九州の風来坊

今は自由人で風来坊、何処までも突っ走る男は何処に行くのやら

全日本トラック

2011年05月31日 09時08分59秒 | Weblog
何十年ぶりに全日本トラック選手権を見た。
そこで見た光景は昔とぜんぜん違うトラック競技で初めて見た自転車競技の激しさが無く、なんとなく金網越しに選手を眺めた。
何が違うのだろうか?ゴール前の4コーナーでのタイヤのうねる音が無い、緊迫感が少ない、でも選手は頑張っている。
客員は競技タイムの停滞に慣れてしまったか?別に選考会でもないから選手にも今ひとつ力が入っていないのか?
目標が定まらない、定められない今の現実もあるのだろうか。
全日本と言えば記録ラッシュで、わくわくする選手が毎年現れる時代は過ぎさった。
そんな競技場の中で、斉藤選手に声をかけられ最初は誰か判らなかったが、すぐに気がついた。丁度俺たちが走り始めた時の一流選手だ。そんな斉藤選手が走る姿を金網にへばりつき、何時か越えてやると闘志を燃やしたのは今から30数年前。
他にもEZAK、JPP時代の飯田さんや、懐かしい人にで出会った。
それにしても保坂さんはぜんぜん変わりが無い、保坂さん何歳?

そして雨が降り注ぐ中、バンクの周りをうろうろしていると、一人のおじさんが近づいて来た。しっかりとした足取りと生きた目。
ただ者では無いと雰囲気で察した。
大宮ですと笑顔で右手を出された。そう大宮正志さんだ、東京オリンピック当時活躍されたロード選手で今は昭和第一学園のコーチをされている、大宮さんの話は聞いた事はあったが今まで接点が無かったのが不思議なぐらいだ。
というより自分自身が日本の競技会にほとんど出場していない、ここ数年都道府県大会や全日本トラックの会場に行くぐらいだから会うはずが無いのだ。
しかし同じロードレースを走ってこられた大先輩の目は生き生きと輝き年を感じさせない、情熱がひしひしと感じ取られる。
久しぶりに良き指導者というより仲間を見つけたような気がした。
又機会があれば会いましょう。

いい感じやないか

2011年05月30日 19時28分43秒 | Weblog
行く前はどうかなと思っていたのだが、意外と選手の状態も上向きで気持ちよく東京から帰宅した。
レースには天の恵みがあり、ただでは起きないというやつだった。
俺にしたら良いことずくめで、おまけに帰り道は台風の影響で車が少なく、定刻の15分遅れで到着した。

今日は早朝から台湾チームと弟分を空港まで見送りにいくと、新たな出会いが待っていた。
そして空港からニッポが宿泊するホテルに行き、打ち合わせを済ませ一気に仕事が終わる。
一安心。

帰宅する頃には大量の機材が到着、一気に洗車して後片付けを終わらし明日からの準備を開始。






疲労困憊のような気がする

2011年05月25日 21時54分48秒 | Weblog
簡単に手に入ると思っていたが自転車を入れるダンボール箱、意外と無い。
和歌山の夢輪館で数箱、サイクルワールドで新品の箱、数箱調達、そして最後にあさひで一箱、準備完了。
夜は山本先生が、スーパーカーで現れ箱詰め、もって行く物の確認をして詰めていくが、これが中々難しい。
容量を計算して、あーじゃない、こーじゃないといいながら何とか完了。
今日荷物は東京に旅立った。

パリテニスに行ってるから忙しいし、これからの準備出来てると電話の声、ごめんなさいまだすべて完了してません。
イタリアからシンプロンかゴッタルドを越えて車を持ってくる準備は完了しています。
運転結構大変、パリに入ったら更に1000kmは移動が待っている。


