九州の風来坊

今は自由人で風来坊、何処までも突っ走る男は何処に行くのやら

チャンピオンを目指す伊藤優以

2020年01月18日 20時38分38秒 | Weblog

2年前に優勝を狙ってる明地さんと佐世保で数回練習していた頃、伊藤さんと出会った。(明地さんは後輩のクラブ所属)

皆で六甲山に上ろうと集まり、走行後は木下さんのガレージに集まつた時、沖縄市民50kmに出ると聞いて、明地さんと逃げたらとアドバイスした。

この走行会では鎖骨を骨折していて本気で走れなかった伊藤さん、沖縄は見事優勝、明地さんは2位だった。

それが昨年、全日本で5位、茨木国体2位 ツールド沖縄3位と徐々に頭角を現してくる。(こんなに走るとは、趣味で乗ってるだけと思っていた)

年末、濱中がちょっと伊藤を見てくださいと連絡があった。

じゃ一緒に練習しようぜとKCSC、結構走るが素人そのもので修正する所ばかりだった。

そして昨日練習しに伊藤さんが来た。

練習後はシューズを修正して、頭の中を改良していく中で、たわいもない話をして情報を集める、ガンガン集める。

この情報量が今後の走りに影響を与える。

2020年、自転車競技連盟の強化指定選手に選ばれた伊藤さんは、6月に開催される全日本選手権の優勝を狙う。

残された時間は僅か数か月、勝負する為に必要な事を覚え、速力を上げ、色々な事に対処する能力を見につけるしかない。

普段は会社で仕事をするOL、レースには有休を使って参戦、、練習時間も十分では無いと感じるだろうが大丈夫。

勝負にかける気持ちが大事だぞ、闘う相手は経験があり強化指定選手数年在籍。

数年在籍した選手に素人並みの伊藤さんが勝ってるんだから、レベルはそんなもんだ。

追い付き追い越せるように頑張れ。

 

 

 

 

 

 


練習日誌になってキテル

2020年01月14日 22時16分44秒 | Weblog

思い起こせばジロデイタリアに行っている時に、後輩で競輪のスーパースター小嶋が、マスターズに出ましょうというから、ノリで再開したトラックレース。

帰国してからも、トラック練習せずにフラフラしてたら8月になって事件が起きた。

家の前で溝にはまり1ヵ月も寝たきりになり、最悪の夏を過ごしてしまう(腰の骨折れたと思った)

治りも完全じゃないから、レースは辞めようと思っていると、エントリーしてるから行けと厳しいお言葉。

仕方なく岐阜のレース会場に向かった。さすがに1週間程の練習では足は動くはずは無い、勢いで走る。

案の定心拍はバクバク、五十肩でハンドルを握りずらく追い抜きは4位。レース後物凄い脱力間で夕食も取らずホテルのベットに倒れこんだ。

ポイントレースは一応優勝したが、まともに闘えば負けていた。(ちょつと強い選手を利用させてもらった)

まじめに練習せねば。

KCSCの競技場に行けば若者達が練習をしてる、競輪学校を受験する選手もいて先輩の城本氏が面倒を見てる。

一緒に走ろうと思ったがレベルが違い過ぎて無理り、幾ら元選手とはいえブランクが長すぎた。

取りあえず競技場に慣れる事が大事、ひたすら一人で周回練習を始めるが、たったの30分で終了。

11月になると俺が練習してるのを知り、森口がKCSCに来るようになり二人の基礎練習が始まった。(森口は教え子でジュニア世界選手権代表、国体パーシュート優勝、全日本チームパーシュート優勝)

バリバリの選手だったが大学を卒業して2年、当時の力は無いがビックエンジンを搭載している。

ちょっと離れて俺らの練習を興味深げに見る植益青年、城本氏の弟子1号(大阪の現役国体代表)がある日練習混ぜてもらえませんか言い出した。

俺達の練習は基礎練習だぞ、いいんか、自称プロがやるような練習はしないぞ。(必ず強くなるし強くする)

競技育成理論に従った肉体改造計画。

意外と簡単そうな練習だが奥が深い、周回数と速度、体力に合わせて変化させる。

風が吹いてもぶれない車体、スムーズな回転での加速と速度維持、これが出来ないと話にならない。

次々に疲労困憊に陥る、能力が違うから襲ってくる日時も違う、、、、、、、、突然来る、来たら笑いが出るほど走れ無くなる、俺はギヤを間違えたと錯覚した。

次は植益が死にかけた、、、、、、、、、年末最後の日、森口に症状が現れた。

皆んな重症だったが消極的休養ですんだから、まだまだいける。

このような症状が来ると言う事は強度があっていると言う事だ。(選手時代の経験と、指導してきた経験がいかされている)

そして遂に来た。

オッサンの途切れた神経を狂わせ、ストロークボリュームを上げる事に成功。(今の所正確に動いてる)

心臓も筋肉という事を実感。(若くてバリバリの時には分からない、多分論文が書ける)

