波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

「ウラジオストックの空に夢を」⑨

2020-07-18 15:21:38 | Weblog
1923年に東京、横浜にかけて大地震が起こり、その結果、190万人の人が焼死するという、大災害があったことは、100年を過ぎる現在で葉」知っている人もあまりいないかもしれない。しかし関東大震災としての記録は現在でも大きなものとして残っている。義男はその頃敦賀で商売をしていたために、この災害に会わずにいた。山内氏が訪ねてきて仕事を頼まれたのは、東京が復興し始めていたころであり、その時東京にいなかったことは不幸中の幸いであった。「ベンガラ」という、初めて聞く顔料を扱うことに不安があったが、山内氏の真剣な頼みと東京の店を任されるという話は何もない義男には大きなチャンスでもあった。個人的にはソ連との貿易の仕事が夢であったが、家庭を持ち子供のことを考えると責任を感じていた。人一倍家族を大切に考えて、新しい仕事に取り組むことにした。焼け野原から新しい東京が生まれ始めていた東京へ戻ると早速、事務所を探し始めた。下町の安いところで便利がよいところと浜町付近を歩き、1階」は倉庫と事務所、2階は居
間そして3階は子供部屋の建屋を借りて報告をした。幸い教会も近いところにあり、公園や墨田側も近く、下町情緒の静かな場所であった。
義男は一人で始めたが、そのうちどこから聞いてくるのか、岡山の田舎から義男を頼って働かせてほしいと若者が出てくるので、手伝いをさせながら仕事を教えていた。弁柄は特別なもので最初は何処へもっていけば買ってもらえるか,わからない。山内さんも任せるとは言ったが、どこへ行けばよいかとはわからない。
義男は本を読んで、ペンキ屋さん、塗料やさん、、紙やさん、、糸屋さん、漆やさん、と少しづつお客さんを増やすことが出来てきた。