九州の風来坊

今は自由人で風来坊、何処までも突っ走る男は何処に行くのやら

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予定定まらず

2010年02月27日 22時43分57秒 | Weblog
関西空港から東京を目指すが、濃霧の為に決行。
なんじゃそれ、もっと早く言わんかい、と言いながら新大阪に向かう。
会議の時間無いじゃねーか?そく連絡を入れて品川待ち合わせの準備。
なんと次のフライトまで1時間ぐらいしか時間が無い、頭がぐるぐる回るなか、少し判断力が鈍るような気がしたが、俺は決断が早い。
話は聞いて、そなまま羽田に向かい、福岡に向かった、今度は到着時間を完全に勘違っていた、福岡で待ち合わせをして博多で食事、足早に家に帰る。
ここで次の日に長崎に向かおうと思ったが、疲労で朝起きたのが10時過ぎ、断念。
こうなったら年に一度の休暇?そしてつかの時間を過ごし、足早に大阪に戻ってき。
今度はゆっくり自転車でももっていきます。

寝不足

2010年02月24日 17時21分31秒 | Weblog
この所、飛行機のチケット、レンタカーの手配に何日も取られている。
世間は春休みで、簡単にチケットが押さえられないのが現状。
レンタカーは荷物の容量を計算するが実物が見れる訳では無いし、どれが一番安いのか調べていくと中々決まらないのだ。
そこで悩むより電話、直接電話したいが時差がある、俺は寝るからなと仕事を娘に押し付けて昨夜は寝た。夜中3時。
そしに、どうしても取れないチケット、ここも娘の友人の力を借り一気に手配完了。
さすがやねー、悩む必要無かった、これからもも頼みます。
それにこの忙しい中、明日は東京だ、数時間滞在後、一気に九州に移動、気が向けば大阪戻りの予定。

偽造

2010年02月22日 16時06分58秒 | Weblog
イーストンの偽物。
俺の兄弟分が摘発した品物だ。
他にもあるある、フレームもある、驚きを隠せないというか、良くここまで精工に作ったというか。
今は昔と違い、簡単にコピー製品が作れる。
俺はどれ見ても本物か偽物か、違いが判らなかった。
中華圏の恐ろしさ、何処に居ても電波があれば見つけ出せる。

なななか時間が合わんぜ

2010年02月22日 09時31分47秒 | Weblog
ちょっと前に娘が花束もらって帰って来た。
どうも誕生日だったらしい、その直後に、普段日本に居ない娘がケーキ買ってきた。
場を読めなかった俺。
なんせ自転車生活何十年、娘が生まれた日はスペインのマジョルカ島にいたのだ。
あれから毎年訪れる家族の誕生日や行事、なんと今まで1回も在籍した事は無い、もちろん、運動会も、入学式も、卒業式も、成人式も全ての行事の時は不在だったのだ。
完全な母子家庭である。唯一俺が在籍したのは上の娘の結婚式のみ。
そこでふと両親の事を考えた、行って来ますと九州を出て何十年、片手で数えるぐらいしか故郷には帰ってない、ここ10年はそれこそ帰っていない、電話も1年に1回ほどしかしない親不孝者、そこで昨年から帰ろうと何度も飛行機の予約を入れるが、用事が出来帰れない
福岡まで行ってるのに、今日は帰ろうと思うが、急用が出来て帰れない、こうして早1年が過ぎ去った。
さっさと帰らんと両親も年だ、仕事を調整したら一気に帰るぞ。

