九州の風来坊

今は自由人で風来坊、何処までも突っ走る男は何処に行くのやら

飛行機の中で

2011年09月27日 12時55分43秒 | Weblog
飛行機で横に乗ってきたオバーさん。
当然荷物が上の棚に載せれない、手を貸してやると丁重なフランス語でお礼を言われた。
その後11時間ほどのフライトでほんの少し会話、余りフランス語は喋れないと言っても後の祭り。
そしてオバーさんがフランス人ではなくポーランドの出身だとわかった。
フランスでは北の方のリール近辺に住んでいるらしい、そして今回はバカンスでニューカレドニアに向かう予定だとか。
でも旦那さんらしき人は居ない、一人でと聞くと2人だよと言うが、どう見ても一人のような?
それにしても元気、ほとんど機内でも寝ていないし、自分が後方に食べ物があるよと伝えたら、カップヌードルやアイスを食べまくっていた。
ドイツ上空をかすめる時、その先には故郷のポーランドが見える、飛行機の窓から見つめる目の奥は寂しい表情が見える。
何故フランスに住んだのか興味があるがそこまでフランス語が聞き取れない、あれだけ丁重に喋るのだから長く住んでいるに違いないけど、ポーランドからだと亡命したのかな、その後結婚して現在があるのか?
そこでポーランドならドイツ語訛りか?ほんの少しでも単語わかるか聞いてみるが駄目だとの事だった。
その後色々想像しながら関西空港に到着、そしてトランジットで無事乗り継げる事を確認してさよならした。
今頃、真っ青な空の下バカンスを楽しんで居るに違いない。

高崎山のチンネン

2011年09月27日 09時35分45秒 | Weblog
昨夜,突然チンネンから電話が掛かってきた。
それは復活の兆しを耐える電話だった。電話の向こう側でイケると言う手ごたえを感じているのは手取るようにわかる。

思い起こせば数年前の夏、台湾から帰国した俺に6の称号を持つ男から、チンネンが車に突っ込んで危篤ですと慌てて電話が掛かって来た。
あれから長い時間意識が戻らず心配した。しかしチンネンは幸い泳げないから三途の川を渡れず、閻魔には俺からの使命をまっとうしていないからと追い帰されて、この世に戻ってきた。

その後、記憶もまばらな時に俺に電話をしてきた。あの時怪我が治ったらすぐに練習だなと言うと、それが乗れないんですと言ったのを思い出す、だが、その後回復の兆しを見せて、自転車に乗り始めた。

当然昔の力には簡単に戻れない、それでも復帰後のレースで後方でブッチギレテ行く姿を見るたびに良くここまで回復したなという目で見ていた。

ほんの少し前、スイスで嬉しそうに山岳賞とればジャージもらえるんですよねと言うチンネンの姿が思い出される。
ここまで回復すれば良いか?怪我をしたから走れないのか?一種の妥協が本人の心の中に芽生える、だが俺達は違うぞ、この冬、和歌山を訪れた時、どうだチンネン、怪我する前と何が違うんだと尋ねたら記憶がまばらで忘れる事が多いですと答えた。

そこでまず食べた食事の事や色々質問すると、完璧に答える、何処にも記憶障害なんかないじゃないか?チンネンよお前が弱くなった原因は事故かも知れない、しかし自転車に乗るかぎり全力を尽くして走れ、そうじゃないと近畿に来る必要は無いぞ、怪我したから走れないは言い訳にしかなららい、普通の人には理解されても、ここでは通じないんだ。
厳しいかもしれないが全力を尽くし練習を走り、レースを走るのがここでの礼儀だ。

何かをつかんで夜行バスに乗り帰って行くチンネン、その後徐々に復活の兆しを見せ始めた。
チンネンよ、お前の強さは何だったんだ?得意な所を伸ばせ、妥協するな、お前が走れないのは自分の努力が足らないからだ。
親父がエベレスト登頂なら、お前は無酸素登頂しかないだろ、一歩ずつ確実に踏みしめて頂上を目指さないと転げ落ちるぞ、山は高くなれば高いほど難易度が高くなる、強くなるのも同じだ、頑張れチンネン。
そして今度、血の池地獄に行って閻魔に広言して来い、俺はやるって。

