつ緻密にうめて、その果ての全体像としておのずと立ち上がってくるものとしてDNAの構造があった。一方ワトソンとクリックは、典型的な演繹的アプローチによってDNA構造に迫ろうとした。直感やひらめきによって、先に図式を考えて正解に近づこうとする思考だ。その思考に貢献するデーターが、ウィルキンズが偶然もたらした切り札、フランクリンの撮影したDNAの三次形態を示すx写真だった。このX線写真に数学的な変換と解析をしたのは、”準備した心をもった”クリックだった。この写真のおかげでふたりは一番に正解に達したが、ロザリンドも真実のすぐ間近まで上っていたということだ。ワトソンの「二重らせん」は、帰納型よりも演繹型の方が競争には有利という意味でも功罪を残したことになる。

ロザリンドはノーベル賞をとれたかという質問を「ノーベル賞受賞者にふさわしい業績だったか」と問われたら、間違いなくYESと答えたい。しかし、ノーベル賞をとれたかという議論は、彼女にとっては瑣末なこと。ロザリンドにとって奪われた賞とは、著者のいうように結局、生命そのものだったのだろう。科学に熱中するケンブリッジ大学で学ぶ娘の行く末を案じた父に宛てた手紙には、「科学と日常生活を切り離すことは不可能ですし、そうすべきではないのです。科学は私にとっては、人生を解釈する材料を与えてくれるものともいえます。それは事実と経験、実験に基づいているのです。」と記されていた。本書を読むと、そんなロザリンドの人生観も伝わってくる。

4月19日付けの『ロンドンタイムズ』紙に、J・D・バナールによるロザリンドへの敬愛の気持ちがあらわれた学者らしい気品のある追悼文が掲載された。そこには、「彼女の人生は科学研究に一意専心に身を捧げた見本である」と結ばれていたそうだ。

■あわせて読みたいアーカイヴ
「二重らせん」J・D・ワトソン著

「ワーグナーとユダヤ人のわたし」BS世界のドキュメンタリー

2013-06-16 15:48:04 | Nonsense
毎年、何らかの作曲家、音楽家のイベントがめじろおしだが、今年はすごい。ワーグナー生誕200周年。あのルートヴィヒ2世からはじまるWagnerianerにとっては、今年はやはり人生の特別な年になるのではないだろうか。ワグネリアンにとっての聖地に、可愛らしく、そして優雅に建つリヒャルト・ワーグナー祝祭劇場。7月25日から8月28日まで、いよいよバイロイト音楽祭がはじまる。

英国の作家兼番組のプレゼンターのスティーブン・フライも、ワーグナーの音楽にこどもの頃から心酔してきた正真正銘のワグネリアン。しかし、彼には愛するワーグナーに完全に酔えない悩みがある。フライは、ユダヤ人である。先輩格のワグネリアンだったヒトラーによって家族をホロコーストで失っているフライは、大好きなワグナーの音楽と反ユダヤ主義に折り合いをつけるためにワグナーの音楽をたどる旅にでる。

5月20日・21日の2日間に渡ってNHKで放映されたドキュメンタリーは久々に心に残る番組だった。
フライが最初に向かったのは、ワーグナー自ら自分の作品を上演するために建設したバイロイト祝祭劇場。木々や芝生の緑が若々しい生命の躍動感に美しい。その丘の上に立つ、チケットを入手するには最低でも8年かかるとささやかれ、今では音楽祭の時のためだけの贅沢で世界最高級の劇場。胸の高鳴りを押さえながら、そっと歴史を刻んだ扉をなでるフライ。舞台裏では、リハーサルと衣装づくりがはじまっている。たった一足の靴づくりだけでも、手の込んだ飾りをつけたオリジナルにフライだけでなく私もひきこまれていく。

更に、彼はワーグナーの邸宅にあるピアノで演奏をしているピアニストと一緒に、“トリスタンコード”を弾かせてもらう。ワーグナーが大好きで悩みながらもわくわくして、胸の高鳴りに思わずふるえてしまうフライのキャラクターと魅力もはずせない。次に彼が向かったのは、ワーグナーが当時野心的で論争をよんだ楽劇「ニーベルングの指輪」の着想をえたスイスに飛び、ロシアへも。

莫大な借金返済のために指揮者としてたつことになったマイリンスキー劇場では、ワーグナーは初めて観客に背を向けてオーケストラを指揮するという革新的な上演で人気をはくした。それでも浪費癖の借金返済に収入は消えて、結婚生活は破綻。50歳にして人生最大の危機にたつワーグナーの前に表れたのが、バイエルン王国の国王となったばかりの若く美しきルードヴィヒ2世だった。*)元祖ワグネリアンについては、ヴィスコンティの傑作映画『神々の黄昏』を参考されたし。

