波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

     白百合を愛した男   第67回

2011-02-11 10:31:14 | Weblog
時間が経つにつれて店の中が賑やかになってくる。話す声も少し大きく聞こえ、笑い声もひっきりなしだ。8時を過ぎた頃、「今晩は」と一人の男がギターを抱えて入ってきた。
その頃(昭和50年ごろ)まだカラオケなるものは普及せず、昔ながらの「流し」が店を廻っていた。リーゼントの髪をぴったりとなでつけ、満面の笑みを浮かべ客の様子を見ている。ママが奥を指差すと小上がりの座敷の方へ向かう。そこで飲んでいた客が呼んでいるらしい。ぺたりと横坐りになってギターをかき鳴らす。すると不思議なもので店の話し声がちょうどミックスされて、何となくまろやかになり、大きな声も笑い声もあまり気にならなくなるのだ。それほど大きな音ではないが、それが全体の緩衝材のような効果となり、変わってしまう。お客の歌う声も気にならず店全体が又新たな雰囲気を作っているようだ。それにしてもこの流しの芸人の気持ちはどんなものなのだろうか。一生懸命作り笑いをしながら客の機嫌を取り、様子を見ながら演奏している姿を見ているうちに、その流しの人の気持ちが感じられてきた。これも一つの営業のあり姿だと思うけど、どんな気持ちで仕事をしているのだろうか。一人になって仕事を終わった時、どんな思いなのだろうか。相手の立場をこれだけ慮ってする仕事は誰でもは出来ないだろう。
自分の仕事などはまだまだ自分を生かしながら出来るから良い方で、これほど自分を殺してする仕事は誰でもは出来ないだろうなあとそんなことを考えていた。
ぼんやり流しのことを考えていると「おい、何ぼんやりしてんだ。そろそろ出かけるぞ」と声がした。思わず、「帰るんじゃあないんですか。」と言うと、「馬鹿なこといってんじゃないよ。これからだよ」とにやにやしながら「じゃあ、ママ又ね」と店を出た
店の外へ出ると、スーと爽やかな涼しい風に当り、気持ちが良い。「なかなか良い店ですね。」とわけわからず、お世辞を言うと、「あのママさん、ああ見えてもなかなかの固物でね。この間も酔っ払った客がママに抱きついたらその手をぴっしゃとたたいたそうだよ。福島の方で学校の先生を長く勤めていたんだが、ご主人が亡くなって心機一転上京してこの仕事を始めたらしい。だれかスポンサーのようなお客もいたんだろうと思うけど、身持ちの固い所が特徴かな」少し酔っ払ってきたのか、先輩は何時に無く饒舌になっていた。それにしても何処へ行くのだろうか。このまま帰るわけには行かないのだ。
付いていくしかない。

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