九州の風来坊

今は自由人で風来坊、何処までも突っ走る男は何処に行くのやら

律儀な男、学

2006年11月25日 00時05分16秒 | Weblog
学が大阪にやってきた、ほんの少しの時間でほんの少し話をしたが、来期はヤル気らしい、兄貴の敏は今年ナショナルチームで大活躍、同じDNAを持っているから頑張れよ学。来年は兄貴に殴られようと後ろに付いたら離れるな、大阪に来たら力貸したるで。

つきの無い一日

2006年11月23日 02時57分43秒 | Weblog
世間一般は休みとあって飛行機激混み、朝は交通渋滞でバスに乗れず空港までタクシー5000円、何とか間に合った。
東京からの帰りはキナン東京支部長と、強化本部長と酒を飲み、のぞみ号に駆け込んだまでは良かったが、これが最終電車でローカル線も難波まで行くと電車が堺東までしかない、難波でホテルに泊まるか、サウナに泊まるか迷いながら、最終電車に乗り込んだ。そして堺東に下りたら何にも無い、ここでホテルに泊まるのもタクシーに乗るのも馬鹿らしい、紹興酒でエネルギーは満タン、ここは家まで走るしかない、ツールド海南の時、時間の合間で30分ほど走っていたからいえるだろうと考えて風を切り走り出す。酒が一気に回り苦しいが時間と共に快調になる、でも遠い、自転車だと近いのに走るとなると中々進まないが数時間かけて約20km離れた家まで大汗かいて走り切った。ランニング楽勝ジャン。

明日は東京

2006年11月21日 23時48分01秒 | Weblog
明日は東京に会議に出かけるが何と4時から、又帰りが遅くなるぞ、それにその次の日が祭日だから飛行機のチケットが取れない、またまた新幹線か、この新幹線の中、超暇、何とかしてくれ。
そして大阪に寝に帰りととんぼ返りで東京、成田、カタールだ、殺人的スケジュールで体内時計が狂ってる。

スカイップ

2006年11月21日 23時42分15秒 | Weblog
便利な世の中になった物だ、娘がスカイップで地球の反対側から電話してきた、
何分話してもただ、一昔前では考えられない、この海外からの電話、かける金が無く音信不通の俺、そんな俺の事をアヤ姉は行方不明になっていると友人に話していた。そして金が底をつき、家の近くの駅まで帰ってきて、迎えに来てと電話してら激怒された事がある。だが1回電話すると、1日ヨーロッパの滞在が減ったのだ。
その当時スカイップがあったらと思うが、多分パソコンを買えなかっただろう。

リーダージャージ

2006年11月19日 20時56分27秒 | Weblog
ツールド海南で日本チームが総力を尽くして奪い取ったアジア総合リーダージャージだ。途中デスカバリーチャンネルの中国人に奪われたが、奪い返し最後まで間もり通した。これを最後まで着続けた廣瀬敏とそれを助けた日本の勇者達、後半はきついレースとなり、俺の判断が間違えばこのジャージは中国大陸に渡った事だろう。
そんなきつい思いをしたジャージが今俺の手元にある、廣瀬からのプレゼントだ。
選手を辞め今ではコーチ、レースの最後に表彰台に上がる事も無いと思っていたが皆のお陰で上がる事も出来た。これからも強い日本チームを率いていくぞ。

準備完了

2006年11月12日 01時24分27秒 | Weblog
この時間にレースの準備がほぼ完了、大会側の準備不足であっちに行ったり、こっちに行ったりで数時間、テクニカルミーティングが終わってロビーに行くとアロハの上下の奇妙な集団が、そこに日本の選手が混ざっている、しかしグリーンの迷彩色の為に全員が確認できない。そしてメカの健吾が早く着替えてくださいと言い出した、そうえいば到着したときにシャツと半パンのサイズ聞いてたっけ?
お土産と思っていたらなんとレセプション用のシャツだったのだ,海外チームは皆恥ずかしそう。早急に着替えた俺は寅さん風にコーディネート、他の選手はスニーカーを履いているために足元がお洒落では無い、俺の姿を見た、広瀬は即座に部屋に戻りサンダルに履き替えてきた、さすがアタックに反応する速度が違う。
それにしてもマッサーの宮島は見た目が変、パンツが小さすぎる、笑いをこらえて
シエラトンホテルになだれ込みレセプション開始、その後チーム会議、そして選手は速やかに部屋で睡眠、スタッフは色々な準備に追われちゃっと休息が訪れた。明日は5時起き。

シムカード

2006年11月11日 10時21分17秒 | Weblog
昨日電話シムカードを買ったが、使い物にならない、
何時かけても電話はビジー、でも受けることはできる、
連盟に電話番号を伝えてかけ直してもらうが音声が悪い。
これじゃ無線機の方がましだ、ホテルではレース用の無線機を使用するか、
この無線機、中国の空港で機密無線では無いかと問いただされた、おまけにウイダーもだ、これは酒と間違われたが何とか通過。
それにしても電話が通じないと、連盟にも家にも連絡がつかない。

インドネシアチーム

2006年11月11日 00時36分17秒 | Weblog
ホテルのロビーに居ると、最後のチームが到着してきた。
俺を見つけて蔓延の笑顔で微笑みかける奴、
色が黒くて良く顔が見えない、その中に見覚えのある片割れを見つけた。
もしかして、ツールドインドネシアの時のクンタでは無いか、
クンタキンテ、俺が名づけた、その男、ちぎれるときに何故か、俺を見つめて切れていく、力はまだまだ無い10代の選手、だがひたすらぺダルを踏み続ける所が好だ。
今回はどんなレースを展開してくれるか楽しみだ。

ホテル

2006年11月10日 22時37分02秒 | Weblog
ホテルのプライベートビーチに出ると湾の先にそびえたつビル群、
あれってマンハッタン?
そのビルの多さにびっくり、日本より凄い、やはりここだけ見ると中国では無い、
でも練習から帰った選手に聞くと、10kmも走るとそこは中国だったそうだ。
日曜日から始まるレースがどんなのか想像すると見当がつかない。
でもこのホテルにいると中国とは思えない、食事もスタッフもマーマーだし、テレビはNHKが見れる。
ショップに売ってる、シャネル、アルマーニ、ルイビトンは、なんか怪しい。