後半は、ワーグナー中期の楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の舞台であり、後にヒトラーがナチス党大会の会場に選んだ地からはじまる。私もこの土地を訪問したことがあるが、ドイツらしい落ち着いた美しい街である。しかし、日本人の私ですらこの城壁に囲まれた中世の面影が残る街を眺めると複雑な心境になる。ヒトラーがとても愛した街でもあるニュルンベルク。1935年、この地で開催された党大会にユダヤ人の市民権剥奪が合法化された。戦争後は、ナチス独裁政権下の指導的戦争犯罪人に対する「ニュルンベルク裁判が実施された街。今では平和に市民がマラソンをするニュルンベルクで、フライはナチスがいかにワーグナーの音楽を政治的プロバガンダに利用したかを読み解き、そして又、ワーグナーの音楽もヒトラーの世界観に影響を与えたかを考える。

再び輝けるバイロイトへ。
ルードヴィヒ2世という格好の金庫をえたワーグナーは愛妻コジマと結婚生活を楽しみ、いよいよ自分の作品を上演するための劇場を建設する。ワーグナーの設計者に指示した内容が読み取れるオリジナルの図面や楽譜を見て、フライの期待は益々高まる。いよいよ、夢にまでみたバイロイト祝祭劇場の扉を開けるフライ。歴史を感じさせ輝かしくも、以外にもこじんまりとした地方の舞台と客席が彼をあたたかく囲む。そして、音楽祭の総監督であるワーグナーの曽孫のひとり、エファ・ワーグナーにも出会う。憧れのバイロイト音楽祭がはじまる!

しかし、ヒトラーとバイロイトの関係性の環に悩み苦しむ彼は、とうとうアウシュビッツ収容所から奇跡的に生還し、オーケストラでチェロ奏者をしていた「チェロを弾く少女」の著者アニタ・ラスカー=ウォルフィッシュに会いに行く。まるで彼女に最後の審判を仰ぐかのように緊張する彼を眺め、おだやかな白髪の老女が思い出を語りはじめる。たまたまチェロが弾けた少女アニタはナチスに重宝されたのだが、ある日、双子を使って研究していたヨーゼフ・メンゲレがなにか重い実験をした後のようで、シューマンのトロイメライを弾いてくれとリクエストしたそうだ。彼女は、誤解を招くのをさけるためにメンゲルとは視線をあわせないようにその曲を弾いた。そこで、フライはもう二度と「トロイメライ」は弾く気持ちになれないのではないかと質問すると、アニタは微笑んで「そんなことはないわ、孫だって弾いているもの」と答え、チェロを弾く男の子のお孫さんの写真が重なる。意を決して、フライはユダヤ人の自分がワーグナーを聴き、バイロイト音楽祭に行きたいと願っていることについての意見を求める。すると、彼女は笑って「あなた、そこへ行きたいのでしょ。行きなさいよ。音楽に罪はないわ」と朗らかに応援する。

晴れ晴れとしたフライの表情からは、純真な嬉しさが伝わってくる。そう、ワーグナーの音楽こそは彼の心をとりこにする最高の音楽なのだ。黒のフォーマルな上着をかろやかにはおり、宿泊しているホテルのドアを開けて、大切なチケットを片手に、さあ音楽祭へ!
そんなコンサートに向かう彼の姿でドキュメンタリーは終わる。実際は、2010年にBBCで放映されたようだが、今年のワーグナー生誕200周年にふさわしい素晴らしいドキュメンタリーだった。

■こんなアンコールも
「ヒトラーとバイロイト音楽祭」ブリギッテ・ハーマン著上巻下巻

大島渚監督が逝く

2013-01-20 15:24:40 | Nonsense
映画監督の大島渚氏が15日に肺炎で亡くなった。
大島監督の作品とこれまでの活動暦を調べると、私は殆ど知らなかった。意気軒昂で大島節の「バカヤロー」発言が炸裂していたという「朝まで生テレビ」も観たことがない。それでも何かを書き残したいと感じるのは、大島渚が私が”インテリ”を感じる唯一の日本人映画監督だからだ。

京都大学法学部出身、という東大ではない学歴もそんな私の印象づけに全く関係ないとは言い切れないのだが、作家・司馬遼太郎の短編集「新撰組血風録」の「前髪の惣三郎」と「三条磧乱刃」を題材に和的な衆道の視点から描いた時代劇「御法度」を製作した時、旧来の監督にはない日本人離れした”インテリ”を感じた。現代ではない、かっての日本の歴史にあったかもしれないエピソード、男だけの世界で、時代の転換点で反政府を鎮圧するために働き、しかも反乱者や風紀を乱す者は内部で粛清するという実に特殊な最後は負けて消滅していく集団の中で起こるホモ・セクシャルな素材。更に、主役の加納惣三郎に全く無名だった松田龍平を起用したのだが、よくこんな逸材に目をつけたと驚嘆した。原作を先に読んでいる者からすると、彼は完璧にえたいのしれない水もしたたるような美少年を具現していた存在だった。大島監督の美意識と着眼点には、心底感服した。

