波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

   思いつくままに   「プール」

2014-09-05 09:43:28 | Weblog
トリオのじじが今年の春「初期の認知症」と診断されて半年になる。表面的には何も変わりなく見えるがその言動や行動を注意してみていると数年前の内容とは変わっていることが分かる。何事につけすべてに自信があり、知識とその見識に他の追随を許さないことが自慢であり、「売り」だったはずだが、それが殆ど見られなくなり口数も減り目の前のことだけに絞られているみたいである。
「おはよーさん」ある日裏庭からそのじじが顔を覗かせた。「珍しいですね。よくいらっっしゃいました。」と招くとあがってきて「最近倅とプールへ行っているんだ」と言い出した。忙しい仕事を持っている息子が父親の世話を考えて連れて行ったと見える。話を聞いているうちに何となく私を誘っているようなので「お供しましょう」と言うと嬉しそうだった。この近辺には幸いなことにプールが何箇所もあり、屋内屋外とその季節によって利用できるようになっている。私はジムのトレーニングをやめて数年が過ぎているので急に水泳と言われて果たして体がついていけるかと一瞬ためらったが、このじじが出来ると言っているのだから何とかなるだろうと行くことを約束した。
翌朝10時市民プールの空は晴れ、気温32度、水温30度のプールへつく。用心のため準備体操を念入りにして恐々プールに足を入れる。そして暫くそのままの状態で様子を見る。
水面に一陣の風が吹き、水面にさざなみが立つ。そしてそろそろと水中歩行を始めた。
25mを何度か往復しているうちに少しずつ自信がつき昔覚えた平泳ぎやクロールを泳いで見る。じじはどうしているかと横を見てみると50mを足をつかないでゆっくりゆっくりと完泳しているではないか。見事と言うか、その年齢(81才)としては立派なものである。あっという間に時間が過ぎていく。
何十年ぶりだろうか。こんな時間を持つことが出来るとは想像もしていなかったが、爽やかで気持ちの良い時間が与えられたことが本当に嬉しかったし、感謝であった。
じじの一言がなかったら、こんな時間はなかったかもしれないと思うと「持つべきものは友」と改めて知ることが出来た。
プールを出て帰りがけに食べたアイスクリームの味も忘れられない今年の夏の思い出となった。