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千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

金正日総書記ついに

2011-12-19 21:58:27 | Nonsense
北朝鮮の国営テレビは19日、最高指導者の金正日総書記が17日に死去したと報じた。69歳だった。
アナウンサーは喪服を着用し、涙ながらに金総書記が地方視察に向かう途中に過労のため亡くなったと伝えた。また、国営の朝鮮中央通信社(KCNA)は、金総書記の三男の金正恩氏について、総書記の「偉大な後継者」、「わが党や軍、人民の卓越した指導者」と表現し、権力継承者であることを示唆した。
KCNAによると、金正日総書記は17日に列車の中で重度の心臓発作を起こし、18日に行われた検視で死亡原因が確認されたとしている。
中国の国営テレビは、北朝鮮の首都平壌で国民が涙に暮れる様子を放映した。ただし、映し出された平壌の街は交通量が少なく、時折トラムやトロリーバスが運行しており、一部の住民が路上で涙に暮れている以外はおおむね通常通りに見える。

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「第九」演奏会の帰宅途中、人類みな兄弟のリフレンが心の中で踊っている上機嫌の中、満員電車の中で見かけた新聞の見出しに大きく黒枠の”金正日総書記”の文字が、とうとう来たかその時が・・・。どんな悪人でも死をまぬがれることはできない。北朝鮮の金正日総書記が亡くなったそうだ。

とりあえずこれまでの過去のブログから・・・↓

北朝鮮の別の顔
今読みたい帚木逢生氏の「受命」
「受命」帚木逢生著
映画『チェンジリング』
独裁者に欠けている共感性

どこへ届ける日本郵便

2011-12-12 22:13:57 | Nonsense
師走の声を聞く頃になると、駅の周辺に登場するのがサンタクロースではなく、どういう訳か郵便局員。寒空の下、声をはりあげて年賀状を一生懸命売っている。彼らのソフトバンク並みの熱心さにも事情があるようで、最近、知ったのだが、郵便事業会社は競争する会社もないのに、利幅の薄い年賀状に、社員やゆうメイトに強引とも言える販売ノルマを課しているそうだ。私も頼まれて、毎年、爺さんの知り合いから年賀葉書を買っていたのは、こうした苦しい目標があったからだった。

ところが、駅の近くの金券ショップに立ち寄ったところ、大きな字で「年賀状 47円」と書かれたA4サイズの紙が3枚下がっているではないか。わずか3円の差額だがどうせ買わなきゃいけないからと、行列に並ぶ人は絶えないようだ。郵便局で働いている人たちが厳しいノルマを達成するために、とりあえず自腹で年賀葉書を購入して、余分な葉書を金券ショップに持ち込んでいるという。これでは、更に街頭での懸命な販売努力は実を結ばない。そう言えば、小泉改悪がすすめた「郵政民営化」により、郵便局と郵便事業を日本郵政に統合し、その傘下にゆうちょ銀行とかんぽ生命を入れる改革法案もあったが、その後、どうなっている?〒だ。情報誌「選択」によると、やっぱりとんでもないことになっていた!

なんと、郵便事業会社は、9月末に日本通運と事業統合して発足したJPエキスプレス(JPEX)の拡大する赤字を埋めるために、46000人もの大量人員整理をはじめた。結果、特に首都圏近郊の大規模支店、集配センターでは人手不足による集配作業に大混乱状態になっているという。正社員200人、契約社員とパート(ゆうメイト)400人が働く某支店では、夜遅くまで灯りが消えない。これまで正社員とともにあらゆる業務をともに支えてきた65歳以上のゆうメイト80人が一斉に”雇い止め”されたからだ。機械で郵便番号順に並んだ郵便物の束を、配達の経路順に効率よく並べる必須業務には、熟知した経験がものをいう。ベテランさんが消えて、この段取り間に合わなくなりつつあるそうだ。張り詰めた空気の中での超過勤務で不眠症になる人もいるかと思えば、サービス残業をせざるをえない事態にまで追い込まれている支店もある。

そもそも、経費削減でそんなに簡単に人を斬るなと言いたい。ここまで赤字になったのは、いったい誰の責任なのか。日本郵政ガバナンス検証委員会で「経営判断としての合理性を大きく逸脱している」と指摘されているにも関わらず、経営陣は誰も責任をとらない。その一方で、「平成22~23年度における人件費削減に向けた取組」によると、会社として必要な人件費削減額訳20億円、15万人の契約社員Ⅱとパートタイマーのうち、9月30日時点で満65歳以上の者と雇用期間の短い者を”確実に”雇い止めするよう指示されている。長年、低賃金で現場を支えてきたゆうメイトが、どうして犠牲にならなければいけないのか。65歳になればそろそろ引退してもよいではないか、という考えもあるが、少ない国民年金の受給だけでは食べていけず、働かざるをえない人もいるかもしれない。

