波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

 コンドルは飛んだ 第40回

2013-02-22 11:13:45 | Weblog
数日後社長と専務は工場進出を何処にするか、その調査のために東南アジアへ向かった。予め調べてあった資料でタイ、フイリッピン、ベトナムなどは除外してあった。
候補に挙がっていたのは、インドネシア、シンガポール、マレーシアである。
現地にはそれぞれ日系企業が進出していたし、各国ごとに工業団地や誘致の機関もあった。暑い国ばかりで調査は簡単ではなかったが、二人は熱心に歩いた。
10日ほどの調査が終わり、帰国、その整理にかかった。どの国も一長一短あることは分かっていたが、今回の工場建設は人手が余り要らないこと、敷地もそんなに広く必要としないことなどを勘案するとむしろインフラが良く、治安の良いところでリスクがないところが良かった。専務は総合的には経費の安いマレーシアを推薦したが、社長はシンガポールを希望し意見が分かれた。(インドネシアは治安上除外した)
「シンガポールは確かにすべてに便利であるし、条件を満たしていますが、投資経費が高くつきますよ。少し我慢すればマレーシアでも十分大丈夫ではないですか。あそこには当社と取引のあるユーザーも数社ありますし、」
「それは確かにそうだが、日本から行く社員の生活のことも考えなければならないし、
環境のことも考慮しなければならないから」と社長は持論を変えない。
結局は投資金額から判断することになる。つまりどのくらいの資金が調達できるかにかかってくる。「どれくらいかかるか分からないがシンガポールでやるとしてどれくらいの金がかかるか、一度試算してみてくれ、その資料で判断しよう。」と言うことになった。場所も工業団地のほぼ中央に格好の敷地が得られそうである。
それを基に試算作業が始まった。
メインスタッフ10名、作業員40名、日本人スタッフ5名を含めて約10億の資金総額になることが分かった。建設期間約6ヶ月、これで大体の計画が決まった。
そして各部門の責任者が決まり、計画は一気に走り出した。辰夫はすでに常務との約束で資金の内諾は受けていた。「任せておけ。心配要らないから計画をどんどん進めろ」常務の強い後押しの言葉に辰夫は勇気百倍であった。
預かりになっていた辞表も受理した。しかし社内の動きに何の変わりもなく、人の動きもなかった。当人の気持ちは図り知れなかったが、現実には影響はまったくなかったと言える。そして海外計画は順調に進んでいった。