俺も時間が出来たら血の池地獄に行こうと考えている。

同じく和歌山でも事故で苦しみまさに今走り始めた選手が居る、数日前に後ろについて走ったが良くここまで回復してきたと思うほどだった。
スタートダッシュなんて俺より速いじゃないか、これからいかに練習でその力伸ばせるかが課題だな。

国体合宿

2011年09月26日 09時50分19秒 | Weblog

国体に向けて最終の合宿、人数が多く見えるのは富山県から合宿に参加しているからだ。
しかし先生や手伝いの人達には感謝、感謝、選手は結果を残すしかないぞ。

それにしても教える難しさを毎回痛感する、それに動作確認も突き出た腹がじゃまして次第に出来なくなって来ている、自分がいままでどうやってタイムをたたき出してきたのか?記憶と練習記録を見てみる。

今回老体に鞭を入れて走ってみた、なぜ高速で走れないのか?久しぶりにバンクに入るとあの傾斜が怖い、傾斜部分でダンシングが出来ない、それにある部分の筋肉が稼動しない、これな以前団抜きメンバーとして走っている時、良く口癖のように言っていた場所、そして久しぶりの全身筋肉、忘れていた感覚、それと引き換えに足に回転が戻り始める、最終日には何とかほんの少し走れたが、多くの忘れていた事を思い出した。
これは大きな収穫になるに違いない。

少し走れるようになると、1年生数人の後方で何故速度をうまないのか見てみる、めちゃくちゃなダンシングはバックがかかりスムーズさが無い、しかし俺よりは速い。
ここで俺自身に何が足らないのかも確認できた。
その後、俺は死神のほんの少しの可能性を見た気がした。夢か現実か、隠された潜在能力は開花するのだろうか?
ヘルメットに張ったシールが風ではがれるまで走ってみろ。

国体まで時間が無いぞ、メンバーがまだそろって無いがこれで挑むしか道は無い、今のメンバーでどれだけタイムを短縮できるのか?そんなの走ってみるしか判らない、妥協はしたくない、動物園チームには動物園チームの走りがあるばず、メンバーは違うが秋田インターハイで見せたタコの1発、これまでたくさん見てきた精神が肉体を越える瞬間をもう一度見せてくれ。


落車で壊した自転車

2011年09月22日 10時45分00秒 | Weblog
早朝から高校生の自転車修理。
明日から合宿だから明日までには治さないと、しかし新品に換えるとお金が掛かるから出費しないで良いように直していく。
新品に交換だと時間のロスも無く簡単なんだが、時間ばかりが過ぎていく。
この前TTバーを直した時の同じ。
もう落車するなよ。

大破したフレーム

2011年09月20日 16時53分56秒 | Weblog
何と個人TTで大破した自転車。
残り800m高速で走る目の前に現れた段差、後方の車から叫ぶもまったく進路は変わらず突進。
本人は寸前で気がつき一応ハンドルを持ち上げるも時すでに遅し。

豪快な爆音と共にタイヤが前後破裂、ホイルは見るもムザンなチューリップ姿になる。
石畳の狭い路地に豪快な爆音は皆の視線を浴びた。想像してください。
そのまま何とかゴールはしたものの何分もタイプロスして勿論ビリ、結構良いタイムで走っていただけに残念。
しかし、あそこで段差に突っ込むか?信じられん?試走したはずなのに、危険箇所見とけと言ったはずなのに呆然とした1日だった。
しかもゴール後、見るとフレームが大破しているではないか?次のレースまでに自転車を用意しなければリタイヤとなる。
自転車を見る人は、あやー、、病院送りかと聞いてくる、フランスチームも大丈夫と声をかけてくれるが、言葉にならない。
それよりも自転車が必要だから帰る、フランスチームに残りの機材を預けて出発。
レース会場から車を飛ばし1時間30分、宿舎に戻り早急に使える部品を取り外し台車に組み替えていく、何とか数時間後には完成してレース会場に逆戻り、午後のレースには間に合った。
それにしても落車はしなかったのは奇跡。あそこでこけてたらそのままルルドの泉に直行となる所だ。〔けっこうルルドが近く〕

