九州の風来坊

今は自由人で風来坊、何処までも突っ走る男は何処に行くのやら

アジア選手権ポイント優勝

2010年04月15日 00時13分34秒 | Weblog
やっと来たか?TTは前半スローペースがたたり2位、ロードは最悪の展開で8位に沈んだ。
半泣きで電話してきたが、状況が読めない、なんせレースを見ていないから予測が立てにくい、しかしアジア選手権までの練習は、勝つための練習と調整を行っていったからそれなりの結果は出すと信じていた。
先に帰国した牧瀬に聞いたら、何だ作戦不足じゃないか?そんな作戦で勝てるわけないだろ、まるで素人、お前ら勝つ気があるのかと言ったぐわいだった。
でもしょうがないか?女子選手だけで、考えるのはまだまだ経験が足らない。

トラックは参加するから一応準備はしといた、しかし何を走るかわかりませんと言う、出発まえからまるで子供の遠足じゃねーか?
観光旅行に行くんじゃないぞと言ったぐわいだった。俺は大体の予測をたて、頭の中では計画的に準備していく、一応足が回るように俺なりに調整はさせた。
そして昨日電話が、自分達で調整しなないと言われ、どうして良いかわかりませんと言う、
なんじゃそれは?寝ぼけてんのか?
あーしてこーしてと指示をだす、麻由子よ、お前に守るものは無いだろ、練習と思って豪快に闘えと指示。心配そうな声だが、多くを語ると頭が混乱しるから簡単に伝える。
多分、麻由子はこのまま日本に帰国したら、俺に怒られると心の底で思っていたに違いない、
展開も、駆け引きも、何時も色々教えているから、必ず本領を発揮しると思っていた。そして1点差で優勝をもぎ取ったのだ。
今の萩原麻由子は普通の女子選手では無いのだ、勝つために管理され、特殊な練習をこなしている、数年前のレベルから大きく成長している、簡単に負けるはずが無いのだ。
数年前、アジア大会直後落車して、ほんの少し遠回りしたが、更に強さを増して帰ってきたな。
2年前、マニエが麻由子の面倒は見なくて良いと言って、俺と大喧嘩した事がある、この時俺の指導力を見ていろ、必ず勝たせると言い放った。
後は団体追い抜きだが、団体追い抜きの力も、マトリックスの男子プロチームに混ざり4分40秒ほどで走れるが、どのような結果が待っているのか?
とりあえず、良くやった。

メタボな日々

2010年04月14日 07時55分22秒 | Weblog
気が付いたら腹が出ていた。完全なメタボでまるで千都君。
腹が突き出るのは何と早い、内蔵脂肪もフル満タン。
そういえばベルトの穴の位置が一つ二つと変わっていく、おまけに昔のベルトは完全に使えない。
短期間でかなり増えた体重、それにしても短期間でここまで増えるか?
体重は脂肪量もあるけど、脂肪より重い筋肉の減少が大きく、現在の体重があてにならない、ということは、60kg代をキープしないとメタボになる。
そんな訳でミニダイエット、数日間で腹だけへこめようと努力し始めた。
たった数日でと思われる方もいるかと思うだろうが、なぜか見た目はへこむ、水分なのだろうか?とても不思議な現象で突き出した腹は、数日で一応見れるレベルいなる。

酒のさかなは内間の優勝

2010年04月13日 15時49分14秒 | Weblog
沖縄と言えばオリオンビール、やっぱり美味い。
酒のさかなはヤギでした。刺身はいけるがその他は無理。
もう一つの酒のさかなは内間康平の優勝、なんと内間の父ちゃんとおかーちゃん、皆で優勝祝いをそれも沖縄でするなんて思っていなかつた。
この日、泡盛は3人方にまかせ、俺はひたすらジョッキのビールに集中した。
酒はやっぱり酒の肴で決まる、内間の優勝は格別なものがあるのだ。初めて連れて行ったイランで、3人を敵に回し2位、この時ゴールまでの20km、良く一人で闘ったと思うほど手に汗握る展開だった。その後アジアツアーでは多くの表彰台に上がるが真ん中が無かった。
マレーシアで起こった落車では、死ぬ気で行けと無線を流した直後、やばいと思わせるほどのクラッシュで病院送りになった、しかし食欲は衰えない強靭さ、台湾では足にギヤ板が刺さり、数針縫うが全然走りに影響を与えない、なんか同じ血の匂いがする。
ジャパンカップ、坂が苦手な内間を起用した、成績など俺には必要ない、まだ成長途中の心肺機能の呼吸を俺は聞きたかっただけだ。
この時に俺は内間の将来の戦い方を決めた、ここは企業秘密。
その後、数回にわたり一緒に合宿をして、その力と成長過程を見てきた、そしてやっと勝つた。もしツールドタイランドに俺がいたら、内間康平の総合優勝にすべてをかけたに違いない、今回絶好のチャンスを逃したが、次なるチャンスの為に精進しろよ。
赤い弾丸はまだまだ威力をますだろう、小さい男になれ豪快にいくぞ。
この話で盛り上がった俺たちは美味い酒を飲んだ、おかげで夜は体が燃え上がり、寝れなかった。