職場では書類の配達に宅急便を利用することが多くなった。しかし、郵便事業会社は、1日あたり約6400万通もの郵便物を3100ヶ所の世帯や会社に届けている国民にとっては重要な物流インフラを担っている。現場を知らない無責任な経営者こそ、退場していただきたい。来年の年賀状配達に向けて、益々混乱が予測されているというのに。

上等な人 北杜夫さん逝く

2011-12-04 16:01:52 | Nonsense
作家の北杜夫さんが10月24日に亡くなった。
訃報の報道があった時は、あいにく機上にいたために遅くなってしまったが、あらためて北杜夫さんのことを振り返ってみたい。

どくとるマンボウというニックネームのとおりに多作の人気作家だった北さんだったが、あまり関心がなかった私が初めて彼の著作物を読んだのはちょうど一年前のことだった。
たくさんの著作作品の中から手に取った本は、偶然にも、優れた文学者、北杜夫を語るにふさわしい3冊を読んでいたのではないかと今さらながら思う。

「夜と霧の隅で」
「どくとるマンボウ青春記」
「若き日の友情」
「夜と霧の隅で」で、彼は一度も住んだこともない憧れのドイツを舞台に、ナチス政権下の精神病院に勤務する医師たちを中心に人間存在の不安を書いて33歳にして芥川賞を受賞した。若くして、深く透明な洞察力をもつ、そんな北杜夫さんを育てたのは、旧制松本高校の土壌だった。当時のおかしくもバンカラな高校生活を中心にしたエッセイものが「どくとるマンボウ青春記」。北さんは、生前、 母校のことを、学校の勉強以外で教師や友人と深く触れ合ったのが旧制高校で、「松本高校(現信州大)に入ったことが人生の転機になり財産になったと思っている」と語ったそうだ。

旧制高校は、小学校(6年制)の上に5年制の中学があり、更に1%未満の厳しい受験競争を勝ち抜いたエリートが入学する学校(男子校)だった。1学年200人ほどのほどよい生徒数に、貧しくもお互いに切磋琢磨する寮生活。先輩・後輩のみならず、うらやましいのは教師達との濃密なふれあいである。物理の試験がさっぱりわからなくて詩を書き綴った答案に59点(60点以上が合格)をつけた教師、トーマス・マンと出会い、その翻訳者として名高かったドイツ語教授として赴任していた望月市恵氏を尊敬し、終生の友となる先輩、辻邦生との友情の出発点も旧制松本高校だった。”僕のリーベ”ではじまる作家の辻邦生さんとの往復書簡集「若き日の友情」は、乙女心もわくわくする女子禁断の、まるでドイツのギナジウムのような旧制高校の雰囲気がただよっている。野蛮さと繊細さ、しかし、そこにはぶあつい教養の萌芽が確実に根ざして育っている。

大学は大衆化とともにマスプロ教育化していき、教授とのふれあいどころか、友人とのつきあいもサークル活動などに限られてきた。エリート教育から、平等、そしてゆとり教育へ。ゆとり教育の弊害で知力のないこどもが育ち、その一方で、受験に特化した中高一貫教育校の人気、かってのナンバースクールだった都立高校の凋落。数学は高校一年で修了する文系の受験者、高校で生物を学ぶことなく医学部に進学していく医学生。いずれも、受験で有利になることを視野に入れた、受験のための勉強ではないだろうか。躁鬱病という病を抱えて、84歳の生涯を存分に生きた北杜夫さんの本から、感じることは多い。

軽妙なトークが好きな阿川佐和子さんが、若かった頃、さわちゃんの結婚式では、遠藤周作はピエロの格好して、吉行淳之介は着流し、北杜夫は阪神タイガースのユニフォームで出席すると言っていたそうだが、みんないなくなり、残っているのは父だけだとラジオでしんみりと語っていたそうだ。

「いい人で、すぐれた文学者であることは間違いありません。でも、それ以上に『上等な人』としか、言えないような方でした。人品骨柄が普通と違う」と、長年担当した元・新潮社の栗原正哉さんはこう回想した。