私は映画のキャスティングにこだわりがある。それは、ちょっとというレベルではなくかなり。キャスティングが最高だと、とてもご機嫌になる。
大島監督の「戦場のメリークリスマス」のデヴィット・ボーイや坂本龍一、ビートたけしの起用にも驚いたが、「マックス、モン・アムール」は未鑑賞なのだがシャーロット・ランプリングのさえざえとした美貌とスタイルは強烈に印象が残っている。キャスティングに関しては、大島監督は素晴らしくセンスが良いと絶賛していたのだが、生前に彼は闘病生活の中で次回の映画製作についてこんな言葉を残していた。

「最大の問題はキャスティングでしょうね、特に主人公の。そして、何か決定的に新しいものが欲しいね。それはひとつキャスティングか何かが決まれば一遍に降ってくるとは思います。」訃報記事で知ったのだが、大島監督はキャスティングが決まれば映画監督の仕事は終わったものと語っていたそうだ。

1997年に倒れ、その後遺症で言語障害や半身麻痺などの後遺症と闘い、第一線から姿が見えなくなった大島監督。その懸命な闘病生活を支えたのは、奥様の女優の小山明子さんだったという。
「深海に生きる魚族のように自らが燃えなければどこにも光はない」
こんな言葉を座右の名としていた大島監督とすれば、体の自由がきかない闘病生活はどんなにか厳しかったろうか。
しかし、私は大島監督の最高のキャスティングは、人生の伴侶に小山明子さんを選んだことだったと思う。

村上春樹氏 ノーベル文学賞受賞ならず

2012-10-11 22:17:25 | Nonsense
スウェーデン・アカデミーは(日本時間の夜8時)、今年のノーベル文学賞を発表した。受賞者は本命の中国の作家、莫言氏。世界最大規模のブックメーカー、英ラドブロークスの文学賞受賞者を予想するオッズでは、村上氏は1位で、莫言氏は4位となり、今年こそはと期待されていた村上春樹氏は受賞をしなかった。しかし、スウェーデンのブックメーカー、ユニベットでは莫言氏が村上さんを抑えて1位となっており、見事に予想を的中させた。
私が賭けようとしたのは、残念ながらやはり村上さんではなかった。過去の日本人受賞者の川端康成、大江健三郎と肩を並べるには無理がある。

ちなみに莫氏の略歴は、次のようである。
1955年2月、中国山東省高密県生まれ。農村家庭に育ち、60年代半ばの文化大革命で小学校中退を余儀なくされた。人民解放軍在籍中に著作活動を開始。中国当局の検閲を避けるため、暗示や比喩、間接表現を駆使して、中国国内でタブーとされる政治的に敏感な内容を含んだ作品を発表してきた。
スウェーデン・アカデミー好みの越境はないが、「抑圧」「反権力」オーラがたっぷりの人と作品である。(近著の「蛙鳴」は、手に取ったものの、めったにないことだが、私にはあわなかったので読破できなかったのだが。)村上春樹さんのように大衆に人気があり、ポップカルチャーのような作品はノーベル文学賞にはむかないのかもしれない。

↓2009年11月2日のブログより再掲載↓
ノーベル文学賞の選考委員は社会派がお好み、というのは定説。情報誌「選択」によると、スウェーデン・アカデミーの構成要員は、作家や裁判官などの18名。今年度受賞したヘルター・ミュラー氏の「狙われたキツネ」を読むと、受賞ポイントの「抑圧」「越境」「反権力」の三点セットを見事にフル装備している。(ミュラー氏は、87年にドイツへ亡命している。また、彼女自身も主人公の女性教師の友人や生徒と同じように弾圧を受けてきた少数民族出身)

それでは、5月29日に新作「1Q84」が刊行されるや爆発的に売れまくっている我らが候補者の村上春樹氏、ここ数年、今年こそは!と期待が高まっているのだが、いったいノーベル文学賞を受賞するのはいつか。ノーベル賞の候補者は春までに20名リストアップされ、さらに秋に5名程度に絞られる。どうもこの「20名」に村上氏が入っていることには間違いないそうだ。ミュラー氏の場合は、かねてから資質を認められながら「もう一作読みたい」とまるで日本の芥川賞受賞の見送りと同じ理由でみあわせていたのが、今年、強制収容所体験を書いた「アーテムシャウケル」を発表して、一気に受賞へと実を結んだ。村上氏も同様に「もう一作」という声が選考委員の中で多かったそうだ。今回の「1Q84」の英語版が出版されるのは11年秋。事情通によると12年の受賞が、最もノーベル賞に再接近する年だそうだ。

「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 」「ノルウエイの森」。みんな大好きな小説ですすめてくれた男子とよく「ムラカミハルキ」のことを話題にして熱く語り合ったもんだった。今のノーベル賞候補作家とは路線が違っている初期の作品が好きなので、「アンダーグランド」などのノーベル賞を意識した作品を発表する頃から、なんとなく手にとることがなくなったいった。

