九州の風来坊

今は自由人で風来坊、何処までも突っ走る男は何処に行くのやら

奈良側から金剛山

2008年06月13日 23時51分52秒 | Weblog
今日は奈良側から金剛山を登ったぞ、数々の名勝負を繰り返したこの坂も今では路面が綺麗になりタイムも出やすい。
しかし市川の持つタイムに2秒まで迫ったが現役時代このタイムを切ることは無かった。
中間を時速24kmほど出ているのだが9~10パーセントはある、スピードメーターが無いから判らないが多分14kmぐらいで登っている。
鍋谷峠自分が出した記録から今では8分おそいのだからそんなもんだろう、うー遅すぎ。
ハンドルの下を持ってダッシュ〔ダッシュのつもり〕尻の筋肉が一杯になり、膝の上ががくがくして速度が上がらない。
でも確実に強くなってきていぞ、それにだいたいねちねち型ではないから一人で走るのはつまらない、今度はマトリックスの練習に最初だけ着いていくか。

自作トラック

2008年06月13日 23時40分35秒 | Weblog
29年ほど前に溶接を覚え初めて自分の手で一から作った自作レーサー。
写真で見た目は普通だが近くで見るといろいろと手をほどこしてある、当時このモデルが未来のトラックレーサーとしてサイクルシヨーにも展示された。
パイプは石渡の017と019を使用してパイプを楕円に変形させてある、その為にシートポストも自作で楕円だ。
色々と工作機械を使い会社のバイスを1台大破させた。
ハンガーはヘットパイプと同じ大きさで小さくハンガーのワンが無い、その為にベアリングむきだしだ。
ヘッド小物も特殊な物だったが今は普通の小物に交換。
フロントホークの肩は3ン分割の物を溶接して一から作り、後にロスとワックスで作られるようになった。
塗装は20年ほど前にパナソニックのオリジナルに塗り替えた。
クランクはシマノジュラ10ミリピッチ、ギヤが小さく見えるが51Tだ。
当時ナショナルではサイクルショーや競技の部分で1秒でも速く走る自転車を開発、夢があるフレームを幾つも作ってきたのだ。
UCIの規格が無ければ今頃自転車はどんな形をしていたんだろう?
いまだに現役で数々のレースをこなしてきた。1995年ワールドカップスクラッチ6位入賞した時は海外バンク用のジロで参加。