気がつけば沖縄行きの飛行機に乗っていた

2010年04月10日 22時08分37秒 | Weblog
風来坊は思いついたら沖縄に来ていた。
そして美来工科高校の選手達と先頭交替、もがいて、登ってインターハイのコースも熟知してきた。
ついでに不動産も見て、船も見た。
海は穏やかより、荒れ狂うのが良い、今日は最高の波だった。
アグーと、うにを食べ、オリオンビールを飲んだ。
疲れ果てていた身体は、もみやの弟子にもんでもらった。
わずか数分で記憶が無くなった。
行きつけの散髪屋に行こうかと思ったが、とんかつにした。
紅芋アイスを食べようと冷蔵庫を開けたら、電源が入っていなかったので、どろどろ、もちろんジーンズの上に爆発。最悪。
部屋で寝たら、クーラーが切れ大汗かいて起きた、花粉の症状は未だ余韻が残っており、ザールが必要、でも残り少ない、鼻が詰るのが怖い。
寝るのが怖い、毎日夜中に目が覚め睡眠不足、今俺に近寄ると機嫌が悪いぜ。
お陰で、ちゅら海水族館のさめとにらみあいして勝った。とても美味そうな魚ばかりで狩猟民族の血を引く俺は心が躍った。
明日は嘉手納基地で戦闘機でも見るか?普天間もついでに見てみるか?
やっぱ風来坊は辞められね!



10円されど10円

2010年04月08日 22時37分13秒 | Weblog
証券会社の手違いから、お金が不足してましたと電話があった。
しかし俺は仕事でお金を持っていく暇は無い、何時も営業の時は家に来るのに、なんでこんなに忙し時に言うんだ。
おまけに車は無い、家にもいない、嫁にタクシーで持っていけと言ったが、歩いて行ったらしい、それも膝が痛いのに、そして金額はと聞いたら10円だった。

内間からの電話

2010年04月08日 21時49分42秒 | Weblog
タイでステージ優勝した内間から連絡があった。
よく成長したな、だが選手としてはこれからだぞ、また練習する機会もあるだろうからその時にいろいろ話そう。
しかし最終日守り切れなかったのは残念、日本からも多くのチームが参加していてもリーダーを守れなかったか?
昔とちっとも変わってないな、なんでだ?
日本人はこれで何度も総合を無くしてきた、その歴史繰り返されるか。
内間以外のナショナルチームのメンバーも、最終日、どう守ったかは知らないが、課題がおおすぎるな。

ギヤとバス停

2010年04月08日 21時35分37秒 | Weblog
ギヤがアウターに入りません、どうしたらいいですか?
どれ、見せてみろ、簡単に変わるじゃないか?
あまりのきつさに変速機を動かせないだけだろ、新型ジュラは重いらしい。
そういえば、昨年これ壊れるんじゃないですかと、魔は言ったほどだ。
やっぱり、電動メカで行くしかないか?
夕方、バス停の処で待ってろ、はいわかりました、待ち合わせの場所に向かう途中、バス停で選手発見、そこのバス停じゃないだろ、方向音痴にもほどがあるぞ。
でも必死に食らいついてくる、うーなかなか良いじゃん、もしかしてこの手の練習は日本で一番強いかも。
死ぬ気でついてこい。

30年前のメンバー

2010年04月08日 08時21分30秒 | Weblog
昨日は偶然もかさなり、30年前の団体追い抜きメンバーが来客、もう一人いれば完璧だった。
官房長官の実家の和菓子もウマかったし、昔の話は非常に興味深いものがある。
自分達も知らないことも多い、その大先輩達が作ってきた記録と今がそんなに変わらないのはなぜだろう。
何十年も競技会を見てきた先輩の目に映る、今の自転車界はどう見えるのだろうか?

まだ追い込めるじゃないか

2010年04月07日 10時37分28秒 | Weblog
次なる課題を求めて動作確認。
これがだ、おっさんにはきつい、長年働いてきた心臓は数年で退化して、おまけに内蔵脂肪、大角膜が脂肪で圧迫されて苦しい、それでも少し練習すれば一応見た目は走れるように見えるが、身体は相当無理しているようだ。
動作確認は本当にきつい、小娘に教る為に、一番わかりやすくしないと覚えが悪い、もっと理解せんかい。
強度を教えるのは更に難しく、簡単なテストではわからない。回数勝負。
その簡単なテストで、今日70kmを超えた、その後気分が悪くなり最悪。
しかしだ、おっさんでもまだ追い込む力が残っているじゃないか、これには驚かされた。
数ヶ月前、52kmぐらいが最高だったのに、58km、61km69kmと数カ月をかけて伸びていく、なーぜ。
そして遂に70kmオーバー、俺が速くなっても意味が無いんだが、いくつかのスキルの部分がわかっただけでも収穫だ。
これを使って指導、早速に、今日の夜にでも、小小娘でテストして見よう、恐怖の乳酸採取でもしてやるか?

倉庫

2010年04月06日 18時06分57秒 | Weblog
小娘たちの調整をすましたが、俺的には納得がいかない。計画的に進む強化がなぜか後退させられる。
なんか良い方法を考えなければ、俺が疲れるだけ。
そんな中、倉庫を掃除、毎回練習と、遠征の旅に膨大な時間がとられる、これも何とか考えなければならない。
掃除中、懐かしい賞状が出てきた、それも1980年代初め、1kmタイムトライアル優勝、記録は1分07秒88、スプリント2位、なんと短距離種目のものだ。
でも当時1分07秒出してもトップ10にも入れない時代だった、なんとレベルが高いこと。
そういえば昔は500m速度競争や、スプリント、1kmにも参加していたんだ。
やっぱり俺はロードよりトラックのほうが良かったのかと思うほどで今でもトラックレースには非常に興味がある、でも世界選手権を見て、ロードに転向したのは間違いでは無かった。その時的確な指示が出せる指導者がいたら進む道も変わっただろうに?
何十年も経っているのに、同じ悩みをかかえる若者が多いのはなぜだ。考えさせられる。