今年も10月8日の夜、大磯町の高級住宅地にある村上氏のご自宅には黒塗りのハイヤーが8台も待機していたそうだ。こうした喧騒を嫌う村上氏は数日前には国外脱出をしているが、とりあえず「自宅」に記者たちははりつく。ご苦労なことである。「落選」の情報が入るとまた静かに去っていったとのことだが、スウェーデン紙は文学賞発表前に朝刊で”受賞するであろう”作家のインタビューを掲載するのが恒例で、今年もミュラー氏のインタビューを掲載した。わざわざスウェーデンまで飛んだ日本の某新聞紙の文化部長など、予想した作家がすべてはずれてまことにお気の毒。むしろそんなに騒がなくてもよいのでは、と村上氏のために言いたい。必ずしも作家の作品の価値=ノーベル賞受賞でもない。ノーベル賞を受賞していなくても三島由紀夫のように優れた作家は他にもいる。むしろ作品の価値よりも”権威がつく”ことと”名前が後世まで残る”方に価値があるのではないだろうか。
ちなみに、スウェーデン・アカデミーは売れる作家はお嫌いだそうで、3年後に村上氏が受賞を逃すと「もうない」という、これまた何度も芥川賞候補に挙がりながら受賞する好機を逃すと「もうない」のと同じようだ。ちょっと笑えたのが、「村上氏が消えたら、お次はよしもとばななさんが浮上」というスエェーデン人ジャーナリストの情報に対して「選択」誌の記者のコメントが、「今のノーベル文学賞とはこの程度のもの」だったことだ。

■こんなよい本もありました
「小澤征爾さんと、音楽について話をする」

■こんな厳しい批評も
「わがユダヤ・ドイツ・ポーランド」

ノーベル賞:医学生理学賞に山中伸弥氏

2012-10-08 22:10:41 | Nonsense
今日、スウェーデンのカロリンスカ研究所は、今年度のノーベル医学生理学賞を、京都大iPS細胞研究所長の山中伸弥教授と英ケンブリッジ大のジョン・ガードン博士に授与すると発表した。授賞理由は「成熟した細胞を、多能性を持つ状態に初期化できることの発見」。山中氏は06年に、マウスの皮膚細胞に4種類の遺伝子を入れることで、あらゆる組織や臓器に分化する能力と高い増殖能力を持つ「人工多能性幹細胞(iPS細胞)」を作り出すことに成功した。
再生医療や難病の仕組みの解明などにつながる革新的な功績が受賞理由だと思うが、選考委員会が何よりも評価したのは”iPS細胞が基礎生物学に与えた衝撃”だそうだ。
新聞の片隅の小さな報道で初めて人工多機能肝細胞作成の成功を知った時は、まるでSF小説のような話に驚いた記憶は、今でも鮮明で忘れない。これが本物だったらきっとこの方は、人並みに長生きすればいつかノーベル賞をとれるとその瞬間思ったのだが、最初の成果が米科学誌に掲載されてから6年余りとは、かなり早かったのではないだろうか。

さて、これまでのアーカイブでおさらい。
ES細胞のあらたなる研究成果
ips細胞開発の山中教授 引っ張りだこ
・「iPS細胞 ヒトはどこまで再生できるか」
・NHKで報道後、緊急出版された「生命の未来を変えた男」

山中博士の研究目標は、難病治療に役立てるためという人類共通の希望があることからも、今般の快挙に発明の内容からも受賞は当然だとしても、日本列島は久々にあかるいニュースにわいた。しかしながら、喜んでばかりもいられないのが日本の研究事情。当初から、間違いなく名誉は山中氏にもたらせられるだろうが、実際の果実は海外の研究所に渡るとささやかれていた。ips細胞を利用した特許を海外勢におさえられてしまったら、せっかくの研究成果も肝心の治療では日本人は高額で利用できないか、利用できても収益は海外に渡ってしまう。米国では再生医療研究の10倍、海外の研究所も数倍の研究予算で急ピッチですすめている。こうした危機感から山中氏は講演活動などで何度も研究への理解を訴えてきていた。日本の研究資金は、現在、ジリ貧状態だ。その中でも山中氏の研究所は最大50億円の支援があるが、それも13年度末には終了するそうだ。その一方で、選択と集中で資金をiPS細胞研究所に集めたあおりで、他の研究室の資金がなくなり、せっかく良い研究をしていた若い研究者がはじきだされたと読んだ記憶がある。受賞をきっかけに、日本の基礎科学全体の底あげを、本気で考えなければいけないのではないだろうか。

「私たちの本当の仕事は、しっかり研究を進め、iPS細胞の医療応用を果たすこと。これからも本当の仕事を進めていかなければならないと思った。難病を持っている患者さんには、希望を捨てずにいてほしい」と決意を語っていた。この言葉のもつ意味をもう一度かみしめて。

■もうひとりの候補者
遠藤章氏にラスカー賞

「優雅な生活が最高の復讐である 加藤和彦・安井かずみ最期の日々」

2012-07-15 11:49:08 | Nonsense
「私の城下町」「危険なふたり」「危ない土曜日」 など数多くの歌謡曲を 作詞した安井かずみさんは、1977年に8歳年下のミュージシャン・加藤和彦さんと結婚した。38歳の妻がガンでなくなる55歳のその日まで17年間続いたふたりの優雅でスタイリッシュな結婚生活は、伝説の物語を残した。

