波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

「ウラジオストックの空に夢を」⑥

2020-07-04 13:11:43 | Weblog
パンの宣伝のチラシには義男の独特の言葉が入っていた。「お母さん、このパンはとてもおいしいわ、お母さんの味がする」「そうよ。このぱんはみんなの温かい真心が入っているのよ」昭和の初めには珍しい言葉が日ごとに加えられ、朝の新聞と共に配られていた。東京の三越のパン職人の作るパンは敦賀では味わえない味として評判を呼び、売り切れの日が続いた。義男は自分で考え自分で作る喜びを感じていた。仕事は順調に進んでいたが、心は海の向こうのウラジオストックに向かっていた。早くもう一度ソ連へ渡り、貿易の仕事をしたい。日本とロシアの懸け橋になって仕事をするという夢は忘れたことはなかった。
そんなある日、岡山の田舎から義男を訪ねておじがやってきた。「お前も一人前に仕事ができているようだな。今日はお前に嫁この話さ持ってきたんだ」ときりだした。義男は何処までも素直だった。「わざわざ私のために遠くからありがとうございました。叔父さんの進めてくださる人なら、喜んで迎えます。」とへんじをして、
間もなく義男のもとへまだ二十歳にならない一人女性が嫁としてやってきた。近くの教会で結婚式を終わると、新しい家庭で相川図のパンの仕事に精を出していた。間もなくかわいい男が生まれ義男の家もにぎやかになっていった。そんな時また岡山から義男を訪ねて一人の紳士がやってきた。長身の立派な身なりであごには銀色のひげを蓄えた見事な紳士であった。「🅼さんのお宅はこちらですか」「私が㎡ですが、どちらさまで」と聞くと、「私は山内ともします。岡山であなたのお話を聞いてお願いをしに来ました」と話し始めた。

「新しい道」⑩

2020-07-02 15:39:47 | Weblog
「銀座」は現在でも東京、いや日本を代表する町であろう。私も小さい時から聞かされ一年に一度親に連れられてデパートへ行っていた。三越、高島屋には屋上に子供の遊び場や小動物がいて飽きることがない。普段は浜町の下町で遊んでいたこともあり、現在も山の手は知らない。そんな世界で育ったものにすれば銀座はやはり別世界である。まして夜の銀座は昼間とすっかり変わり夜の顔になる。そんなところは行くことなど全く想像もできなかった。そんなとき、親会社の秘書室長から声がかかった。「🅼君、銀座の店も一軒くらいは使えるようにしておいた方がよいよ。いつか必要になる時があるから、」と言い「私が使っている店があるから一度案内するよ」と言われたのがきっかけだった。まさかそんなことになるとは思わず「そうですね。先輩が言われるなら一度お供します」と言いながらドキドキしていた。そしてその日が来た。タクシーで6丁目の日航ホテルの近くで降りるとその店は、その一角の地下にある小さな店だった。「いらっつしゃい」と今まで見たこともないスタイルの女性が出迎えてくれる。先輩は私を紹介しながら「ママさんは岡山の人で何かと話が合うからよろしくね」と言いながら好きな酒を頼んでいた。私はしばらく話も出来ず緊張していたが、やがて周囲を見ることが出来るようになった。ホステスと呼ばれる若い女性は数人いてボックスの席で接待をしている。
これが銀座かと改めて感じていた。ここでも流しのギター弾きが店を回ってきていたが、ただ聞くだけで先輩の話を聞いていた。お酒は飲めないが仕方なく「水割り」と作ってもらい飲むふりをしていた。ただきれいな女性と話が出来るだけで不思議な雰囲気の中で戸惑っていた・