波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思いつくまま

2008-11-05 09:37:24 | Weblog
先日、間もなく定年を迎える、ある会社の管理職の人と「老後の生活」について
話をする機会があった。四年ほど前に肺の手術をして身体を労わりながらの勤務なのだが、お元気そうであった。会社を辞めたらもうゴルフは出来ないが、好きな海釣りを楽しみたいと嬉しそうに話をする中で「先日、子供や孫が久しぶりに訪ねて来たので、みんなで食事に出かけたのです。特別なものを食べるのではなく、自分の好物のラーメンのおいしい店に行って、みんなで食べたのですが、その時妻が
不図、私ラーメン好きじゃないんですと言ったのです。私は自分が好きなもので、当然のように妻も好きなものだと思って、何十年も過ごしてきたのだったが、今
初めて本当は好きじゃないのだと聞いて、今更ながら、そうだったのか、だとすれば妻は私の前で相当努力をしていたんだな、と考え込んでしまった」ということでした。
事ほど左様に長い夫婦生活をしていても相手のことを充分理解していないことの多い事を知らされたエピソードでした。人間関係において、まして共同生活をしていく上で一番大事なことは相手をどう理解していくか、これがなかなか出来そうで出来ないことなのです。そしてお互いの心の中に少しづつ溜まっていった不満の要素は様々な形で増殖し、飽和して爆発することにつながるのです。
全くつまらない、些細なことほどそれが原因になっていることに気づかないのです。まして、若い時は何があっても当然のように相手は理解し、認めてくれるものと思うし、目をつぶることが多いが、年齢と共にその度合いは落ちて、自己中心になり、いつの間にか、相手に責任を負わせ自分は被害者のごとく思うのである。
残念ながら、この時の救済者は存在しないのである。(最終的には家庭裁判所で裁かれることになる。)
話し終わって、帰り際にその方が「これからはもう少し、相手のことを思いやってこれから第二の人生を大切にしたいと思ってますよ」と言われいましたが、たかがラーメン、されどラーメンと言うことで、ラーメンから大きな教訓を得たようでした。私は残念ながら、既に妻を亡くした落伍者の一人である。したがってその大切さを生かす機会を失っているが、せめて「汝の隣人を愛せよ」の言葉を大切にして
生きてゆきたいと思っている。