妻が肺がんを発病し、余命1ヶ月と告知された夫は、誰にも病名を告げずにすべてを引き受けて、延命することよりも「優雅な生活が最高の復讐である」というスペインの諺を希望する妻を献身的に支え愛した。番組は、彼女の残された日記をもとに最後の日々を追った舞台劇のようなドラマである。

お洒落で美しかった安井かずみさん(ZUZU)を麻生祐未さんが演じ、長身の優しげな面立ちの加藤和彦さん(トノバン)は袴田吉彦さんが演じている。ひとつの空間に、自宅、病室、「キャンティ」(夫妻が通ったレストラン)、旅行先のホテルの室内、ハワイ、といった小さな舞台がセッティングされていて、ドラマというよりも室内劇のような雰囲気で、間に生前夫妻と親しかった友人のインタビューが入る形式になっている。

偶然観た番組だったのだが、観はじめたらどんどんひきこまれてとうとう深夜の最後までテレビのスイッチをきることができなかった。
病室にいる安井さんは、これからの闘病生活をクイーンエリザベス号に乗船して出発する優雅な旅にたとえた。荒波にもまれても、やがて船は港に着き、病は治っていると。パーサーは、夫。しかし、最後の港が死であることは夫だけが知っていたのだが、妻もいつしか気づいていく。

凝った手法の舞台劇と脚本は、生活感を排除したスタイリッシュな生活を最後まで貫いたふたりを非現実感をともなって美しくもうきあがらせていく。なんといっても、全く知らなかったが安井かずみさんというキャラクターとライフスタイルが印象に残る。いつか、加藤さんが丼ものは食べないとテレビで発言していたのを聞いたことがある。なんと、優雅で上品な暮らしをされているのだろうと感嘆し、丼ものが好きな私はちょっと憧れていた。しかし、そんな暮らしは安井さん流だったことがこの番組でわかった。ふたりは、結婚を機に、それまでの友人と距離をおいて離れていったという。コシノ・ジュンコさんは、結婚して安井さんのファッションがありえないコンサバになったことから、離れていくのも当然と感じたようだ。

思うに、ふたりは夫婦になりながら、究極の親友になったわけだから、相手がいれば24時間ふたりだけの濃密な時間があればそれですべて満足できたのだろう。もともと安井さんは恋多き女性だったそうだ。恋人ができると生き生きし、恋を失うと精神も不安定になりがちだったところ、加藤さんという理想的な夫をえることでやすらかで幸福な日々を送ることができた。

友人の松山猛さん(この方もとてもお洒落!)によると、加藤さんが結婚してゴルフやテニスをはじめたので驚いたそうだが、彼は敬愛する女性にあわせて自分やスタイルを変えられる人とのこと。ブリティッシュ・スタイルを好む安井さんは、家でもスーツにネクタイの夫を期待し、8時には仕事を終了して美しく整えられた自宅で、ふたりで料理をして、美味しいワインをかたむける優雅なくらし。毎日、毎日、上質な料理、上質な衣装、上質な、贅沢な暮らし。

結婚してからの友人だった大宅映子さんの自宅を加藤さんが訪問した時、絶対に安井さんが作らなかった味噌汁やなすの煮物を出した時に、京都出身の加藤さんがほっとするなと言っていたというエピソードが披露されていたが、すべてを妻の趣味にあわせるには、夫もそれなりの努力をしたのだろう。そんな夫の愛情にこたえるかのように、加藤さんの誕生日のプレゼントは、薔薇の花束にひそませた新車ポルシェの鍵だった。

葬儀で残された夫は、淋しいけれど悲しくはないと語った。当時の主治医は、多くの夫婦をみてきたが、彼らのような夫婦はいなかったと証言している。一瞬も惜しみなく、妻のために生きてきた加藤さんにとって、愛妻の死は悲しみを超越するくらいの愛情に満ちた日々だったのだろう。そこには、もっとこうすればよかったという後悔がはいる余地などないくらいに。

安井かずみさんが最後に遺した言葉は「金色のダンスシューズが散らばって、私は人形のよう」。
湿度の高い猛暑にうんざりしてだらけている私には、最後の瞬間まで優雅さを失わなかった彼女の存在に考えさせられる。どんな本を読み、どんな音楽を聴き、どんな映画を選ぶか、というほどにどのような暮らしをしたいのかを、自分はそれほど大切にしてこなかったのではないだろうか。

消え行く”バンカラ校”と”乙女の園”

2012-04-26 22:38:21 | Nonsense
先日、新聞で興味深い記事を読んだ。文部科学省の調査によると、男子高、女子高の男女別学の高校 が激減していて、全国で464校、全体の1割にも満たないそうだ。圧倒的に男女共学 校が多いとは・・・。