夕方久しぶりに自転車に乗りサイクリングロードを走る、何と数週間ぶりの自転車、走り始めはふらつき変な感じがするし、少し走ると手の平が痺れ、尻が痛い、そして帰りの坂はぜんぜん前に進まない。
こうなると自転車も面白くない、やはり軽快に走らねば。
自転車に乗りたくないのは疲れのせいか?この所、寝ているとふくらはぎが攣り背中がパンパンで睡眠不足なのだ。いつもより睡眠時間は十分にあるのだが疲労がとれないでいる。

夕方関西空港に向かった。弟分の赤い彗星が俺達の荷物を持って来てくれたからだ。受け取ると小さいくせに重い、15kgほどありそうだ。重い、こんなに重いのに有難う、感謝。
帰りは又疲労が押し寄せ、車で爆睡でした。
月曜日時間があれば関空に行きます。

最近競輪場で姉さんに栄養ドリンク買って来いと言ったら、リポビタンが目の前に出された。
どあほ、数千円の効きそうなやつにせんかい、貧乏性。
そろそろ自分の体も調整せねば判断力までなくなってきた。

明日は会議があったっけ?午前中そこらへんのマッサージにでも行って来るか?
そんな時間あるんだっけ。





秘めたる力

2011年05月24日 22時57分41秒 | Weblog

ダッシュ力、中々いいもん持ってるんだがな?
何が制御してるのか、強い時と弱い時の差が激しいぜ。
沖縄で2人で先頭交代した時はきつかったな梶、スモーキーの野郎とくれば、俺と梶が必死に追いかけてきているの見てバタフライ走行で逃げていったしな。でもおてんとう様は見ていた、天罰がくだりその後失速。
この時俺は見た選手の意外な一面を、こいつもそうだ、登りのダッシュの強さはまるでロケット。
出し惜しみしないでその力出しなさい。
鉄板錆付いてんやないか、まだまだか?

元祖動物園チームの園長

2011年05月22日 19時45分40秒 | Weblog
その昔動物園チームの園長を務めていた俺は今日も楽しんだ。
だが時折だから面白いのかもしれない、、、、先生はそんな訳にはいかないのだろうけど。
ヨカー、シャーシカロ、通訳通さんばワカラシャレンバイ、ギャイーンとイカンケンとユウタッチャね、ね、ね。
無事カイラッシャタ。

身長の割りにでかい足見つけた。うねる身体、初めて見てから9ヶ月ほどの時間が過ぎ去ったけど、幾つかの欠点は見つけ修正を入れたが死角があった。26cmから27cmの純白のシューズの靴紐は締め切られている、そのシューズを直してくれと持ってきた時に聞こえた神の声。
何じゃこれ動かんじゃないか?というより足見せてみろ、そこには想像を絶する幅広の足が地面に食らいつくように吸い付いているではないか。
まれに見る原始人の足、足研究科には興味深い1品だろう、もしかして指1本が退化したのだろうかと想像もしてみた。そしておそる、おそる25cmほどのシューズをはかせてみたらいけるじゃないか?これで一気にロケットだ。
又一つ抜けたパズルが見つかったの。すねきんきたえなさい違った世界が見えるはずだから。
その頃に現れた痛い痛い病のスモーキー、どうした蜂飲み込んだのか?ギャインと抜けたか?コンタクト買ったか?今度聞かせてもらうぞ。
その頃学が〔もう学ぶと呼ばれている〕素人とは思えない脅威の速度に食らいついているではないか、たった1ヶ月、金網に激突するんじゃ無いかと一瞬ひやりとした瞬間を見たのは俺と、アカデミー男優のメタ、お互い見合わせて目が点になった。
そのメタと死神は兄弟か?強制ギブスを着せられた瞬間、噴出した?にやわん、こうして改造計画が進む、早くもっと強くなれ、毎週のように自在に変化する少年達、毎日見るよりたまに見る俺のほうがやはり面白い。
今度は何が起こるのだろうか?
今日は蚊に起こされたお陰で控え室で記憶が無くなった、俺が一番病院に行かねばならないかも知れない。