■アーカイブ
「夜と霧の隅で」
「どくとるマンボウ青春記」
「若き日の友情」辻邦生・北杜夫 往復書簡集

情熱大陸 長谷部誠

2011-11-13 22:30:43 | Nonsense
一年365日、私にとって最旬な男はGacktしかありえないが、最近、ちょっと気になる男性がいる。
その人は、サッカー日本代表キャプテンの長谷部誠さん。忘れもしない昨年の「Number761」のアスリートの本棚。の特集号で表紙を飾り、「読書で心の筋肉を鍛える」と爽やかオーラの笑顔にゴール・・・だった。私の中のサッカー選手のイメージと随分違った印象をもったのは、身長180センチ体重72キロの長身はネクタイをきりりとしめたダークなビジネス・スーツが最も似合いそうだったからだ。しかも、整然とした本棚に読書が大好きな姿は、他のサッカー選手と雰囲気も違うし、何よりも顔立ちがよくも悪くも野生的でなく端整。そんな長谷部さんが登場する情熱大陸、これは女子としても観なくてはいけない。

番組によると長谷部さんはサッカーの盛んな静岡県藤枝市出身の27歳。高校在学中はそれほどめだって活躍する選手ではなかったのだが、たまたま同僚を見に来ていたサッカー関係者の目にとまり、誘われて浦和レッズに入団。その後、頭角を現し、2008年1月ドイツ・ブンデスリーガのVfLヴォルフスブルクに移籍してドイツでの活躍も4面めにはいった。今年の9月17日GKのマルヴィン・ヒッツがレッドカードで退場し、既に交代枠を使い切ったために、長谷部さんが急遽GKを務めることになった。番組は長谷部選手の経歴を簡単に紹介しながら、現在の暮らしぶりを映していく。

住居は、小さな街ヴォルフスブルク市にある3LDKのマンションにひとり住まい。独身!
ちらりと映った室内はさすがに”心を整える”と提言されている方だけあって、室内も完璧に整えられている。家具などのドイツ製品の機能美が、長谷部さん流機能美によくマッチングしている。女子的な余計な飾り物など見当たらない。番組の担当者から彼女はいないのですか、とストレートに質問されると”募集中”との即答があり。ベランダで読書をするのが、今一番の至福の時間と語る長谷部さんを見ていると、ひとりの時間の楽しみ方が得意な方だと思う。私自身も読書好きなのだが、そういう人は日常生活でひとりになる時間が必要不可欠だったりする。ちなみに、長谷部さんの好きな人は、本田宗一郎はよくわかるのだが、意外にもだらしなく自堕落で厭世的な太宰治だそうだ。

番組は、スポーツタイプの黒い車を運転し、チームメイトのシェーファーさんと楽しく食事をする場面が流れる。シェーファーさんによると「普通は2~3年かかるドイツ語をマコトは半年でしゃべっている」そうだ。更に、毎日、読書感想、その日の練習、自分が監督だったらという監督ノートの合計3冊のノートに記録をしている。こんなところにも努力家の一面がうかがえる。また、毎週一度は通うお店で朝食をとるのだが、写真を撮って栄養士さんに画像を送っている。ファッションもシックで、眼鏡もなかなか似合っている。ファンとは肩をくんで写真を撮り、とすっかりドイツのチームにとけこんでいる長谷部さん。後半、欧州在住のサッカー選手らとデュッセルドルフのレストラン、和室で日本食を楽しむ様子も紹介されるのだが、キャプテンとして真面目に思うところを語る長谷部さんに、いきなり内田さんが「彼女できませんよね!」と斬り返してきた。長谷部さんは、やはり日本女性がよいが出会いの場がないと言い訳?をしているが、あの清潔で無駄のない部屋と趣味が読書では、なかなか女性に求めるレベルが高そうだ。心、部屋、それだけでなく、容姿も整えている長谷部さんはかなりもてると思うのだが。

代表戦に向けて旅立つスーツケースには、スパイク2足にサンダルのみ。荷物はこんなもんですよ、と爽やかに微笑む長谷部さんだったのだが、結婚って、様々な荷物を背負い込むことだよ、、、とついつっこみたくなってしまった。

とんでもない”Resource Action Program”

2011-11-12 16:05:14 | Nonsense
加齢とともに遅れがちな肌代謝サイクルをサポートし、理想的な角質層を育てることを目指した美容液。
デパートから届いたクリスマスに向けてのコスメ特集のパンフレットにあった宣伝文だが、毎日お肌がしっかり代謝してくれたら、いつでもすべすべの赤ちゃん肌なのに。古く役立たない細胞を捨てて、ぴかぴかの有能なお肌にリニューアルしたい。そんな乙女心を実践している外資系企業がある。そう、誰もが知っている超一流IT企業の、情報誌「選択」で知った恐るべし新陳代謝のプロジェクトなのだ。