共学化にすすんだ理由として、先進国病のような少子化にあるという。ある男子校では生徒数が減り続けて、共学にふみきったところ、受験者数が2倍以上も増加。確かに、女子も受験できるとなると受験資格者も倍になる。受験料は私立高校にとって大事な収入源だ。笑えるのは、女子も入学してくると聞いた男子の入学者も増えたそうだ。乙女たちもくるとなると、学校があかるい雰囲気になるのは確かだ。

しかし、すっかり少数派となった別学には伝統ある難関校で、共学化などしなくても充分に学生を呼べる大学合格実績を誇る。昨年の東大合格者数では、上位7位までは男子校で8位は女子高と別学が連なる。中学・高校と男女の身体、精神面の成長にタイムラグがあることから、男女がともに学ぶのは非効率的という意見もある。そのため、共学でも、授業は別教室という学校もあるそうだ。

私自身はずっと共学に学ぶ乙女だった。
我が母校は創立100年を超え、詩人、政治家、学者、芸術家などを多く輩出している。学制改革に伴い、要するにお上のお達しで男子校から共学化されたようだ。その当時は、伝統ある男子校にスカートをはいた女子がやってくるのは大事件だったそうだが、体育と家庭教師だけは女性教師を配置したと聞く。つまり、私が在学中も、女性教師はたった2人、しかもとても優秀なご婦人で後は全員男性教師だった。女子学生は全体の4分の1しかいなかったため、男子クラスというのがあったのだが、隣から見ていても男子クラスは同じ高校かと思うくらい雰囲気、”匂い”ともに違っていた。まさにバンカラ・パラダイスで破天荒だった。思春期に異性を意識することなく男どもでのびのびと過ごせるためか、3年間、ずっと男子クラスは嫌だけれど、一度は男子クラスを体験したい、というのが男子の都合と願望だった。

大学に進学すると、更に女子学生は少なかった。私が入学した当時の経済学部は特に女子に人気がなく、学部では更に更に女子が少なかった。
私が入った数Ⅲレベルの経済数学が必須のゼミは、ゼミ開設以来、男子のみ。私たち女子がやってくると聞いた先輩やOBの一部は反対したと、後に教授の奥様に聞いた。ゼミの夏合宿では、女性禁止のある場所へ行くのが恒例となっていた伝統?があったのだが、それもとりやめとなるからという事情もあったとか。(その後、10年もたつと女子学生が過半数を占めるようになった。)ただ、地方の女子高出身の友人の話を聞くと、女子高は性別の固定された役割がなく、女子でもクラブ活動や生徒会、行事などでリーダーシップを発揮する機会に恵まれていること、多くの同性のメンターやモデルケースには恵まれていると感じた。恋愛だって、共学でなくてもできるし。一部地方では、県立の進学校ほど別学で県民の強い支持があるとも聞く。伝統の重みが生きている。

そして、現在の勤務先の部署は殆ど女子ばかりの女子高状態。女子限定話で盛り上がったり楽しいノリであかるい職場だと感じることもあるが、けっこう気を使ったりして面倒だと感じることもある。そもそもスイーツや韓国ドラマ、ジャニーズはよくわからないので全くついていけないし、経済や映画、本の話題の方がずっと好きなおやじ系だし。周囲の目を気にしなければいけなかったりと、前の男性軍に囲まれていた時のようにのびのびと働いたり提案したいとも思う。

最後に開成高校の校長の次の言葉を紹介しておきたい。
「同性の先輩を見て、早い段階に自分は何になりたいかと自己確立が可能になり、それに向かってすすむことができる。今ほど、男女別の学校が必要な時代はない。我が校は最後の1校となっても男子校であり続ける」

大学版モンスター・ペアレント

2012-04-06 23:02:51 | Nonsense
父の今は亡き友人のその昔の話である。
父の友人Mさんは、いわば江戸っ子気質の方だったのだと思う。私たち姉妹は、父の兄貴分のMさん、当時お隣に住んでいたMのおじさんには随分可愛がっていただいた記憶がある。大学時代、帰宅途中に偶然出会ったおじさんと駅前の寿司屋で一杯呑んだこともあった。制服とさよならした18歳の私には、これまで考えたこともなかったおじさんの、豪放磊落な一面を伺い知る機会ともなったのも懐かしい思い出である。お洒落できれいとご近所で評判のひとり娘はすでに嫁ぎ、初老にかかったおじさんの若かりし頃のエピソードを母から女同士の噂話のように聞いたのも、そんな頃だった。娘が小学生の時、おじさんは家においてあった給食費をもちだして呑みに行った前科があったという。父親として赦し難い行いだと思うのだが、おじさんらしいと笑ってしまった。今だったら、さしずめモンスター・ペアレントと糾弾されるところだろう。