野口正則優勝おめでとう

2010年02月21日 19時42分51秒 | Weblog
大学生の神宮外苑クリテが行われた。
ここで我がクラブ所属(鹿屋体育大学)野口正則が優勝しましたと、先ほど本人から直接電話があった。
昨年、昭和最後の男は春先のツールド台湾を境に、めぼしい活躍は無かった。
しかし野口は不屈の闘志と精神は忘れていな事を今日証明した。野口と言えば未だ記憶に新しいアジア選手権(奈良)ここで優勝した時の走り、見た者のみが知る激走を演じた事がある。
誰がどう考えても、あの場面からの優勝は考えられない、しかし不可能を可能にした男の姿は今でも鮮明に覚えている。
この時、俺が日頃から教えてきた言葉に間違いは無かったと確信した。
野口以外にも昭和最後の男達は未だ未だ居る、その素質を最大限に引き出してやろうと俺は思ったが今は道が違う、だが又同じ道で出会うかも知れない?
俺は真っ直ぐ進んでるぞ、お前達も早く追いついて来い、追いついて来なければ俺は待たない。
そして俺の一番嫌いな言葉は長いものに巻かれろだ、巻かれたら噛み付いて食ってしまえ、
そして強くなれ。

打ち負かしたぞ

2010年02月17日 00時12分26秒 | Weblog
久々に小娘を打ち倒した。ここ数ヶ月、坂では負けっぱなだったのだ。(ほぼ全敗)
2月前半、別けあって小娘は南に島流し、俺は更に南に向かった。(ここが勝負の別れ目になった)
長年の経験で、2月の南島はやばい、気候が良くないのは直感した。
その間に俺は若者を使いまくり、オッサンはほんの少し強くなっていた。
そして今日最初の坂で勝負、一気に置いていかれたが、オッサンはの小娘が見えた。
この位置なら多分頂上手前500mで追いつく事が可能と判断、追撃開始、逃げる小娘を予定の位置で捕らえた、しかし俺の身体は限界でなすすべは無かった。
ここでもう一度速度が上がれば俺は離される、ここで心理作戦にはまった小娘。
お互い激しい呼吸と鼻水、ヨダレと共に落ちていく速度の中、勝負が始まる。
一発で離さないと負けると判断した俺は力強くペダルを踏み振り切った。そして今期初の勝利を手にする。
その後の坂でもパワーで押し切り、今日の勝負は俺の完璧な勝ちで終わる。
練習後は何故俺に負けたのかを小娘に説明しながら練習は終わったのだが。
罰として降りしきるミゾレの中、小娘は更に練習、明日もまた試練が待っているぞ。
覚悟しろよ。

あれから1年

2010年02月16日 13時32分36秒 | Weblog
俺の一番弟子が病気で倒れて1年。
色々な事が今でも記憶の中で走馬灯のようにめぐって来る、オーストラリア合宿の時、余りの走れなさに,今すぐ帰れ怒った事がある、相当きつく怒ったが山島は俺に着いてきてくれた。
奈良で行なわれた時のアジア選手権は、予想以上の走りをしてくれた。
レース後、降りしきる雨の中、帰る準備をする俺達スタッフの手伝いをしてくれた。疲れているから休んでろといっても、勉強ですからと山島は笑顔で答えた。
この時、メカの鬼原さんが、あさひの山島は凄いなキョーシ、面倒見る甲斐があるだろと言った。(キョウシ、あさひの社員は皆あんあんかと聞かれ、俺は胸をはってそうですと答えた)
その山島は経験が無かったから、物凄いキツイ練習をさせたが、弱音を吐くことはなかつた。いつも練習が終り大丈夫かな、こんなんで帰れるのかなと心配にもなった。
その山島が何故か調子を崩し始めた時、俺はもしかしてと思い、血液検査を進めた。
しかし異常は無く、ただの疲れから来る物だと思っていた。
そしてカタール、走れないはずがない山島が集団から切れリタイヤ。
ゴルール地点に居た俺に向かって、すみませんでした、迷惑をかけてと小さな声で誤った。
あの時、俺は優しい言葉をかける事は出来なかった。
なぜなら、そこは競技と言う戦場だったから。
その数時間後に病気が発病したのだ。でも運が良い事に、俺の娘がいた、義理の息子やベルギーのドクター、パレスチナ出身のタクシーの運転手、王族とつながりのあるマダム、もしこの中の一人でも居なかったらどうなったのだろうか?寝らずして皆が動いてくれたお陰で、俺は残された選手を無事走らせる事も出来た。
寝ようと思っても寝れない、同部屋にいた健吾と二人、選手の前では不安な顔はするな、元気に行こうぜと励ましあいながらのレースだった。
レース後、宇田を日本に連れて帰る準備をするが、帰れる帰れないでもめる中、娘を置いて帰る事を決断する、この時マダムが色々と働きかけて何とか帰国が出来た。
日本に帰国してからの準備は、チームドクターの新山先生が色々と手配をしてくれたお陰でスムーズにいった。
そして昨夜、1年前の御礼を言う為に、娘が砂漠の国に旅立った。
もし宇田が元気な姿で走っていれば、最強のチームが日本に立ち上がったはず、あさひレーシングチームは宇田がいたからスタートが切れたといっても過言では無いチームなのだ。
俺の中では今でも、宇田がチームのキャプテン、そして萩原がエース、残された萩原は昨年大きな荷を背負う事になった、右も左もわからなかった萩原は今、今力強く荷を背負えるようになってきている。