各部門長宛てに作成されたプロジェクト名は「2008 4Q Resource Action Program」。冒頭には予定数の達成が、我々リーダーのAccountabilityと強調されていて、要するに人事考課でBottom15%の社員の人材を退職させるプロジェクトだそうだ。売上目標ではなく、社員のクビ切りノルマには、ちゃんとフローチャートで優しく丁寧にカイシャが教えてくれる。まずはターゲット(Bottom15%の対象者)を選定し、退職面談をする面談者をトレーニングして、あくまでも本人の自由意志に基づいて決断するようコミュニケーションをしてください、とアドバイスをしてくれる。このフローチャートは何度やってもどのルートをたどっても、自由意志による退職がゴール!成果は、毎週社長臨席の会議で点検される。ここで、プロジェクトの遂行が滞ったら、今度は自分がBottom15%に落とされるというデンジャラスな気分も味わえるかもしれない。まさに勝ち組は残り、負け組は退場。

上司に嫌われた人や逆らった人も含まれるので、素直に応じない社員に用意されているのが、「Performance Improvement Program」(業績改善プログラム)。業績が伸びない社員に面談を重ねて改善を図るこのようなプログラムが用意されているとはありがたいのだが、本来の目的とは違う使い方もあるのがこのPIPだ。「改善目標管理シート」を手渡されて改善を要する点が書き込まれているが、改善されなかった場合の対応の可能性として「降格、解雇」が記されている。最終目標は改善よりも解雇なので、面談のたびに責められるそうだ。実際、昨年11月に大阪労働局長が名誉毀損するおそれのある発言が認められたと是正を指導した。

しかし、業績悪化なら兎も角、このプロジェクトは毎年相対評価によって必ず発生するBottom15%の人材を代謝させるためのプログラムなのである。すさまじい新陳代謝は会社側のコメントによると”市場ニーズに応じた人材適正化”となるそうだが。ところで、このPIPは外資系を中心に浸透しつつあるそうだ。このカイシャの会長は、社長時代に、「我々が毒見して大丈夫となれば日本の会社の皆さんもやりやすい」と雑誌に語ったそうだが、ビジネスマンとして有能であっても人間性に疑問を感じる私が間違っているのだろうか。

私のお肌も毎年Bottom15%の新陳代謝がすすめばと願いつつ、外資なら当たり前なのかもしれないし、優秀な人材が集まり福利厚生も整い、看板の信頼性も高い超優良企業、しかし、カイシャのこんな新陳代謝方法は勘弁だと正直思う。昔憧れたカイシャの社名は、SF映画の金字塔とも呼ばれる作品の人口知能をもつコンピュータの名前にも暗示されてくらい、その分野の象徴なのだが。

中国にのみこまれるイタリア

2011-11-08 22:52:13 | Nonsense
ドイツでは、そろそろクリスマス用品が店頭に並ぶ頃。クリスチャンでなくてもクリスマスが気になる行事となるのは、クリスマス商法にのせられているからだろうか。グッチ、プラダ、ブルガリ、フェラガモ、、、ついつい目がひかれてしまうのだが?イタリアを代表とするこれらの高級ブランドが、実はメイド・イン・イタリー・・・だが、実態はバイ・チャイニーズにぬりかわっているという「選択」でのお話である。

イタリア経済を支える高級ブランドは、洗練されたデザインと伝統を支えていたのがイタリア人工芸職人の技だったのだが、現在は、中国の下請け製造業者に依存することが多くなってきた。ファッション、車、陶磁器などのブランド品の製造する中心地にひろがっているのが、チャイナタウン。その数、数千~数万人規模の中国人居住地が出現しているという。それらの中国人居住区には、スーパーマーケット、食堂、就職斡旋所などを含めて、必要な都市機能はすべてそろっている。フェラガモやグッチなどの高級ブランド各社の製造は、工賃の高いイタリア人職人から、割安価格の中国人下請けにシフトしている。わざわざ中国まで依頼することなく、同じ地域に住む、格安の中国人業者に下請けにだせば済むのだ。中国にとっても、贋作を作る必要はなく、本場イタリアでブランド各社と契約を結び製作をすればよいという、まさにWINWINの関係になる。