ところで、度々マスコミに登場するようになった現代のモンスター・ペアレント。そんな親達の子息も今では大学生になり、今度は大学でさまざまなふるまいをしているようだ。近頃の大学では、成績表の発送を本人か保護者宛てか入学時に選べたり、自動的に保護者に発送するのも珍しくない。保護者は学生の最大のスポンサーだから保護者宛に成績表を送るのは理にかなっているとも思うのだが、何と父母会を開催する大学が8割にものぼるという。某私大歯学部では、保護者面談があると聞いて友人達とちょっとした話題にもなったのだが、就職活動前の親子面談を実施する大学が過半数もある。大学生にもなって親子面談に疑問を感じるのは、私だけであろうか。しかし、少子化時代を迎えて学生確保のための大学サービスともなれば、それもあるかと納得する。

しかし、モンスター・ペアレントはその程度のサービスでは納得しない。ある国立大学長宛に親から抗議の電話がかかってきた。授業中に騒ぐ学生を退室させたら、速攻で学長室の電話が鳴ったそうだ。笑える。ある公立大学の就職担当者は、「テレビCMにも出ない無名企業に就職するために入学させたわけではない」とこどもに内定を断らせたりする親に毎年泣かさせる。まあ、これも笑える。教育熱心な親の並々ならぬ情熱が、今日的に困った方向へ行ってしまった例だと解釈できるのだが、笑うどころか泣けるのは、こんなモンスター・ペアレントだ。ある私立大学のように学費未納の学生と面談するうちに、奨学金を召し上げてパチンコなどの遊興費につぎこむ親がいて、しかも結構な数にのぼり驚愕したという記事を読んだ時は、とうとうそこまできたかと私も驚いた。言うまでもなく貸与型の奨学金は、学生本人が返済する義務を負う借金だ。こどもの未来のお金を奪い、結局、学費の支払いは滞っている。苦学生というのは、昔からいたが、奨学金を奪って自分の遊びに遣う親というのは聞いたことがない。

風が目にしみるプーチン首相

2012-03-08 23:07:53 | Nonsense
今年の3月4日は寒かった。しかし、ロシアの寒さはもっと厳しい。
この日、プーチン首相はモスクワでロシア大統領選の勝利宣言を行ったのだが、支持者を前に壇上で涙を流した。
・・・おろろいたっ!
冷徹で現実主義の彼が涙を流すとは。この人はそういう人ではなかったと思っていたのに。あの涙は何だったのか。
ここで浮上しているのが、プーチン首相の個人蓄財疑惑である。

ひそやかにささやかれている噂が、ロシア銀行の元幹部が、夜の帳にまぎれてこっそり鞄につめてもちだしたとされる書類の存在だ。そこには銀行の急成長の秘密とプーチン政権とのつながりが読みとれるそうだ。
そもそも、ロシア銀行は旧ソ連時代の1990年にソ連共産党地区支部を大株主にして創設されたが、現在の大株主はすべて首相の旧友。2000年にプーチン政権の誕生とともに飛躍的に業績がのび、04年に天然ガス事業「ガスプロム」の保険部門子会社「ソーガス」を底値で買収、06年には年金基金「ガスファンド」、翌年には金融部門子会社「ガスプロム銀行」を次々と傘下においた。買収時のガスプロム会長はメドヴェージェフ大統領、社長は腹心のアレクセイ・ミレルと用意周到だ。

首相の旧友たちは、ヤクーニンがロシア鉄道社長、アンドレイ・フルセンコが教育科学大臣と次々と出世して幹部となっていき、ロシア銀行や関連企業の株主にプーチン首相の友人や親族が名を連ね、まさに一族郎党のファミリーバンクのようだ。又、日本の柔道家も本物と認める黒帯保持者のプーチン大統領だが、柔道の稽古相手だったローテンベルグ兄弟はパイプライン建設会社を創設して、資源外交の旗印のもと、次々と伸ばすパイプの契約を獲得し続けて、今では35億ドルもの資産を保有する大富豪に成り上がった。今年の11月に開催予定のAPEC首脳会議に100億ドル、2014年のソチ冬季オリンピックには150億ドル使われ、主な契約は首相の関連企業が取った。これまでクリーンさを装っていたプーチンだが、さすがに利権構図は隠しようがなくなってきた。以前、プーチン首相がロレックスの時計をしていたのが話題になったが、そんな彼らの公表年収は1000万円台。しかも、首相や大統領官邸で26もの邸宅や敷地があり、プーチン宮殿と呼ばれる豪奢な邸宅もあり、ロシア銀行の元幹部の内部告発も銀行の収益がこれらの貢物に流れていったからだそうだ。ロシアのことわざ「魚は頭から腐る」のように。

今回の大統領選をめぐり、現地に国際選挙監視団を派遣していた全欧安保協力機構によるといくつかの重大な問題があったと不正を公表している。昨年の下院選挙では、各地でデモが多発し、数万人もの人々が参加した。勝利宣言の一方で、プーチン王朝の終焉がはじまっていると言えよう。

毎日1~2時間もの筋肉トレーニングを欠かさず、鍛えた肉体を披露したり、マッチョで力強さをアピールしてきたプーチン首相の涙に、「人間味のぞく」と評する報道も見かけたが、はっきり言ってそんな甘いことではないと私は思う。「モスクワは涙を信じない」。西側外交筋は、彼が長期政権にこだわるのは、政権を去った後に待っている刑事訴追をさけるためであり、自己保身とカネが目的と語っている。

