波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思いつくままに    「思いがけぬこと」

2017-05-19 10:52:03 | Weblog
私には二人の子供がいる。(娘と息子)息子は小さいときから私に頼っているところが見られ、二人で遊ぶことが多く、いじめられると自分でどうすることもできず、よくいじめたこの親のところへ注意しに言ったり学校の進学のときにも気を使ったものである。
娘は女の子でもあって扱いがわからず、あまりかまうこともなく自由に育っていった気がしている。そんなわけで息子が男であり、跡取りであることが無意識に親の思いを偏らせていたかもしれない。月日はたちそれぞれ成長して過程を持ち親の手を離れた。
と思っていたが息子のほうは体が弱いせいもあり、大人になっても親の手を離れることなく就職先が決まらずともに事業をやり、それもうまくいかず閉鎖することになり、といって自立することもできず今も陰になり日向になりながら二人で人生を築きつつあるところである。不思議な運命で是も神の命令かと静かに自分なりのできることを生きている限り果たすつもりでいるのだが、果たして私のいなくなった後、誰が支えになってやることができるのかと心配になることがある。(といってもどうすることもならずすべては神にゆだねるほかないのだが、)娘は家庭を持ち二人の娘を産み自分でも仕事をして小遣いを稼ぎながら家庭を守っているようだった。
父親としては何もできないが、何も愚痴を言わず、夫とともに家庭を守っているようだった。最近は念に何度も会うこともなく、いたが
「何もないのはよい証拠」と安心していた。
そんな流れの中で今年突然私が台湾へ行く用事ができてしまった。周りは高齢であることから心配して娘がついていくことを決めたようである。そんなことから娘が突然私の身の回りのことを心配するようになった。
そしてある日呼び出しがあって二人であうことになった。「今日は何の用事なんだ」と聞くと「台湾は暑いでしょ。だから新しい防止を用意するのよ」とデパートへ連れて行かれた。
あれこれと選んでお出かけ用と普段用と二つの帽子を買って「是で私も恥ずかしくないわ」と一人で納得している。
小さいときから何もしてやることも気を使うこともしてやることはなかったのに親のことを考えていてくれたのかと自分が恥ずかしくなる気がしてうれしかった。「子供それなりに考えている」ことがわかり、親として十分なことのできないことが恥ずかしく思えてきた。

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