ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

母の日に際して 著書「こころのまっすぐな子に育てる本」より

2015年05月09日 | 著書から
 2001年7月8日 PHP研究所発行
我が家のユニークな子育ての章より、今日は母の日ですが、私が子供達に母と
して接した経験を元に書いた著書の一部から、思春期の中2の出来事について
ご紹介しようと思いました。
 ☆ 先生より娘を信じた
 娘が中学二年のときですが、「お子さんのことで話がある」と、担任の先生に
呼ばれました。その先生がおっしゃるには、「お宅のお嬢さんは大変な問題児で
何時も何かあると先頭に立ち、皆を誘導して校長室まで抗議に行く」と言うことで
した。さらに、「来年は高校受験だけれど、こんなに個性が強いお子さんは、とても私立高校では無理だと思うので、比較的開放的で自由な公立の高校に進学した方が
良い」と話されたのです。私は自分自身もかなり目立ちたがりの上、個性的な中学生でしたので、先生の話にはまったく動じませんでした。
 
 そして私はこう言ったのです。「先生にはご心配やご迷惑をおかけして申し訳ありません。実は母親の私も娘と同じように、とても個性的でしたので、あまり心配は
いたしません。娘が校長室に押し掛けたとおっしゃいましたが、多分それなりの事情があったに違いありません。何故なら、彼女はとても正義感の強い性格ですから、私は娘を信じております。それから進学のことですが、高校は娘の学力に応じて本人の希望した高校に進学させるつもりです」、先生は私の答えに大変驚いているようで
した。こんなとき、多くの母親は仰天し、とても心配するかもしれませんが、私は
先生の意見より、自分の娘が正しいと判断できたのです。
 
 あまり動じない私に呆れたのか、驚いたのか分かりませんが、憮然としている先生に丁寧に挨拶をして家に帰ると、玄関で娘がとても心配そうな顔で待っていました。
 そして「先生に何を言われたの?」と聞いたのですが、私は余計なことは一切
言わず「進学の相談だけよ」と明るく答えました。
 もしも先生に言われたことをすべてを話したら、人一倍感受性の強い娘がとても
傷つことが、私はハッキリ分かっていたからです。
 ホッとしたような表情に戻ってはいましたが、何かは感じていたようです。
大学生になったある日のことですが、昔のことを思い出した会話から、その日の
ことを、「あのとききっと先生から言われたはずなのに、ママは一言も叱らなかった
でもそれがとても有難かった」と言って、娘は「あのときはママ有難う」と言って
くれたのです。私が言わなくても、先生に私が呼びつけられた理由は、ハッキリ
分かっていたのでしょう。 
 
 ☆ 学校に抗議する
 息子は小学生の時からスイミングクラブで何年も水泳を習っていて、泳ぐことが
大好きでした。それは確か中学二年の出来事でしたが、こんなことがありました。
 ある日学校で健康調査があり家族や祖父母も含めて、病歴や健康状態を用紙に
記入し、本人に持たせたことがありました。
 すると、次の日学校から帰ってきた息子が、ションボリしてこう言うではあり
ませんか。「もう僕はプールに入れないんだって」「え!どうして、水泳が一番得意
じゃないの、何かあったの?」と私は驚いて聞き返しました。
 すると息子は学校に提出した健康調査の中に祖父が心筋梗塞で死亡したと
書いてあるため、当人が水泳をすると心臓発作の危険があり、プールに入れられ
と言うことでした。何と言うことでしょう。
 
 心筋梗塞で亡くなったと書いた祖父は、彼が小学校二年のときのことだった
のです。そんな昔のことですし、それだけでプールに入れないとしたらと
直情的な私は猛烈に腹が立ちました。何と理不尽な考えでしょう。
 そんな理由でプールに入れないとしたら、子供達にとって最大の楽しみである
水泳を、一体全国の小学生や中学生は、何人ができなくなるでしょうか。
 私は早速担任の先生にあてて手紙を書いて、次の日息子に持たせました。
  
 内容は「祖父が心臓の病気で亡くなったのが原因で、息子がプールに入れな
いのは、どうしても私は納得できません。何故なら、息子はいたって健康ですし
水泳は息子の最大の楽しみです。もしもそのような理由で子供達がプールに入
れないとしたら、我が息子以外にも数え切れないほど対象になる子供達はいると
思います。それは可笑しいではありませんか。どうぞ息子に水泳をさせて下さる
ようお願いいたします。もしも息子がプールで心臓発作を起こし、たとえ死亡
したとしても学校には一切その責任は問いません。ですから今日から息子を
プールに入れて下さい」と言うものでした。