嬉しい1日

2011年05月21日 22時54分23秒 | Weblog
昨日ほとんど寝てない俺は早朝に家を出た。
そこで見た光景は一人の少年の姿だった。俺が閻魔の元から呼び戻した男だ、夢では無いぞ、それも驚くべき事に数字を数えていた。
何と嬉しい事か、よくぞ帰ってきた。これがお前にかけてやる最高の言葉だ。

数ヶ月前、地獄池からこられたチンネン夫妻、やっぱり帰って来ました。

そして闇の中で俺の声聞いたそうです、不動の声、何処にでも届くきます。

少年よ、帰ってきたからにはもう一つの試練を乗り越えて見ろ。
試練を越えれるだけの精神は2年間で教わっているはず、自分を信じろ。
まだまだ道のりは始まったばかりかも知れないが、風に打たれ、風を全身でうけ、皆の姿を見て全身で感じろ、膨大な記憶が蘇り、お前の心の中に眠る何かが体を突き動かすだろう。
皆の仲に入る事により急激に神経は再生され、激しい動きが必ず戻ってくる。
一人ではないんだからな、時折2人で走る姿を見た時に今日、俺の疲れは完全に吹っ飛んだ。
明日は何してくれる?


久しぶりに風邪で少し不調

2011年05月20日 16時21分12秒 | Weblog
ドバイで待ち合わせして向かった先で死んだように寝続けた。
久しぶりに襲ってくる睡魔との闘い、5月始なのに家のヒーターを入れっぱなしにしていたから部屋は灼熱地獄。
おまけに床暖も全開、でもどうやって暖房を消していいのか判らない、とりあえず窓を全開にするが暑い、おまけに風とともに蚊もやってきて耳元でうるさい、体が動かない。
数時間をかけて撃墜2匹、そして死んだように寝続けた。
その後数箇所を移動、1回目は快適で一気に体力を回復、しかし次は又暑い、クーラーを入れると寒い、ダメおしにポンコツ車。
何と外は灼熱なのにヒーター全開、運転も全開、でもヒーターは切れない、ダメ押しに高速でガソリンがなくなり、ラジエータの水がなくなった。でも難なく切り抜ける、これも生きるすべか?
窓全開で5時間、ついに喉が痛み出して風邪、鼻水くしゃみで苦しさが増していく。

何百キロも離れた町でタクシーに乗り込み目的地に向かう途中、茶屋でドライバーは一休み、このドライバーかなり運転が上手い、ミッションのつながる感覚が無く曲がりくねった道を快適に飛ばす、茶屋では車を点検して洗車、食事を取り最後の数時間を運転するのだ。
ここで暇な俺は店の前をふらついていた。
すると急激に停車する車から見た事がある風貌の3人組、なんと友人、こんな所で出会うか?世界は狭すぎ?偶然の再会を茶で乾杯してしばしの座談、時間も遅いので先を急いだ。
ドライバーはここから帰るのか?日本に帰れる時間運転するのか?凄い、でもお金を払うと嬉しそうに帰っていった、メルシー。

帰りは最初の空港で3時間、ドバイで2時間待ち、見飽きた免税店を横目にバーに座り込んだ。
鼻水は止まらないが、一応喉を潤し時間をつぶす事にした。ここまでくればメールも携帯もつながる、開放感を一人かみ締めて次なる場所に移動。

リントナーが最後に座っていた場所。

2011年05月20日 08時29分23秒 | Weblog

リントナーがいつも腰掛けていた場所に、自分が腰掛けるとは思わなかった。
最後にリントナーと話した時もこの場所だった。
そのWOLFRAM Lindner彼が残した功績は大きく、現在の自転車トレーニングの基礎を作り上げ、彼が育てた選手の勝率は7000勝以上。自転車界で彼の名前を知らない者はいないだろう。
そのリントナーが晩年何時もこの場所にいた、そして同じ目線で視界に入ってくる物を見つめてみた。どんな苦悩があったのだろうか?数年前に他界した彼にもう聞くことは出来ない。