波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思いつくままに   「一周忌」

2016-03-15 09:43:20 | Weblog
早いものでばば友が亡くなって16日で一年が来る。短い間ではあったが(約5年)の交わりだったが、考えようでは長い交わりであったような強い印象が残っている。何しろ道路を隔ててすぐ隣であったこともあり、庭に出ればすぐ隣の庭につながり声を掛け合う間であったこともあり
密度も深かった。しかし人間の一生はどんな瞬間に訪れるかもしれないと言うことも経験した。
前日に私はいつものように好物のトマトと牛乳を買って普段のお礼にいき、いつものように楽しい時間を過ごしていたし、当日の朝にも近所の奥さんが話を聞いてもらいたくて訪問している。妻異当日のお昼までは元気だった様子が昼食の準備が残されているのを見ても分かる。
しかし、午後は誰も尋ねてくる人もなくいつも爺友がいつものように夕方顔を出すまで分からなかった。座敷で倒れている姿を発見した時は既に食う直が始まっていたと言われるので、午後早くに発作が起きたのであろう。そしてどこへも連絡が出来ないまま時間が過ぎたのである。
死因は「心筋梗塞」と診断された。3人集まると二人の爺友を見送らなければ死ねないと言うのがばばの心使いであり、口癖だったのにまことにあっけない最後であった。
日曜日には新聞のパズルを一生懸命辞書を引きながら答えを考え、どうしても分からないと私も呼ばれて一緒に答えを考え、近所の年寄りの婦人たちの愚痴を聞いてアドバイスをしたり、できることがあれば足を立って出かけて手伝うこともあった。
長い間民生委員をしたり町会役員の紅一点として男性役員の仲をうまく交わらせたりしていたことが役に立っていた。所轄の巡査もいつのまにか立ち寄り休憩所代わりに休ませたり、食事の世話をしたり主人の理解もあってこの地の住人には慕われていた。
「善人ほど早く亡くなる」と言う言い伝えを聞いたことがあったが、このばば友の死もまさに其の一例だったのかもしれない。
まだまだこの世にあって隣人のために尽くしていただきたかったと惜しまれる。
間もなく桜の花も咲くことだろう。昨年の今頃今年はみんなでお弁当を作って花見に行こうねと
言っていたばば友の声が聞こえてくるようだ。
この世における人間の一生は何時何があるか分からない。だからこそ「一日一生」を身上とし
生かされている時間を大切にしたいと思う。謹んで冥福を祈りたい。