問題は、メイド・イン・イタリーが、イタリア人が作ったのか、中国人が作ったのかの違いではなく、中国人居住区を仕切るのが中国マフィアであることだ。たとえば、プラトでは犯罪が発生しても地元警察は殆ど手をだせず、また、人口20万人で5万人いる中国人(合法的な移民は1万人)たちの過酷な労働現場では、最低賃金、就労時間、児童労働、安全基準などのイタリアの法律規則は適用されていない。イタリアのもうひとつの”伝統”は高級ブランドだけではなく、”マフィア経済”であるが、彼らとはシチリア島出身で南部を統治する彼らとは、地域ごとにうまく棲みわけて上手に共存して根をはっている。

おりしもユーロ危機が世界経済を不安に陥れている中、10月23日にブリュッセルで開催されたEU首脳会議では、ギリシャ問題以上にイタリアに議論が集中したのだが、ベルルスコーニ首相はまるでやる気がなかったそうだ。これには、イタリア経済界も怒って「緊急経済対策」を首相に求めたところ、「お金がない」との回答で一蹴した。確かに、首相はカラヴァッジョの「聖パウロの回心」を狙えるほどのとんでもない資産家だが、イタリアの国が傾いていていてお金がないのは事実。しかし、ベルルスコーニ首相が呑気でいられるのは、すっかりイタリアを侵食している中国に、政府系ファンド「中国投資(CIC)」に国債や借金を引き受けてもらうよう交渉中だからだという説もある。

危うし、イタリア!それにしてもイタリア在住の経済記者の次の言葉には、泣かされる。

「すでにイタリア経済は中国にのみこまれつつあり、製造業では運命共同体である」

そういうのを亡国って言うのではないだろうか。あっ、今年の春に買ったフェラガモのバックももしかしたらメイド・イン・イタリー・バイ・チャイニーズなのか。それも大きな問題だっ。

ドイツの旅

2011-10-31 22:46:24 | Nonsense
3回目のドイツ旅行から(いやドイツ詣でか?)、先日、帰国したばかり。

最初は2005年11月末に、旧東ドイツを中心にオスタルジーと音楽をテーマに充実した旅行だった。2回目はとりあえずの観光目的に、昨年7月に各地(ベルリン、ローテンブルク、ニュルンベルク、バンベルク、ドレスデンなど)を通り過ぎた。観光目的ならば気候のよい時期と、7月は少々暑かったがそれはそれで楽しかったのだが、やはり暗い、重い、寒いっ時こそヨーロッパ!と考える私は、今回は10月下旬を選び、しかも初の個人旅行を敢行したのだった。英語が全くできないのに無謀ではないかと自らの身を案じつつ、大手旅行代理店主催の個人旅行(往復飛行機+宿泊ホテル+空港から日本語でのホテルの送迎&チェックインのお手伝いあり)のパックを申しこんだ。多少お高め?だが、初めての海外個人旅行としては正解だったのではないかと思う。理由として、ホテルのグレードも高く、ビジネス席直行便という条件でネットで調べてみると旅行代理店主催の個人旅行でもそれほど高くはなかった・・・と信じたい。同一条件で、ANAの「マイレージクラブ会員限定ツアービジネスクラスで行く!ひとクラス上のフランクフルト」 があるが、少なくともネット上ではJALよりもANAのサイトの方がわかりやすく顧客ニーズにそっていると感じる。(ちなみに、フランクフルト市内を観光する際には、ネットで見つけて印刷しておいた「JAL MAP」が大活躍した。この地図がなかったら、徒歩1分程度のすぐ近くのトラムの駅からホテルまでたどり着けなかったかも?)

それは兎も角、初めて利用したビジネスクラスは噂に違わずとても快適だった。ベテラン客室乗務員がわざわざご挨拶に来て、まずはウエルカム・シャンペンで乾杯するとほどなくメイン料理が運ばれる。勿論、そこでワイン、ビールなど好きなものを注文。前菜、メイン、デザートも文句なく美味しい。和食などは、ちょっとした懐石料理並み。大はしゃぎする私を除いて、他のビジネス客はカップルもいたが、ひとり客が多く、淡々と呑みかつ食事をした後はさっさとシートを倒して到着近くまでお寝すみになられている。みなさん、旅なられてらっしゃるというか、いつもビジネスで飛行機を利用している感じがする。それにしても、少し眠った後に映画を観始めるやいなや、「○○様、お飲み物はいかがでしょうか」、とこちらの胸のうちが聞こえているかのようにちょうどよいタイミングで客室乗務員の方が声をかけてくれるのは感心した。笑顔、優雅な身のこなし、気配り、仕事とはいえさすがに日本の客室乗務員は一流だと感じた。今はプロ野球選手の結婚相手に女子アナが勢力を伸ばしているが、ひと頃昔はスチュワーデスが人気だったのも頷ける。12時間近いフライトも、ビジネスクラスだと本当に快適だ。窮屈でわびしい食事が配給されるエコノミー席を思い出して、初めて自分のなかに”優越感”というダーティな感情が芽生えたのは予想外だったが(笑)。

