波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

波紋      第40回

2008-11-14 10:09:08 | Weblog
その年も終わり、新しい年が明けていた。前年から始まった、海外工場の建設は順調とはいえなかったが、確実に進んでおり、間もなく完成と言う情報が本社のほうから入っていた。直接には関与していないので、あまり関心はないのだが、と言って無関心とはいえなかった。何しろ、本坂社長からは事あるごとに「売りのほうは大丈夫なんだろうな。」という激励とも、気合入れとも付かないコメントが電話の向こうから飛んでいるようで、そのたびに所長の小林は電話に向かって頭を下げていたからだ。何しろ、完成すると、国内と海外とでちょうど倍の生産量になる。この販売を一手に引き受けるのだから、大変な責任である。
企画をした時は需要の旺盛な勢いで、出来るような気がしていたが、時間が過ぎ、冷静な目で市場を見ていると、良い時もあるが、悪い時もある、一年だけでも波があることがはっきり分る。しかし、ここで弱気になるわけには行かなかった。
「松山君、この計画は何としても達成しなければならない。うちに協力してくれている、各関係会社と連絡を取って、シュミレーションをしてみてくれ」
「分りました。出来るだけ頑張って情報を集めてみます。」。業界でも噂になり、同業者からも、羨望と、多少の疑問のような目で見られるようになり、注目されていた。松山は上の人は大変だろうなーと他人事に思えることもあったが、自分なりに「こんなことは、恐らくサラリーマンとして、そう滅多にあることでもないし、本当に出来たら、すごいだろうな。」と思いつつ、自分もその一人として参加していることに誇りを持つことが出来る気がしていた。
東京駅に近いところいある、上場会社の国際事業部は全面的に協力してくれていた。事業部長の田島氏を始め、今井、三宅、遠藤等一騎当千のスタッフが揃っていて世界のチャンネルを利して情報を集め、宣伝に努めてくれていることはとても心強く嬉しかった。松山はここで打ち合わせをする時はとても励みになり、力を与えられた。地方の地場企業では得られない戦力を感じたのである。
本来なら、親会社のスタッフの協力もあってよいと思うのだが、指示命令があるだけでその姿勢は全く違うものであった。
そして、完成の日を迎えることになった。本社の本坂社長、山田専務、そしてこの建設に携わった多くのスタッフが、シンガポールへ向かった。
その開場オープンには地元のテレビ局をはじめ、新聞社などが大挙して詰めかけ
盛大なセレモニーになった。こうして海外工場はスタートしたのである。