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「ヒトラーとバイロイト音楽祭 ヴィニフレート・ワーグナーの生涯」(上巻)ブリギッテ・ハーマン著

2010-07-18 19:02:56 | Book
ワグネリアンでなくても、音楽好きなら一度は音符の官能の渦にまきこまれてみたいバイロイト音楽祭!音楽鑑賞ツアーもあるが高いっ、それもそのはず世界一チケット入手困難な音楽祭がバイロイト音楽祭。
その音楽祭を総監督として1930年から44年までとりしきった女性がヴィニフレート・ワーグナー、本書の主人公である。ワーグナーと言っても、彼女は生粋の英国人。作家と女優のこどもとして生まれながらわずか2歳で両親を亡くし、親戚をたらい回しにされたがベルリン在住のピアニストの老夫婦の養女となったことで人生が大きく変わる。養父のクリントヴォルトはリヒャルト・ワーグナーの親友でもあり、リストの娘でありワーグナーの二番目の妻でもあるコージマを崇拝していたため、ヴィニフレートも純血種・ワグネリアンとして育てられた。

そして17歳になるや、ワーグナー家の大事な跡取り、同性愛傾向がありおじさんになっても未婚だったジークフリートとセッティングされた”出会い”で一気に恋に落ち、めでたく18歳で結婚。妻としての彼女の存在は、夫の同性愛者というスキャンダルを封印させたばかりか、名門に生まれた一族の子孫にありがちで、趣味趣向に走り大局観に欠けて生活力も乏しい夫を日本人以上の内助の功で支え、またワーグナー家の嫁としても次々の4人のこどもを産むことで大役を果たした。やがて一族の絶対的な存在だった姑のコージマと夫が相次いで亡くなってからのヴィニフレートは、ワーグナー家の家長としても役割を担うことになる。しかも、ワーグナー家の歩調にあわせるかのように、歴史は熱狂的なワグネリアンとしても知られているヒトラーが誕生するようになる。

本書をたどるにあたり、重要なエピソードがある。新妻ヴィニフレートが、後にヒトラーが心から安らげるお気に入りの場所になるヴァーンフリート荘で迎えた初めてのクリスマス。ろうそくの光で輝く特大のクリスマス・ツリーの前でコージマを取り囲みグリム童話の「イバラの茂みの中のユダヤ人」を脚色した笑劇が披露される。金もちのユダヤ人をその下男が魔法のヴァイオリンをつかってだましたため、一度は死刑判決を受けるのだが、絞首台で再び魔法のヴァイオリンを弾いて裁判官と死刑執行人を躍らせて吊るされるのはユダヤ人だと判決をひるがえす。今となっては信じられないような人種学なる学問すらあったこの時代においてドイツ人のユダヤ人を嫌う感情が率直に表れた童話だが、この童話では音楽が死刑を判決する道具としての機能を果たし、また音楽が人々を幻惑するものとして扱われている。

貧困と失業であえぐ”ドイツの救世主”として台頭してきたアドルフ・ヒトラーが初めてヴァーンフリート壮を訪問した時、人妻でありながらまだ若き乙女そのものだったヴィニフレートは、謙虚で控えめにふるまう彼の優れた才能と知性、洗練された美しい作法に深い感銘を受けた。(18歳で結婚した彼女は、未亡人になってから年上の音楽祭の芸術監督を務めるティーティエンに本物の恋をするが、ヒトラーに対しても異性として惹かれていたと思われる。)そして何よりも、一族の事業と位置づけられたバイロイト音楽祭に、ワーグナー信奉者のヒトラーが有力な後援者となってくれることに期待した。余談だが、未亡人のヴィニフレートは、多くの男性に好かれたようだ。あのトスカニーニすら彼女に夢中になった。そんな彼女の期待にもこたえ、自分の芸術への情熱を実現させプロバガンダとしての価値を認めたワーグナー作品を祭るバイロイト音楽祭に力を入れたのもヒトラーだった。一族の経済的事情と稀代のアジテーションが得意だった総統の政治的事情は、バイロイト音楽祭を本来のワーグナー音楽の祝祭から遠く別の次元におしやってしまった。グリム兄弟の「イバラの茂みの中のユダヤ人」の寓話のように、音楽はユダヤ人を絞首台においたてようとするドイツ人の心を鼓舞する太鼓の音の役割を担うようになった。

ヒトラーを崇拝しながらも、彼女は受難にあえぐ数多くのユダヤ人を”ヒトラーの親しい友人”というつながりを利用して果敢にも救ってきた。その不思議な行動には、少女のような正しい目をもつ純粋さがありながら、悪しきことは部下のナチスたちの仕業でヒトラーは把握していないという単純な思い込みが矛盾を受け入れたようだ。彼女の残された多くの手紙からは、情熱的で聡明な資質がうかがわれる。本書はまさにワーグナー家に嫁ぎ”のれんを守る”ヴィニフレートの1897年から1980年まで短命だったダンナの分まで生き抜いた波乱万丈の人生を軸に、20世紀の激動のドイツの歴史を描いている。本書は音楽に興味のない方にもお薦めの優れた歴史書である。上巻は1897~1938年まで。
1938~1980年の下巻へ続く

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