波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思いつくままに  「言葉の重み」

2018-04-13 10:32:20 | Weblog
ある日、友人から電話があった。「自分の住む町会の土地を再開発したいので、買い取りたいとの申し出があって町会では賛成派と反対派とできて困っている」との内容であった。町会の役員はどのような考えか聞くと「反対で何とか自力でここに新しい会堂を立てて、今まで通り町おこしをしていきたいと考えているのだ。反対派の人たちは売却して新しくして、その一角に町会の運営ができるようにしたらよいのではと一部ののひとたちを説得しているとのこと町会が 分裂しているような感じであった。
私は特に相談を受けたわけではないが(つまりそのことに口にはさむ立場でもなければ、意見を述べる立場でもないのだが)生来の性格もあり、黙っていられず「町会の役員の方々の意見を具体的に実行案にして町会の人たちに説明したんですが、」と口を出してしまったのだ。「まだ具体的には役員としての実行案は提示していない」と聞くと、私は「それはおかしい。役員として自分たちはこう考えていると具体的な改革案を提示して町会の人々にその考えを問うべきでしょう。出なければ役員の皆さんはその託された責任をきちんと果たしていることにはならないのではないですか。」と余計なことまで話してしまったのである。。
今後の問題については私が口にすることではなく、当事者である役員の方々の考えで進めればよいことであり、どうするかは当事者の皆さんの考えでよいわけである。そのような場面になるとその場の空気ですぐ口に出す癖が出てしまったのである。
どのようになっても賛成と反対の人がいればそこには対立があり、戦いが生じて傷つく人も出てくるわけである。逃避するというわけではないが、そのような話を聞いたとしても立場をわきまえて、自分の立場を心得て言葉を選んで話すべきであろうと、電話を切ってから
反省をしたのだが、生来の性格は治らないもので勢いで自分のの意見を正論かの如く話すことの自分が恥ずかしかったのである。
ことほど左様に物事が起きた時には否、そうでなくても言葉はどんな時でも慎重に言葉を選んで話すことが大事である。
そこには言葉の重みがあることをしっかりと自覚すべきであろう。
最近は政治の世界でも言葉の問題で大きな騒ぎになっているケースもあるようだが、もって自戒の言葉としたいと思っている。

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