さて、今回の旅行で感じたのは、予想外にドイツ人は感じよく親切だったこと。ハイデルベルクでビールもそこで製造している地元っ子に人気のお店に入ると、呑み助たちがわんさかいて大賑わい。隙間を見つけて席をずらしてもらって席を確保するものの、ウエイトレスさん達が忙しくてなかなか注文に来ないと思うや、しきりにカウンターで呑んでいたおじさまが、店員さんに声をかけて私たちには「すぐに注文をとりにくるよう店の者にオレが話しをつけておいてやったから、大丈夫」とアイコンタクトをしてくる。ダンケ シェーン!しかし、この小さな大学都市では一泊したのだが、観光地としても人気があるせいか、活気があり、英語も飛び交い、気楽に美味しいビールを呑むには最高の街だった。学生街という青春の息吹の中、ライトアップされたハイデルベルク城やカール・テオドール橋も情緒たっぷり。私も、心はハイデルベルクにおいてきたかも・・・。

勿論、リューデス・ハイムではアイス・ワインを堪能し、フランケン・ワインをお土産に購入。旅行をきっかけにドイツ精神と経済にせまりたいと考えつつも、なんだ、この中身のない文章は、、、情けない、いまだにビールの酔いが残っているのかも。続きはおいおい。。。

■Archiv
ドイツ雑感
ベルリン・ドイツ交響楽団
メルケル首相が鑑賞した絵画 マネ「温室にて」
「ヒトラーとバイロイト音楽祭」ブリギッテ・ハーマン著
「ドイツの都市と生活文化」小塩節著
「アルト=ハイデルベルク」マイヤー・フェルスター著

先進国で最も高い日本の自殺率

2011-10-04 22:43:56 | Nonsense
先日、コンサートの帰宅途中の列車に乗っていた時のことだった。対向車とすれ違った瞬間に聞きなれない妙な音がしたかと思うと、案の定、列車は線路上で緊急停止してしまった。車内放送で人身事故による救出作業のため列車を緊急停止したとの放送があり、しばらくこのままお待ちくださいとのこと・・・。誰かが思わず小さく舌打ちする音が聞こえてきた。高校生の頃は、人身事故はものすごく恐い大事件だった。しかし、現代の都会の通勤列車の人身事故は、悲しいことに日常茶飯事だ。いったい、いつからこんなに人が列車に飛び込む世の中、日本になったのだろうか。

1998年から現在に至るまで、日本の自殺者は年間3万人を超えるという。自殺率という統計によると先進国の中では最も高いそうだ。宗教観から、自殺を罪と考える欧米との違いもあるが、このような高い自殺率について、精神科医の岩波明氏は情報誌「選択」で、日本では自殺を暗黙のうちに寛容している”世間”の合意があるととても厳しい感想を語っている。明治時代の一高生、藤村操の華厳の滝入水にはじまり、高野悦子さんの「二十歳の原点」などにみられるように、哲学的な死を美化して憧憬の感をもつ思春期を通過した人も格別珍しくはないだろう。しかし、岩波氏が言うそもそもの”世間”とはいったいなんぞや。

元一橋大学長の阿部謹也は「日本には欧米流の”社会”とよべるものはなく、存在しているのは”世間”だ」と喝破した。日本人は常に世間の枠組みでの中で生きてきて、世間から相手にされなくなることを恐れ、排除されないようにひたすら努力を重ねてきた。このような世間では、個人が尊重されることはほとんどない、と言われるとなんだか身にしみてとてもよくわかるのは私だけだろうか。欧米よりもまだ低い失業率にも関わらず、男性や中高年の自殺者が多いのは、日本型終身雇用が破綻し、小泉政権の構造改悪によりリストラされた男たちが、社会的に価値がないと”世間”からすべり落ちた存在にされていることにも原因がある。「選択」では、今の日本を冷酷な社会ときっている。