後は明確な目標が必要だ。

マスアーズの大会に出ると口に出すが、何となく本気になれていない気がする。(燃え尽き症候群から完全に脱却していないか)

とにかく今は森口の力を借りて、高いレベルの運動をこなし走れる身体を作り上げる事を考えよう。

週末は、伊藤さんが東京オリンピック狙ってるから練習付き合う事になってるし、色々面白い話も聞けそうだし、自転車で速く走るのは面白い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


風が強い中バンク練習

2020年01月13日 13時47分17秒 | Weblog

週末にレースを走る植益と二人だけで何時もの練習。

ウオーミングアップ、最初の踏み出し、無理なく踏めて心拍が安定してるかが判るまでちょっと心配。

調子は悪くはないが風が強く、踏んでも踏んでも速度が上がらず押し戻される。

練習のポイントは最終回400mを全開でモガク、植益が後方からまくりに入って来るが粘る、ちょっと前までは簡単に抜かれていたが、最近粘って勝てる。

3本目、更にきつくなった風に向かって踏む、少しでも回そうとするが速度を上げるのが困難だ。

最終週、少し風が弱い所でトップスピードに持って行く、何時も追い込んで来る所でまだ後ろに着いている、風を嫌いゴール前の直線勝負に出るなと思ったから、4コーナーから更に踏み込むと捲りの体制に入られ並ばれたがタイヤ1本差で逃げ切った。

この最終局面で、植益の心拍は190マックス、俺はオッサンだから160位。

休憩中植益の心拍が100から下がらない、ここで練習終了。

もし今日森口が居たら、植益は大失速したに違いない、レースまでに後1回か2回の練習が必要かな。

俺はまだいけるが、尻の筋肉が重くなる兆候がある、この何となく重く筋肉が固まりそうな状況を脱却しないと始まらないが、練習を開始して2か月少々、確実に走れるようになってきている、もうちょっと練習が必要だ。

 

 

 

 

 

 

 


超回復を遂げた森口

2020年01月12日 15時40分38秒 | Weblog

12月28日に不調に落ちいった森口は土曜日が初練習だつた。

森口が来ると練習の速度が一気に上がる、目標の速度に達する事が簡単に出来るから、ある意味走りやすい。

これが超回復を遂げた森口の走り。

以前俺はコーチとして森口を外側から見ていたが、今は一緒に練習している、調子の良し悪しや練習の成果を直接体験できる。(これは見ていてもわからない)

速度が上がれば身体に及よぼす負荷が大きくなる、今の速度では俺も植益も1周先頭を引くのがやっとなのに、森口は3周引き1200mも引く、後半は4週1600m引くことが出来る、後半この速度域にたまらず植益の速力が落ちる、俺も何とか耐え抜いたが、全身に疲労物質がたまり回復に時間がかかる。

そこに高校生軍団が練習を始める準備に入ったから、その前に練習を終わらせるぞとスタート。(回復時間に無理があった)踏み出すと、あれっという感覚、何となく重く加速できないが距離が短いぶん速度はグングン上がる、ラスト3周はほぼ限界,最後の力を振り絞り森口を追走する、目一杯加速しているのにどんどん離れていく、ゴール後速度を聞くと森口59km、俺53km次元が違い過ぎる。

だいたい森口はハンデがあり、俺達よりギヤを軽く設定してあるが、全くハンデになっていない、出力が違い過ぎる。

ここで、もう一度練習を再開するか悩む時間との格闘。

ここで無理をすれば、疲労困憊になると判断して終了。

 

 

 

 

 

 

 

 


青年植益との朝練

2020年01月09日 12時12分33秒 | Weblog

大学生の植益が授業があるので、朝練習しましょうと昨夜連絡があった。

しかし朝起きると雨。

そこで雨降ってるぞと連絡入れると、小雨なのでやりましょうとやる気満々。(1月末に大学のレースがあるらしい)

俺的には今日は辞めようかと思う気持ちで一杯だったのに、気持ちを入れ替え付き合う事にした。

バンクは雨で濡れてるが風はほとんど無く寒くもない、でもバンクが濡れると滑りそうでビビってスタート。

アップを始めると何となく脚は重く心拍も今一つ上がらない、それに昨夜からギックリ腰になる兆候がありやばい。

2回目の周回で心拍も安定してきたが、何時もよりは重い感じ、でも少しずつ足も動き出し、腰もましになった。

3日目の周回で何とか動きだした感じがあり、ラストの周回に速度を上げると青年がまくりの体制に入ってきた。

バック側で並んできたから合わせると、そのままゴールまで逃げ切った。(初めて合わせられた)