宇田は早く病気を克服してチームあさひに帰って来て欲しい、その為には病気に打ち勝つしか無い、宇田よ、選手は俺の元からは離れたら自分一人で戦うしか無いんだ、しかし戦える精神力は教えてあるはずだ、自分を信じろ、自分だけでなく多くの人がお前の復帰を望んでいるぞ、これは命令だからな。
さー自分の持てる力で戦って見ろ、心は肉体を突き動かすぞ、健闘を祈る。
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昨日のレース

2010年02月15日 10時18分27秒 | Weblog
Rod toKING開催し始めて8年。
子供達のレースは進化を遂げている、大人顔負けのゴール勝負から、一人逃げまで。
自分達が子供の頃は無かったよな、、、機材の進歩と情報が選手を強くする時間を大幅に短縮しているのが手に取るように見えたのは俺だけだろうか?
しかし、この子達が強くなる環境が今後訪れるのだろうか?
日本の自転車競技界は進歩についていけるのか?
ここでラバネロの高村さんやアンカーの藤野とも話をした。
高村さんは俺より長く日本の自転車界を見てきている、クラブで選手の面倒もみたり、子供達にも色々教えている、バイシクル21にも日本の指導者遅れを指摘してある、まさに現実はここだ。
そんな中、小さな小さなKINGレースは優秀な子供達を生み出そうとしている。
目指せ最強の選手。

アンカーの飯島、清水も子供達と一緒に走ってくれた、寒い中昨日は有難う。
飯島は一緒に走った事があるが、清水はあるかな?でも清水は一度戦う場で使って見たかった選手だ。
もう一人、ラバネロ所属でナショナルチーム時代の片腕キャンゴ、自転車で見に来ていたが、やっぱりお前はメカニック服のほうが似合うな。
それに戦う時の目じゃなかった、と言うことは俺も違うと言う事か?
又何時か世界を相手に戦う時が来るかも知れんぞ。


花粉?

2010年02月14日 23時14分12秒 | Weblog
昨夜、東京に向かい、今日慌ただしく戻ってきた。
それにしても東京は花粉早くも?冷たい風と花粉で涙が止まらない1日だった。
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足が痛い

2010年02月13日 00時05分00秒 | Weblog
足が痛いだと、100年早いわい。そんな泣き言ここでは通用しないぜ。
お前の能力試験はまだまだ続く、ここを乗り切らなければ何も始まらん。
小娘の小娘よ、貴方のしらない世界、あったろ?
今まで誰も連れてってくれなかっただけだ。
こうして片道切符で乗車した小娘、この列車に乗ったら、行き先は禁断の扉。
常人には見えない世界だ、たった数分で足が振え、呼吸が整えられないのなら禁断の扉は開かん。
この扉、自分の力で開いてみろ、その先には強さが待っているから。
29日までが勝負だ。