また経済協力開発機構(OECD)の2005年の調査によると「友人や同僚との付き合いがなく社会的に孤立している」との回答は、調査国の中で15.3%と日本が最も多かった。確かに昔の家族的な雰囲気の会社は少なくなっている。評判が悪いがカイシャ主催の運動会、社員旅行もそれどころではなくなってきた。電力不足回避の節電対策もいつのまにか経費節約にシフトして、なんだか職場も不景気で暗い雰囲気がある。もっと問題は、未来を担うこどもたちだ。08年のユニセフ調査では、孤独を感じる15歳は30%。時には根源的な孤独を感じるのも成長期の証だとしたいところだが、この孤独の質もそうではなさそうだ。バブル崩壊から長引く不況のトンネルの中、悲観的になるのも無理からぬことだが、”世間”の空気は冷たいのは間違いない。

最後の皇太子オットー・ハプスブルク氏の葬儀

2011-08-04 23:07:17 | Nonsense
【最後の皇太子の葬儀行う ウィーン、心臓はハンガリーの修道院に】

第1次大戦まで中欧に広大な領土を有したオーストリア・ハンガリー帝国最後の皇太子で、4日に98歳で死去したオットー・フォン・ハプスブルク氏の葬儀が16日、帝国の首都として栄えたウィーンで行われ、欧州の王族や政治家、市民ら千人以上が参列した。
ハプスブルク氏のひつぎはこの日、ウィーンにある帝国皇帝の納骨所に安置された。AP通信によると、ハプスブルク家の伝統にのっとり取り出された同氏の心臓は、本人の希望でハンガリーの修道院に。
ウィーン中心部のシュテファン寺院で行われた葬儀には、スウェーデン国王夫妻やオーストリア、マケドニアなどの首脳らが参列。葬列は、沿道の市民や観光客らが見守る中、納骨所までウィーン旧市街を進んだ。


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ハプスブルク王家の最後の皇太子、オットー・フォン・ハプスブルクOtto von Habsburg氏が7月4日に98歳で永眠した。最後の皇太子オットー氏は、フランツ・ヨーゼフ皇帝の後継者である唯一の息子ルドルフが31歳の若さで情死した後、皇位継承者となった弟のフランツ・フェルディナンドの甥の長男として生まれた。ところが、フランツ・フェルディナンドが、1914年に妻のゾフィとともにサラエヴォで暗殺されてしまったために(第一次世界大戦のきっかけとなったサラエヴォ事件)、1916年にフランツ・ヨーゼフ皇帝が死去すると父のカールが皇帝になり、オットーも皇太子となった。しかし、1916年にオーストリアが敗北するとオーストリア=ハンガリー帝国は崩壊し、18年秋には650年間続いたハプスブルク帝国も崩れ去った。父カール1世は、シェーンブルン宮殿を後にした国外に逃れた。

その後、政治家として生きたオットーだが、オーストリアがドイツに併合された時に、たったひとり、パリからフランスの新聞を通じていち早くヒトラーに抗議をして戦いを呼びかけた。

「押しつぶされた国民の名において、すべての国民に訴えたい。再び独立と自由をとり戻す断固たる意志を持つオーストリア国民を支持してくれるよう、すべての国民にお願いしたい。私は最後まで戦う。」

どこからも反応がなかったのだが、唯一の反応がナチスだった。ヒトラーはナチス政権を倒せるのは伝統あるハプスブルク家の復活だという恐怖感をいつも抱き続けていたために、オットー・ハプスブルクを逮捕、死刑に処するとの布告をし、実際に秘密警察によってパリに刺客が送られたそうだ。ふたつの大戦を経験した長い98年間だけでも邯鄲ものだが、本当に数奇な人生だったのだろう。

ところで、オットー氏の曽祖父の兄、フランツ・ヨーゼフ皇帝が1916年に亡くなった時の葬儀は11月30日のことだった。皇帝の遺体がカプチーナ霊廟に着くと、ハプスブルク家の厳かな儀式がはじまった。宮内大臣が固く閉ざされた鉄の扉を銀の杖で叩くと、霊廟の院長が尋ねる。

「そちは何者か。ここに入るを願う者は?」
「それがしは皇帝。オーストリアの皇帝にして、ハンガリーの王なる者ぞ」
と答えると再び
「予はその者を知らぬ。当院に入るを願う者は何者なるぞ?」と問われ、
「それがしは皇帝フランツ・ヨーゼフなる者。ハンガリーの使徒王、・・・(中略)クラインの公なる者なり」と答える。院長はさらに尋ねる。
「予はその者を知らぬ。当院に入るを願う者は何者なるぞ?」
「それがしは、あわれな罪人の一人。神の恩寵を願う者なり」と3度目に宮内大臣がひざまずき答えると
「さらば、入るがよい」
と許され、鉄の扉が静かに開いた。ハプスブルク家の皇帝といえども、神の前ではひとりの哀れな罪人として恭順の意を示す儀式が行われたのだが、最後の皇太子も同じような儀式で別れを告げたそうだ。
それにしても故人の遺志で心臓はハンガリーへ・・・。最後までオーストリア=ハンガリーの皇太子だった。

