波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

「続・死生観について考える。」

2020-10-19 15:28:42 | Weblog
私の二度の事故経験から考えると、とても不思議な気がしている。それは何故何事もなく回復することが出来たのか、それは単なる幸運とだったとして済ませてよいのだろうか、世の中にはほんの少々躓いて転倒しても、大きな怪我につながる人や長期の不自由さの中で苦しむ人は大勢いる。しかし私はその他にもエスカレーターで降りている途中、突然のめまいで倒れ、㊦まで転倒した時も(この時は顔に擦り傷を負って病院で手当てを受けた)大きな死傷にはならずに回復したが、当然だったとは思えない。世の中には「何故?」と信じられない出来事が多い。助かるはずの人が信じられない状況の中で亡くなる人もいる。こう考えるとこれだけ世の中が進み、様々なことが解明されていても人間の考えでは解明されないことが多く存在しているのだ。まして一人の人間の考えでわかることなど、ほんのわずかな身の回りのことしか解っていないのだ。しかし不思議なことに人は自分が何でも知っていて、何でも分かっているかのように悟って「知ったかぶり」をする人の多いことだろうか。そして自分が正しいことを主張したり、自分の考えが正しいことを押し付ける人がどれだけいるだろうか。今になって、自分を顧みて私自身、自己中心な人生を過ごしてきたことを回顧せざるを得ない。
自分のわかること、知っていることなど、世の中のことから考えればほんの僅かなことでしかないことに気づかないで生きているのである。
「謙虚になろう」「身の回りからの忠告に耳を傾けよう。」それが小さな子供の声であっても、どんなに僅かなことであっても耳を傾けて馬鹿にしないで聞く耳を持とう。「全て口に入るものは、腹を通って外へ出されることを分からないのか。しかし口から出てくるものは。心から出てくるもので、之れこそ人を汚す」と世界のベストセラーと言われる聖書の一節にはあったことを思う。


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