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日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

ブリュッセル、再び

2008-05-12 05:52:38 | 海外(フランス、スペイン以外)
またこの時期がやってきた。ブリュッセルで開かれる
ベルギー最大の舞台芸術の祭典、クンステンフェスティバル
を見に行くためにブリュッセル方面へ遠征。
今回も日本とかトルコとか、フランス以外の国際色豊かな
カンパニーも多く参加する、先端を行くプログラムが
組まれているフェスティバルなのだ。

パリからタリスで1時間20分。ブリュッセルの街に到着。
ホテルに荷物を置き、劇場へ直行。今晩は日本からの招待カンパニー、
zan yamashitaのダンスを見る。
ダンスというかコンセプチュアルなパフォーマンスという感じ。
あらゆる意味で非常に日本的な舞台。クスっとした笑いとか。
小さなスケッチの組み合わせとか。

終わってからフェスティバルバーへ行く。クンステンの参加
カンパニーやプレゼンターが集う、いわゆる情報交換の場所だ。
僕はここの雰囲気が結構気に入っている。アーチストが舞台から
降りていろんな人に話しているところとか、日本人も、フランス人も
ベルギー人もいろんな人種が国境も関係なくフェスティバルという
共通項で自由に情報交換しているところとか。
本来僕は引っ込み思案で知らない人とは、仕事じゃなければ
まず話さないんだけれど、このバーでは隣に座っていたドイツ人
グループ(青少年向けの演劇活動をしているらしい)に話しかけたり、
となかなかいい感じだったのだ。
やるじゃん、自分。英語の会話はちとつらかったが。

ブリュッセルに来た(5)

2007-05-30 06:24:00 | 海外(フランス、スペイン以外)
ブリュッセルは素っ気無い友達のような街だ。
パリのように過剰でなくて、どこかスキがあって
でも近づいていくと手のひらを返すようにツンとされ
肩透かしにあう。そんな雰囲気にあふれている。

美しい町並みがいきなり建築工事や廃墟のような
建築で簡単に寸断される。
趣味のいい装飾のブティックと趣味の悪いバーが
同居しているような空間。肩の力がなんか抜けているのだ。


ブリュッセルに来た(3)

2007-05-26 17:49:22 | 海外(フランス、スペイン以外)
ブリュッセルはコンパクトな街だ。ただし、これは
あくまでも比較の問題であって、もちろんベルギーの中では
一番の都会だし、いろいろな表情を持つ地区が散在している。
けれど中心街に限って言えば、駅から20分ぐらい歩いたら
都心、グランプラースに到着してしまう。

グランプラースに来るのはこれが2回目だ。
ちょうど1年前にふらっと来たときには、この広場を
駆け足で通り過ぎただけだった。滞在期間、5分。
それで、今回はもっと落ち着いてプラースを見学する。
滞在、15分。次から次へと観光客の波が押し寄せてくるので
ゆっくり広場を、それを取り囲む建築を見る気になかなかなれない。


ブリュッセルに来た(2)

2007-05-24 07:03:46 | 海外(フランス、スペイン以外)
ミディ駅構内から出て街を歩き始める。
街は近代的で、広い広場を横切るとすぐに
環状道路にぶつかる。環状道路はどこの欧州の大都市にも
ありそうなぐらい無愛想で、つっけんどんな感じ。

環状道路を横切るとそこにはエスニック街が広がっていた。
北アフリカのアラブ系住民が経営するカフェ、食料品店、
理髪店、レストラン。まるでモロッコの街角にいるようだ。
ブリュッセルの街角にこんな街路が存在しているとは。
誰かが言っていた。パリは移民やアラブ人はパリの郊外に
どんどん押しやられてすんでいるけれど、ブリュッセルは
その逆でどんどん貧民や移民は市内の中心に追いやられているらしい。

ブリュッセルに来た

2007-05-22 03:51:22 | 海外(フランス、スペイン以外)
ブリュッセルのミディ駅に着いた。初めて降り立つ駅。
休日を利用して、現在ブリュッセルで行なわれている
アートフェスティバル、クンステンフェスティバルを見物に来たのだ。

ミディ駅の周りは殺伐としている。地図で見ても確かに
グランプラースのある中心部から少し離れたところにあるので
そんな繁華ではない、ということは覚悟していたのだが
この場末感はなんだろう? 駅を一歩出ると物乞いや
薬の売人らしき人々がウロウロしている。
THALYSもブリュッセルの表玄関なんだからもうちょっと
何とかしたらいいんじゃないだろうか???