あの涙は、ただの安堵の涙だ。本人は、風が目にしみたと弁明したそうだが、その風の向きが変わっていくのを一番実感しているのはプーチン首相かもしれない。

■アーカイヴ
強権政治を実行するプーチン大統領の笑顔
プーチン批判の露・元中佐が重体
プーチン大統領が長期国家戦略を発表
映画『ローラーとバイオリン』
映画『父、帰る』
映画『機械じかけのピアノのための未完成の戯曲』
映画『12人の怒れる男』
映画『静かなる一頁』
映画『人生の祭典 ロストロポーヴィッチ』
映画『エルミタージュ幻想』
「自壊する帝国」佐藤優著
「国家の罠」佐藤勝優著
おろしや国訪問記④
「エルミタージュの緞帳」小林和男著
「1プードの塩」小林和男著
「ロシアの声」トニー・パーカー著
「完全なる証明」マーシャ・ガッセン著
今時のモスクワっ子住宅事情
歴史の不可避性とソビエト的礼節
映画『モスクワは涙を信じない』

世界への挑戦 17歳のバレリーナ

2012-03-06 22:44:21 | Nonsense
今年の2月に開催された 「第40回ローザンヌ国際バレエコンクール」で日本人の菅井円加さんが1位に輝いた。
バレエ界でのアジア勢の台頭に伴い、日本人も同コンクールに入賞するのが珍しくなくなった近年だが、今回の菅井さんについては、
「円加のクラシックは、円熟した完成度の高いもので驚いた。同時にコンテンポラリーの表現も素晴らしかった。一般にダンサーはクラシックかコンテンポラリーのどちらかにより優れているものだ。ところが円加の場合は両方に優れている。両者に境界線を引かず、両方必要だと知ってもいる。今後のダンス界を象徴するようなダンサーが登場した」
と審査委員長のジャン・クリストフ・マイヨ氏が絶賛したことが格別なインパクトを与えた。又、この発言から、日本にいると従来からの「白鳥の湖」のような古典ものが中心になりがちなバレエだが、世界の潮流は華やかなチュチュを脱ぎ捨てたコンテンポラリーとのふたつの潮流があり、どちらの流れでも高い技術性と芸術性をあわせもって泳げるバレエダンサーが求められていることを実感した快挙でもあった。

そして、日本でもおなじみで、菅井さんにとっても憧れのダンサーでもあり、審査員のひとりでもある吉田都さんも「舞台がはじまった頃からとても踊りを楽しんでいる雰囲気で急に輝きだした。」と語り、世界で活躍できる大型ダンサーと実感をこめて彼女に期待を寄せている。

さて、そんな菅井さんをはじめとした今年の入賞者による数々の素晴らしいダンスをかいま観られたのが教育テレビで放映された「世界への挑戦 17歳のバレリーナ」ローザンヌ国際バレエコンクールだった。菅井さんはクラシックでは「“ライモンダ”第1幕 夢の場からライモンダのバリエーション」を踊った。素顔は普通のむしろ地味めな女子高校生の雰囲気なのだが、踊っている姿はとても可愛らしく、しなやかな動きが爪の先まで音楽にぴったりあっている。細部までリズムとメロディーの流れにのっている。しかし、彼女の本領を発揮したのは、やはりコンテンポラリー部門のストラヴィンスキー作曲による「リベラ・メ」だったと思う。吉田都さんは舞台で感じる彼女のダイナミックさは、映像ではわからないと断言していたのだが、確かにわからないが審査員たちがどよめくようなダイナミックさは想像できた。上野水香さんのようなバレエをするために生まれてきたような容姿ではないが、身体能力がとても高い方だと感じる。

ところで、最後に登場したのが第17回のコンクールで金賞を受賞した熊川哲也さん。
このコンクールで優勝することは、今後のバレエ人生には全く関係がない(要するにダンサーとしての単なる通過点である)とのコメントを残していた。確かに、国をあげてダンサーを養成するフランス人などの参加は少ない。だいぶ前からローザンヌ国際バレエコンクールで日本人の姿を見かけると感じていたのだが、何と、日本全国に約5000のバレエ教室があり、バレエを習う方は40万人にも上るそうだ。民間運営とはいえ、この層の厚さが菅井さんのような大器を育てたのだろう。
そして、番組で流れた10代のクマテツさんの「“ドン・キホーテ”第3幕からバジルのバリエーション(抜粋)」の凛々しいを観ながら、この人は踊ってもすごいが踊らなくてもすごい人だとつくづく感じる。ともあれ、留学後の舞姫の今後の素晴らしい踊りが楽しみである。

■アンコール
「テレプシコーラ/舞姫」
「テレプシコーラ/舞姫 第二部3」
「テレプシコーラ/舞姫 第二部5」
「黒鳥」