部品を交換した台車は勿論テストフレーム、ドルフィネには最高の山岳仕様、これで後半の登りの成績をいっきに上げ最終日はトップグループで頂上を越えた。
本人は登りが軽いとお気に入りのようだが何と2台しかない品物、今度これを壊されるとスペアが無い。
そしてこの代車が本番用となり世界選手権に旅立った。壊すなよ。

ソーヨタイヤ

2011年09月20日 09時20分07秒 | Weblog

日本ブランドのソーヨタイヤは意外と知られていない。
この所海外で何レースも使用するがパンクが1回も無かった。特にリムザンでは他のチームががんがんパンクする中、何と自分達のチームのみNOパンク。
そしてこのタイヤ、スリックタイヤでグリップも良く、走行感も軽いときている。
レース後このタイヤが欲しいと言われたが、自分達も少ない荷物で持ってきているのでと断ったほど。

帰国してから

2011年09月20日 05時12分20秒 | Weblog
和歌山競輪場に行くと愛好会の面々がバンクで汗を流していた。
そこに社長の姿が、嬉しそうな顔で1kmTTベストタイム更新したとの事。
あの年で20秒とは恐れ入る、何事も努力が必要だと言う見本見たいなものだ。

おっさんとしては初心者の俺はというと、この数週間は車の運転のみで自転車にはほとんど乗っていない。
乗ったのはフランスのドルフィネ地方のアルデッシュで30kmほどだけだ。
この地方山岳が多く、平坦は何とかなるが坂はダンシングでバランスが取れず、大汗をかくだけで一向に前には進まない。
景色は綺麗だが見る余裕はまったく無い、どんどん遅れ前の人の姿が見えない、頂上に着くと涼しげな顔で俺を待っていた。
下りも腹が出ているとバランスが取れない、落ちていく速度は速いが重くてブレーキが効かない、こんな所で怪我したら最悪と慎重に下るが下りも下手になっている。

帰国して少し自転車に乗り始めた。競輪場で周回、速度的にはいけるが下ハンドルが持てない、そう、突き出た腹で前傾姿勢が取れないのだ。
それに呼吸が苦しい、次第に呼吸は慣れてくるがロードレーサーのように簡単には前に進まない。
その後400mハロン、バンクの上を走るだけで息切れ、それでもデブはバックを駆け下りる速度は速い、前の選手が遅いだけか?
こうして走り始めた自転車〔運動不足解消〕これからは出来るだけ自転車に乗ろうと考えるが昨日は乗れず、そして今日は雨。
日にちだけが過ぎ9月も後半、予定が詰まり今年もモンゴルには行けず、一体何時になったらいけるのか?それとも数日だけでも行ってくるか?

何時電話してもつながらないとすし屋のおっさん、すいません海外でした、そして昨日は俺のために特性の稲荷寿司作ってくれていた。

そう何時もパソコンン見てくださいと言われるのだが、海外に居る時はぜんぜん見てません、日本に居る時もほとんど見ていないので急用は電話でお願いします。
大体頭が旧式でパソコンに対応していなといというか触りたくない。それにいまだにナビが信じられん、この前も海外でガーミンのナビより20年前の記憶のほうが断然役にたった。ナビを信じて細い道や、時間のかかる道あれだけ走らされれば信じたくなくなるのは当然。
それにシャスラウの頂が見えればある所までは帰れるし、新しい道がほとんど無く昔のままだと薄ら覚えでも何とかなるしね、しかしドイツ語の単語が出てこない、何と言っていいのか?数日居ると少しは思い出すのだが頭の中が混乱しっぱなし。




吉井さん

2011年09月15日 10時51分24秒 | Weblog
帰国した日に吉井猛さんが亡くなられた。思い起こせば32年前、入社試験の時に初めて会ってから色々とお世話になった。
吉井さんは自分でオレンジ色に塗ったホンダシビックの印象が強く、自分の記憶の中で吉井さんとの出来事が走馬灯のように思い出される。
パナソニック時代、中庭で俺は強くなりたです。と決断をした時も吉井さんは気軽に話を聞いてくれた。
そして約束を果たした後、何度もその約束を更新していく。
そして晩年は俺の生き方に共感してくれて、師匠と呼んでくれた。
今の自分があるのも吉井さんのお陰だ、吉井さん色々と有難うございました。