波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思いつくままに  「アンケート」

2016-03-09 11:53:48 | Weblog
街頭でよく行っているアンケート調査をTVでよく見かけるが、私がレポーターだったら
一度「あなたは今幸せだと思っていますか」と質問してみたい。
しかし答える人にはいろいろな人がいて、必ず素直に本当のことを答えるとは限らない。それは聞く側の態度にもよるのだが、企画者の威張った態度であったり「お願いします」ではなく「お前の意見を聞いてやる」とか、しつこい態度であると適当にでたらめな答えをすることになる。
つまり本当の答えが得られるとは限らないのである。そして「幸せです」とたぶん多くの人が外向きの答えをすると思うが、実際は自分を不幸だと思っている人のほうが多いのではないかとも考えられる。
私の知人に「釣り名人」と言われる人がいる。趣味で始めた「川のやまめ」釣りにはまって、それから70歳近くなった現在生活の全てが何かしら「釣り」に繋がっている。
パソコンの得られるデーターは日本中の川の状況と漁獲の実態に関するものであり、どこで何が行われ、どんな状況にあるかを其の変化とともに追いかけている。
勿論近くで自分で行ける大会には必ず参加して大抵の大会で「優勝」を記録しいる。
私はある時、其のノウハウをネットで有料で公開したらと進めたことがあるが、にべもなく断られた。名人ともなると其のノウハウはあくまでも商業主義に利用するものではなく、一切が
自分だけの宝であり、公開するものではない、むしろそうすることで其のノウハウの価値はなくなるという信念に基づいているようである。そして生活が楽ともいえないながらも満足感の中で人生を送っている。
其の姿は他人から見れば「不幸」に見えるかもしれないが、本人の意識の有無に関わらず其の姿はそのまま「幸せ」と言えるのではないだろうか。
つまり「しあわせ」の一つの姿はなんに寄らずどんな常態の中にあっても自分の心が「平安」であり、満足と納得の世界にいつもいることが出来ることではないかと思われ、私は其の知人は「幸せ」だとうらやましく思っている。
本人は苦労と悩みの連続と思っているかもしれないが、「幸せ」とは自分で判断できるものではないのかもしれない。どんなに苦労している人でもそこに「満足感」に満たされたものがあふれている状態であればその人は「幸せ」と言っても良いのではないかと思っている。