波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思いつくままに  「バレンタインデー」

2013-02-19 09:48:37 | Weblog
先週、バレンタインデーの日があった。例年恒例になった「チョコデー」とも言える日である。全国の菓子店がこの日とばかりに一斉に力を入れるが、その由来を知るものは殆どいないようである。ちなみにこの日は3世紀ごろ聖バレンタインと言われるキリスト教徒の一人が当時のローマ皇帝が戦いのために若者の婚姻を禁ずる法令を出したのを哀れに思い、密かに結婚の手助けをしたことから始まったとされている。日本では1970年ごろ、ある外人がチョコを恋人にあげたことから始まったと聞いているが、まだ歴史は浅いことになる。
そんな所から始まったこの習慣も時代と共に変化して今年の統計調査によるとチョコを
あげる人のランク一位は「友人」、そして親、その次に彼氏となっているそうである。
つまり誰でも、ある意味義理を感じているか、いつも話し合える人が対象になっているようである。それはそれで良いとして、現代の若者は「男」と「女」の関係、わけても
年頃の男女の関心はどういうものだろうかと考えさせられる。少なくても男女間の交流は時代と共に疎くなり、関心も薄れて共にその人格、人間性を正しく見ることが難しくなっているのではないだろうか。
自分が高校生の頃を思い出すとちょうど異性への関心が芽生え始め、その言動が気になり、容姿に目が行くようになった。そしてさまざまなきっかけを作り、話をすることで自分が男として感じ得なかった反応を知り、新鮮さや好奇心を持ったものである。
そしてそのうちの一人に好意が生まれ、その女性のことが気になっていく。
そこには妥協のない男女間の違いと言うものが歴然とあり、その違いを男として理解しつつそこから新しいなにかを発見し、それを楽しんだものだった。
現代の若者はどんな感覚で男女の違いを自覚しているのだろうか。
余り意識にはないように見えるし、その時その時の刹那的な感情であったり、利害で
付き合っているようにも見える、(全員がそうだとは思わないが)
純粋に男女の尊さとか、違いを正しく弁えてそこから学びあうことを持ち合わせて
くれることを願っている。
今となってはまったく縁のないバレンタインデーとなったが、この日を迎えるたびに「初恋」のような淡い気持ちを持った最初の女性のことを時々思い出す。疎開した田舎でいじめを受けたとき、やさしく話を聞いてくれて慰めてくれた人だったが、
今頃は良い「おばあさん」になっているのだろうが、元気で美しいままでいてほしいと願っている。