九州の風来坊

今は自由人で風来坊、何処までも突っ走る男は何処に行くのやら

記念バッジ

2008年06月05日 17時48分01秒 | Weblog
久しぶりに倉庫を掃除していたら国体の記念バッジが出てきた。
1985年、第40回国民体育大会とある、確か鳥取国体。
この時は最悪だった。俺の落車で総合優勝のチャンスを逃してしまい、おまけに出場停止処分までいただいた。
この時ロードの優勝を奈良に持ち帰る事が俺の使命だった。そこでトラックは団体追い抜と個人種目にエントリー、従来ならポイントとか速度競争が長距離選手の出番だが後輩達はトラックのスペシャリスト達、俺が出なくても十分で優勝候補だ。
スプリントでは本気になるからと500m速度競争にエントリーされた。
軽く行け、予選敗退で良いんだから言われるが勝負心がメラメラと湧き出ていたのだ、走るからには全力で挑むし俺はこの500m速度競争が得意種目でもあるのだ。
国体合宿では若者をラビットに練習を重ねる、33秒台は短距離選手でも中々出せないタイムだ。
予選、準決勝と1位上がりで最高タイムをたたき出し決勝に駒を進める。
決勝はギヤを更に1枚上げ52×14T、かなり重いが俺はこのギヤを回す自身があつた。
決勝ではバックストレッチを少し離れて通過、ここで爆発的な速度域まで上げ大外から一気にまくる予定が、何と先頭が後続を振り上げ走路が空いた。
選手ならここを逃すはずは無い、急加速しているから一気に先頭まで出て総まくりを決めようとした瞬間、先頭が俺に気がつき走路を閉めたのだ。
時すでに遅し、俺のペダルが交わした選手の前輪に入り落車、それに乗り上げ数人がもちろん落車、入賞圏外の2人が1位、2位、俺は速度が出すぎていたから止まる事が出来ず全身擦過傷、特にハンドルを握る腕は肉がけずれ健が見えるほどの大怪我奪った。
500m優勝を逃した事が心残りだったが、4km団体追い抜きも俺が出れず敗退、ロードレースはもちろんDNSだった。
何十年のトラックレース、練習でこれが始めての落車だった。
削れた手の甲は焼けどもひどく肉を尻から移植する計画でいたが、なぜかトカゲのように肉が盛り上がってきて数週間で完治、これには先生もびっくり。
昔から何故か怪我が治るのが早い、やっぱりトカゲのお陰かな。