ここで粘れたと言う事は、これからの練習に非常にいい感じで進められる。

植益青年は、週末鈴鹿で行われたイベントに参加して成長したと実感したらしい、45kmで走る集団でも楽に走れ練習の成果が出てますと言う。

と、言う事は俺もそれなりに走れるようになっているはず。

いや待てよ、ここで勘違いをしてはダメだ。

走れ無い選手が冬の間に、走れるようになり今年は調子がいいと発言するのを選手時代に多く見ていた。

今の俺、青年達とそれなりに走れるが、がそこまで強くは無いはず、強度が上がり、速度が増せば、今の力だと話にならないことぐらいわかる。

まだ本格的な練習には入っていない、基礎的能力はついてきているのは確かだが、後数か月はかかるだろう。

その為には一流の速度を持つ森口の力をうまく使う必要がある。

練習を終えた植益は爺ちゃんに乗せられ学校に向かった。

 


戦争はやってはいけない

2020年01月08日 18時40分43秒 | Weblog

イランには多くの教え子や、兄弟と言える仲間が沢山居るし、イラージュが4日の便でイランに向かったところだ。

以前イラージュと、イラクの国境近くに行った時、かまぼこ型のテントがあり中に入った。

そこは戦争で闘った人や、戦争の悲惨さを忘れないために設置されたものだった。(戦争はしてはいけないと言っていた)

イラク国境付近では警察より、自衛団等の民兵が家族や国を守っている、日本では考えられないような光景だった。

80年から88年、イラン、イラク戦争を体験したイラージュ。

当時学校に軍人が来て、家族を守りたいなら戦え、志願するなら家族に別れを言って来いと言われ、そのまま軍隊に入り戦地に向かった少年達が多く居たんだよと説明してくれた。

俺はアメリカに入国が出来ない、理由はイランに行ったことがあるからだ。

それをイランの選手に行ったら、イランは危ない国と思われてるんだ。

最初にイランに行く時は皆そう言った。

俺も大丈夫かなと思って行ったが平和そのもので驚き、純粋な子供達や親切な大人たちに感心したほどだ。

る時選手が、アメリカとイランどちらが危険だと思う?行った事ある監督だからわかるよねと言われた事がある。

アメリカは銃を持ち夜は危ない、イランは夜中でも公園で家族ぐるみでお茶を飲んでるし、一人で歩いても大丈夫。

そんなイランが俺は大好きだ。

その後、イラン国家チームの監督に就任、制裁もそれほどでも無く平和だった。

2年前もそれほどでも無かったが、経済制裁の余波は色々な所に表れ始め、トランプのせいで遂に俺までイランに行けなくなった。

選手達にも影響があり自国のチームが無くなり職が無くなった。海外に出ている選手も居るが生活は困窮している。(物凄く強いのに)

最近はガソリンの価格が上がり暴動も起きているらしい。

のんな中、アメリが革命軍の英雄を殺害した。

アメリカとイランの緊張は最大限に高まっているが、戦争を回避する事を願うしかない。

 

 

 

 

 

 

 


カザフスタンからの着信

2020年01月04日 20時33分53秒 | Weblog

12月31日海外からの電話がかかってきたが、直ぐに切れた。

2回目、ロシア語を聞いた瞬間にSergeyからだと確信したが切れた。

3回目で、Sergeyが俺の名前を呼んで、ハローと言った後は、ロシア語で嬉しそうに話す,声のトーンで元気とわかるが、ちんぷんかんぷん。

SergeyはキルギスタンのTTチャンピオン、その力を買われカザフスタンに親を残し移り住んだ。

少しでも裕福になる為に国を変えるなんて俺達にはわからない。

家族の為に外貨を稼ぎ母国に持ち帰る指名、腹減りはチャイに砂糖を入れて紛らす、武骨で余り話さない、旧ソビエト時代の秘密主義が染みついた男だった。

ロシア語しか話せないがチームメートのオギ(モンゴル人)がロシア語が出来たので意思の疎通は出来た。

ある時ウッカを飲んで酔っ払い、一気に仲良くなって打ち解けた。(さすが酒の力)

知らない国、カザフやキルギスの事も色々聞いたし、ロシア語も習ったりした。

使わないポットがあるからプレゼントすると、自動でお湯が出るのに感激して、ホテルの廊下でお茶会を始め自慢していた。

使わなくなったユニホームや部品をあげると、自国に持って帰えって、ジュニア選手にあげるんだとバックに詰めた。

何でもある俺達は物の大切さを教わり、何でもある生活を考えさせられた。

sergeyとは自分が怪我で、レースから離れている間にカザフに帰国したから、最後がどのような状態だったかわからない。

一緒に居た、ウズベキスタンのモミノフは韓国まで一緒だったらしいが、モミノフは国に帰るお金が無いから韓国に住み着いた。

その後モミノフは連絡してきた(10年後、今は韓国語バリバリで国に帰っていない)

Sergeyはカザフに帰国して一度手紙はもらったが、その後は音信不通17年。

カザフの知り合いに所在を聞いたが皆知らないと言うから、もう連絡はつかないだろうと半ば諦めていた。

そんなSergeyは今。カザフでコーチをして選手を育てているとの事。

家族もバラバラになって無いから一安心、お互いが元気なうちに会ってみたい。