で、僕はホテルを目指して歩き始めた。

ペソアとリスボン(6)

2007-04-08 07:29:23 | 海外(フランス、スペイン以外)
ドゥラドーレス通りには相変わらずペソアが通いつめたレストラン、
「カサ・ペソア」が開いている。自分と同姓のこの店を、半ば面白がり
ながらペソアは通った(今日でも、リスボンの電話帳を覗くと、
20人以上のペソアさんがいることがわかる)。
《この手の中に世界全部を納めることができたとしても》とペソアは言う。
《それをドゥラドーレス通り行きの切符とためらわず交換してしまうだろう》
ペソアの生活や著書を通してリスボンの起伏の多い地勢が手にとるように
分かる。

数々の丘、くぼ地、テラス、袋小路。滝のようにテージョ川に
向かって落ち込む急傾斜、広々とした川岸。リスボンは長い間、帝政や
植民地主義の歴史を刻んできた。
今日、欧州連合の加盟と急速な都市開発によってリスボンは
夢うつつの中で、もう長いこと続いていた凋落から抜け出ようとしている。
しかし、無数の建設現場のカオスの中でも、リスボンにはまだ
ポルトガル人が「サウダージ」と呼ぶような一種独特な雰囲気が漂っている。

《テージョ川が好きだ。なぜならそこに流れ込むような大都市があるから。
バイシャのアパートの4階から見る青い空が好きだ。
どんな自然も、どんな田舎も、この静かな都会が見せる荘厳な雰囲気に
勝ることはない》
(GEO誌、ポルトガル特集号から)



ペソアとリスボン(5)

2007-04-01 06:12:28 | 海外(フランス、スペイン以外)
ペソアのリスボンガイドにはもう一つのバージョンがある。
もっと地味で、秘密にあふれた、ぶらぶら漂うためのリスボン。
そのガイドを楽しむためには、中心街近くのペソアの生家のテラスから
始めて、彼のただ一人の恋人だったオフェリア・ケイロスの窓辺を
通り、彼がなじみ客だったさまざまなレストランや定食屋を眺めながら
彼が眠っているジェロニモス修道院まで行くコースがうってつけだ。

ペソアの幽霊はあちこちをさまよっている。バイシャ、ロッシオ、
タージ川の河畔、彼の行きつけだったカフェ・ブラジレイラの店先に
彼の銅像がたたずんでいるシアード。
ここ数年の都市開発でリスボンは変わってしまったが、ちょっと想像を
めぐらすだけでわれわれは「ペソアの空気」を感じることができる。
このリスボンの散策コースのハイライトはカンポ・デ・オウリケ
地区にある「フェルナンド・ペソアの家」だろう。
この世を去る前の15年間ペソアが暮らしたこの家は今日、ペソアの
博物館になっている。アルカンタラもしくはソードレの岸壁では
かつてブラジル行きの船舶がずらりと並んでいた。もしくは
曲がりくねった細い小道をトラムが走るアルファマの街区。
国立図書館も見逃せない。ここでは1982年から
ペソアの27000の手書き原稿を保存している。
詩、戯曲、占星学、フリーメーソンの研究書、往復書簡、翻訳物。
「不穏の書」でペソアのファンになった者には、下町・バイシャの
まっすぐな道をそぞろ歩きすることをお薦めする。
ペソアはこの街の、「ゆるやかな夏の宵」の静けさをこの上なく愛した。

ペソアとリスボン(4)