 その手紙が効を奏したらしく、次の日から息子は早速水泳ができるように
なったのです。実は学校で決められた問題を、担任の先生も内心「これは可笑し
いな」と感じていたらしく、早速職員会議で先生方が話し合いをし、その理不尽
さをみとめたのでしょう。その後息子は、担任の先生から「小池のお母さんは
偉い!」と褒められたそうです。
 私が子供のことで学校に抗議したのはその一回だけでしたが、学校によっては
画一的で納得できないこともあり、そんな時には意見を言ったり、抗議したり
する勇気も、子供のためにある程度は必要ではないでしょうか。

 
 



それぞれの介護 (前)

2015年05月09日 | えっせー
友人は夫の介護をしてから10年近くになる。
病人なのに今でも毎日ウイスキーを飲むそうだが、トイレが間に合わず失禁
する。仕方なくおむつを当てたら、それがビショビショになるまで黙っていて
下着だけではなく布団まで漏れることが時々あり、毎日その洗濯に追われて
いるとか。ご主人は二階に寝ていて、三度の食事を枕元まで運ぶそうだ、友人
は膝や腰が悪く、整形外科では「あまり歩かないように」と言われていても
そうもいかず、毎日階段の上り下りだけでも大変らしい。
 
 大分以前のことだが、彼女と南フランスへ行ったことがあった。
私は早朝夫にトランクを持って、新宿のリムジンバス乗り場まで送って貰ったが
その時友人のご主人も見送り?に来たが、彼女は大きなリュックを背負いさらに
大きなバッグを持っていた。見送りに来たご主人は手ぶらなので、私は驚いた。
 その時彼女は「あなたがびっくりしたけど、日常生活はすべてあの調子よ」と
言った。そんな夫を長年介護しているのは、本当にストレスがたまるのは当然
だと思う。さらに彼女には、まだ孫の世話も追いかぶさっている。

 まだ若い知人は、自分の母を引き取り自宅で介護している。
内向的で遠慮がちだが、そのくせ一緒に暮らし始めてから、まだ元気だったとき
にも、仕事を持っている娘を気づかう訳でもなく、家族の食事の準備をただの
一度もしたことはなかった。何度か入院したが、その度に仕事を持つ彼女は大変
な思いをしている。またあまり人に会ったり、外に出るのが好きではなく
「デイホーム」へ通わせるのも大変らしい。
 高齢になれば当然だが、病院の内科、消化器科、整形外科など、いろいろな科を
たらいまわしされ、その付き添いに一日がかりのこともあり、仕事もほとんど
できないそうだ。これがいつまで続くのかと思うと、気持ちが暗くなるそうで
それを聴いている私も、思わずため息が出るほどだ。

 それに比べたら、認知症の夫は大変扱いやすい。短期記憶は全然できないが、最も
妻として嬉しいのは、日常会話がごく普通にできることだ
 無論月日も分からず、金銭の管理できないので、私の日常の細かい雑用が増えた
ことは確かだし、細かいことをいちいち数え上げたらきりがない。
 でも着替えは一人でするし(私が揃えて置いても、気に入らないと自分で選んでいる)毎早朝一人で起き準備をしてにペットを連れて、近くの羽根木公園へウオーキング
に行く。家事も手伝ってくれるだけではなく、お陰で日常生活では全くと言っても
いい程支障がなく、今でも「認知症優等生」だ。
 他人が心配してくれるようなことは、今現在ほとんどないのは、本当に有難い。
ことに言語障害の私をからかうのは間髪入れず鋭く、「主語がない」「その表現
変だ」「何を言っているのか全然理解できない」など、腹が立つほどだ。
 でも、それももしかしたら、彼の頭の活性化に役立っているのかも知れない。
今まで4年間いろいろな方法を試してみたが、夫がいつも明るく穏やかなのは
何より私の対応法がベストだったと気づいた。
 それをお話しすると長くなるし、もし認知症のご家族を持つ方のお役に立て
るかも知れないので、明日改めてご紹介しましょう。

人気ブログランキングに参加しました

人気ブログランキングへ