波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

     思いつくままに

2011-02-09 10:28:49 | Weblog
最近は本を読むのも少し億劫になり、目がすぐ疲れて長くは読めなくなっている。
そんなある日、ある本を読んでいて「人間は元々余り進歩しない動物なのである。」と書いてあるのを見て興味を持った。古来アダムとイブの時代からすれば人間も時代と共に進化し進歩しているのだとばかり思っていたからだ。
その説明によると時代と共に進歩すると思うのは化学文明に気を取られて人間そのものを見つめることを忘れているだけだとあった。
そういわれて考えてみると確かに生活も豊かになり、肉体的には発育もよくなり、医学の進歩で死亡率は減り、寿命も伸びているのだが、それで進歩していると言えるのだろうか。学校を済ませて成長するに従って自己中心的にはなっても、本当の意味で人間として身につけたい勇気、正義、英知、隣人愛は教えられて知ってはいても、それを守るか守らないかはその人の生活環境や性格で次第に異なっていく。当に個人の問題だ。
それに比べると科学は時代と共にどんどん進歩して古いものの上に新しいものが生かされて、始めのものから比べれば想像もつかないほど立派なものに進歩していることは
飛行機であれ、車であれどの分野でもはっきりと確認できる。そこには始めのものが無駄になるものはなく、その上に積み重ねるように新しいものが生まれ、進歩していくのが分る。だから人間が作るもののなかには著しく進歩するものと、一代限りで終わるものとあることを覚えておかなければならないのだろう。
それが証拠に人間は親がどんなに立派であってもそれを基にしてそれ以上に進歩して親以上に立派に成長していくという事は無いのが分る。つまり精神活動は一定の枠の中でとどまり、それは数千年たった今も変えられないのである。
そして精神面が進歩しないままでいて化学文明だけが進歩するとどうなるか。
其処には憎しみや嫉妬から生まれる裏切りや争いだけがなくならず、その方法だけが大きくなり、被害になって表れてくる。
今頃そんなことに気が付いても遅いといわれればそれまでだが、遅ればせながら少しでも進歩して終わりたいと言う願望もある。そのためにどうするか。それは人間として大事な人間愛、そして隣人愛を強く思い、自分に課せられたものを真剣に考え、それをいかすために
何が出来るかを考えたいと思っている。それがどんなにささやかな、誰の目にも止まらないことであっても、ちゃんと見ている方がいることを信じて!

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