波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

足跡      「新聞週間」

2017-10-17 15:01:01 | Weblog
今週は新聞週間という事で関係者はかなり力が入っているようであるが、あまり関係記事もなく
嘗ての盛り上がりは全くなくなっている。私が高校生のころ新聞部で広告取りほをしながら学校記事を書きたくて(結局新聞に載る事はなかったが)熱を上げていた50年前とはすっかり時代も変わってしまった。つまり時代とともに情報を伝えるものが近代的になり、文字だけでなく写真を含めて事実を現実の状態のまま動画で同時に伝えることが出来るようになった。
そのことによって情報は新聞の目的ではなく、その事実から得る事のできるあらゆる角度の今後の出来事や将来への影響、その持つ意義などがその焦点になっている。
その事は新聞の今までの役目から新しい存在意義を生み出しているのだが、読者はそれをどう受け止めているのだろうか。単に事実を事実として「あんなことがあった。」「こんなことがあった」と野次馬的にそれを受け流しているのだとすれば新聞はスマホになり、不要の長物としてしだいに減少の道をたどる事になる。
しかし新聞の役目は新しい時代とともに新しい役目を負ったのである。それは世界の動きできるだけ網羅してその日々起きつつある現実を正確に捉えながら、そこから起こりうる今後への影響をしっかりと見つめ、正しく分析しつつ、その影響から想定される事実をしっかり伝えつつ
その備えを伝える事こそ大事なのではないだろうか。
最近の新聞をみていると、やたらにむつ貸し表現をそのままにそれが一つのプライドであり、権威であるかのように書きたてている間が無きにしも非ずだが、読者への理解度も高齢化をふくめて一部の人にだけわかるのではなく、若者が興味持ち、老人でも理解できる語彙をもちいて伝えてもらいたいと希望したい。
外国の新聞は残念ながら語学力の不足から読む機会がないが察するに日本よりは容易な表現をしている矢に聞いている。
是非この機会に「新聞」ももう一度新しいスタイルで出直すことを検討してみてはいかがであろうかと進言する。