あの時代が残したもの

2011-07-18 09:53:25 | Nonsense
早朝、「なでしこジャパン」の日本のスポーツの歴史をつくった大金星の活躍には、久々に胸が躍った。ルールを設けて、正々堂々と闘って勝利するということにこれほど盛り上がるということに、人間にはよきにつけ悪しきにつけ、本来、闘争本能が装備されていることを実感した。それが、スポーツという素晴らしいフィールドで表現されるのが近代の文明ということだろうか。

ところが、時代が違えば、列車に間に合っていたら、もしかしたら自分の中にもあるかすかな闘争本能が権力や体制に向かっていたかもしれない、と思ってしまうのも60年代の学生運動だ。産経新聞社会部がまとめた「総括せよ!さらば革命的世代」より、リアルタイムで続いている某大学と党派の攻防を前総長(1994~2002年)で現在は学事顧問を務める奥島孝康さんのインタビューから。。。(詳細は本書を読まれたし)

W大学の学園祭は日本一の学祭で入場者の数は15万人!当時の学祭期間中は、学生や教師であっても入場券かわりの1冊数百円のパンフレットを購入しないとキャンパスに入れなかったそうだ。たこ焼きを売って、サークルの活動費を稼ぐという可愛いらしい規模ではない。何しろ、マンモスで人気大学。その売上金は、自治会の主導権を握るある(わかる人にはわかる)セクトの資金源に流れていった。公安関係者によると、サークル補助金の流用も含めて、このセクトに流れていった資金は年間2億円を超えた。

一方では、大学側も不審な新興宗教や悪質な商法をキャンパスから追い出してくれ、セクトをうまく利用すれば学生管理もしやすいという大学側の目論見もあった。
しかし、奥島さんが特に問題視したのは、学生大会でストライキ決議が可決された期末試験の中止というのが、慣例化されていたことだった。なにしろ、値上げもしていないのに、値上げ反対スト決議が可決という事態すら生じ、ちょっと失笑してしまったが、こんなことが長年続けば教育が荒廃すると立ち上がったのだが、学生を追い詰める必要はないと大学執行部は及び腰。当該派に批判的な姿勢をみせようものなら、盗聴器で次々とスキャンダルを暴露されていたからだ。アジトから奥島さんの自宅の鍵もでてきた。こうした慣例を振り切り、93年1月23日、奥島さんは法学部長時代に期末試験を強行する。(おにぎりをほおばりながら教室前でピケをはって抵抗したのが40、50代のおじさん活動家だったというのは、物悲しいが・・・。)激しくもみあいながらも、拡声器で教員が「試験は予定どおりに行う」と伝えると学生が教室になだれこんだ。この事態は、その後の大学VS○○○派との攻防の分水嶺だったのではないだろうか。95年に各学部自治会の公認を次々と取り消し、自治会費の代理徴収もやめ、ついには経理に不透明な大学祭そのものも中止するという手段をとった。

12年に渡る闘いをしてきた奥島さんだが、思想的には”左”で60年安保闘争の時には、クラス委員として赤い腕章をつけてデモの先頭にたっていたそうだ。ともに闘った今も大学に残る”同志”への取材は、大学側からリスクがあるのでと断られた。表面上では、放逐された(撤退した)活動派は、今でも大学近くに拠点をもち潜伏しながら活動を続けているという。

また関西のD大学のように、学生の自治組織「学友会」を解散するところも表れた。同大学の学友会は、自治会とサークルの代表で構成される学生組織で、各サークルからスタッフを定期的に送り込むシステムが定着していた。予算は1億円。しかし、学生気質もかわり、学友会への関心は薄れ、自治会選挙の投票率も低下。学生自治の大切さを認識はしていたが、カルト宗教や特定の政治セクトにのっとられるよりは、休止するよりも2004年に解散を選択した。自治会をなくして本当によいのか、と考えなくもないが、これも時代の流れだろうか。歴史に終止符をうった最後の委員長の決断は、はたして正解だったのか、それとも早計だったのだろうか。

■アーカイヴ
産経新聞社会部がまとめた「総括せよ!さらば革命的世代」