波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

「ウラジオストックの空に夢を」⑩

2020-07-25 11:12:50 | Weblog
義男は生まれつきひ弱だった。せいも小さく身体は貧弱だった。そのせいもあって兵役検査は乙種不合格で軍隊での採用はなかった。そんな体であったが、毎日の仕事ではかなり重いものも運ばなければならない。当時の運搬は車でなければリヤカーであったが、義男はこのりやかーで20キロの弁柄の木箱を載せ数キロの道を汗をかきながら運んでいた。それは彼にとってはハードな仕事であったが、それが精いっぱいの仕事であった。そんな毎日であったが。日曜日には二人の子供を連れて近くの教会へ熱心に通った。それはどんなお天気であろうと休むことはなく熱心に通った。クリスマスには一日中教会での奉仕につき、牧師と共に時間を過ごしていた。そんな日々を過ごしていたが、日本は戦争がはじまり仕事も次第にできなくなっていた。義男はある時この戦争が大きなものになることを察して身の回りの整理をすることにした。岡山の山内氏の許可を得て若いものも暇を出し、荷物も片付けるようにした。家具は早めに岡山の方へ送り出し、日用品の必要品だけを残していた。業務用の金庫は仕方なく置いてあったが、これは残るだろうと考えていた。船頭は日に日に激しくなり毎日が防空訓練と空襲警報の聯足であった。仕事どころではなく毎日の空襲に備えた落ち着かない毎日であった。そしていよいよ最後の時が迫っていた。義男は幼い男の子と妻を安全に守ることだけを考えていたが、よい知恵が出なかった。「どうすればたすかることができるか。?」