☆こんな不思議なことがあるなんて・・・
心理学について書いていたとき、何気なく見たら何年も前に書いた投稿記事が3位になっていて「こんなことあるのかしら!?」と、本当に驚きました。
これはきっと毎日読んでいて下さる方に、「その経験をお話したら」と、もしかしたら、神様の啓示かしらと感じて、再投稿いたしました。
シュタルト療法のセミナーを受けて 2
2009年09月05日 | Weblog
☆ わたしの個人ワーク
先生に指示され恐る恐るホットシートに座ったわたしに、「あなたが持って
いる問題は何ですか?」と聞かれた。「わたしはとても淋しがりで臆病です。
暗闇はとても怖いし、一人でいて淋しくなると、息が苦しくなります」
と言っているが、これは今で言うと過呼吸症候群の状態だ。
すると次から次にと先生から「今何を感じていますか?」などの質問があり
それに答えると「同じ言葉を誰かに言いなさい」するとわたしは即「00さん
わたしは今……」とくり返すが、「じっと目を見て、あなたは今天井を見たで
しょ。せっかく開きかけた心のドアがまた閉まっている」と厳しく指摘される。
考えないで、今感じていることだけが条件だが、それがなかなか大変だった。
それをくり返していると、だんだん感情が昂ぶってくる。
やはりワークを受けた人がほとんどそうであったが、わたしも同じように
中ほどではかなり激しく泣いていた。
終わった後に、大勢に抱きしめられたが、一緒に受講した人達からの感想が
いろいろあった。「まるで5歳の女の子のようだったね」
「あなたはダンサーでしょ。いつも人に見られるのが仕事だから、自分から
人を近づけたり、離したりするポーズがクセになったのかも…」
「泣いているときは凄く可愛かったし、僕も一緒に泣きたかった」
「勇気を出して、自分をさらけ出したのが羨ましかった」
「解放された能里子さんは凄く魅力的だった」などなど。
通訳の男性の声が大きく、すべてを聞き取れなかったが、この他にも沢山の
忌憚のないコメントがあった。
その日の個人ワークが、今まで「自分では分からなかった内面と出会い」、また
「大変大きな気づき」を得られたと思う。泣きじゃくりながらも、先生の質問に
一所懸命答えていた自分が思い出され、あの日の情景がありありと蘇った。
それからもさまざまな心理療法を学んだが、わたしの根底に流れている考えや
価値観はやはり、あの実存的な「ゲシュタルト療法の理論」だと感じている。
いろいろな勉強をしたお陰で、まるでガラス細工のように、過敏で神経症的な
資質はかなり少なくなったが、今でもわたしの中に現存しているのは事実だ。
でも、それらの要因が、心理カウンセラーとしては有利であるのは確かで
マイナス面も、必ずしも悪いことではないと実感している。
大昔の自分と出会って、心の中にさまざまな思い出と、懐かしさとがクロス
オーバーしたが、でも、いつも懸命に学んでいた自分が健気で、たまらなく愛しく
なった。わたしがワークを受けたのは1982年7月だった。
それににしても……あのとき一緒に受講した先生方は、すでに何人も亡く
なられ、またわたしも老人になった。
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シュタルト療法のセミナーを受けて 2
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いる問題は何ですか?」と聞かれた。「わたしはとても淋しがりで臆病です。
暗闇はとても怖いし、一人でいて淋しくなると、息が苦しくなります」
と言っているが、これは今で言うと過呼吸症候群の状態だ。
すると次から次にと先生から「今何を感じていますか?」などの質問があり
それに答えると「同じ言葉を誰かに言いなさい」するとわたしは即「00さん
わたしは今……」とくり返すが、「じっと目を見て、あなたは今天井を見たで
しょ。せっかく開きかけた心のドアがまた閉まっている」と厳しく指摘される。
考えないで、今感じていることだけが条件だが、それがなかなか大変だった。
それをくり返していると、だんだん感情が昂ぶってくる。
やはりワークを受けた人がほとんどそうであったが、わたしも同じように
中ほどではかなり激しく泣いていた。
終わった後に、大勢に抱きしめられたが、一緒に受講した人達からの感想が
いろいろあった。「まるで5歳の女の子のようだったね」
「あなたはダンサーでしょ。いつも人に見られるのが仕事だから、自分から
人を近づけたり、離したりするポーズがクセになったのかも…」
「泣いているときは凄く可愛かったし、僕も一緒に泣きたかった」
「勇気を出して、自分をさらけ出したのが羨ましかった」
「解放された能里子さんは凄く魅力的だった」などなど。
通訳の男性の声が大きく、すべてを聞き取れなかったが、この他にも沢山の
忌憚のないコメントがあった。
その日の個人ワークが、今まで「自分では分からなかった内面と出会い」、また
「大変大きな気づき」を得られたと思う。泣きじゃくりながらも、先生の質問に
一所懸命答えていた自分が思い出され、あの日の情景がありありと蘇った。
それからもさまざまな心理療法を学んだが、わたしの根底に流れている考えや
価値観はやはり、あの実存的な「ゲシュタルト療法の理論」だと感じている。
いろいろな勉強をしたお陰で、まるでガラス細工のように、過敏で神経症的な
資質はかなり少なくなったが、今でもわたしの中に現存しているのは事実だ。
でも、それらの要因が、心理カウンセラーとしては有利であるのは確かで
マイナス面も、必ずしも悪いことではないと実感している。
大昔の自分と出会って、心の中にさまざまな思い出と、懐かしさとがクロス
オーバーしたが、でも、いつも懸命に学んでいた自分が健気で、たまらなく愛しく
なった。わたしがワークを受けたのは1982年7月だった。
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