2007-03-29 06:19:44 | 海外(フランス、スペイン以外)
有名な歴史的建造物をしばし忘れて、ペソアは
リスボンの旧市街に迷い込む。彼いわく、旅行者たちが
かつてのリスボンをもっともよく知りえる場所に。
バイロアルトの傾斜に張り付く狭い通り、ファドのタベルナ、
船員たちが住むアルファマの街角。《建築、通りの造り、
アーケード、階段、木でできたバルコニー、騒々しい街角の、
おしゃべり、歌、貧困、埃にあふれた住民の日常まで
すべてが往時を思い起こさせる街角》

ペソアが港湾近くの新市街のにぎやかさをたたえるのは、
彼の目にはリスボンは他の欧州の首都にも引けを取らない街
だとの自負があったからに他ならない。
サンフスタの電動エレベーターの素晴らしさはエッフェル塔に
匹敵するし、リベルダード大通りはそのカフェや映画館、劇場を
見るにつけシャンゼリゼを彷彿とさせる。



ペソアとリスボン(3)

2007-03-27 07:12:58 | 海外(フランス、スペイン以外)
100ページ足らずのガイドの中にペソアはロッシオ広場から出発
する二つのリスボンガイドを記している。
1998年の万国博覧会、そして2004年のサッカーワールドカップ
ンの開催による改造工事で1925年からリスボンはその表情を大きく
変えた。でもペソアが記したリスボンの中心街は何も本質的には変わって
ないはず。街の地勢構造は何も変わってないし、アルファマやバイロ・アルトは
相変わらず下町にへばりついているし、1世紀がたっているにもかかわらず
ペソアが示したリスボンガイドに従って街を浮遊することもまだ可能だ。
彼のガイドにはどんな歴史的モニュメントも漏れていないし、どんな小さな
庭園やスポーツ施設でさえ詳細な描写で描かれている。

歴史的建造物の描写の一方で、ペソアは古い、リスボンの
庶民的な地域の描写も忘れていない。
彼はほぼ民俗学的な視点といってもいいぐらいアルファマや
バイロ・アルトの街を描写している。



ペソアとリスボン(2)

2007-03-25 19:52:18 | 海外(フランス、スペイン以外)
その女中部屋こそ、重層的で、変幻自在で、おびただしい数の
彼が考え出した変名にあふれた作品をこっそり生産していた場所だ。
アルベルト・カエイロ、リカルド・レイス、アルバロ・デ・カンポス、
ベルナルド・ソアレス。すべてペソアの作品の『著者』だ。
これらのペンネームで、ペソアは孤独や哀愁にあふれた
詩や散文を作り出した。

《私は何者でもない、何者でも。私の魂は暗黒の大渦潮(maelstrom),
虚空の周りにある深遠な目眩、無の淵にある果てしない大洋の満ち引きである》
ペソアは『不穏の書』の中でそう記している、彼の本名を面白く
説明しながら。「ペソア」とはポルトガル語で「誰か、ある人」(quelqu'un)
という意味であると同時に、「誰でもない」(personne)という意味も持つ。

ペソアのリスボンガイドはガイドを超えるガイドである。リスボンへの
抒情詩であるとともに、ポルトガルにささげられた凱歌である。
作者はリスボンの偉大な歴史を、豊富な文化遺産を、そして文化、経済の
繁栄を褒め称える。

《海からリスボンを訪れる旅行者にとってこの街は、遠くから、
まるで夢の一シーンのように現れ、空のまばゆい青さを背景に浮かび上がる。
無数のドーム、モニュメント、古い城砦がどこまでも連なる低い家々の間に
張り出している、すばらしいリスボンの滞在を予感させるように》



ペソアとリスボン

2007-03-24 19:35:11 | 海外(フランス、スペイン以外)
ブエノスアイレスのボルヘス、ダブリンのジョイス、パリの
モンディアノ。どの首都にもその都市固有の有名な散歩者がいる。
リスボンにもすばらしい素晴らしい散策者がいる。ポルトガルの
大詩人、フェルナンド・ペソアだ。

ポルトガル随一のメトロポール、リスボンは彼の作品の中心
になっている。1935年彼が他界したとき見つけられた膨大な
数の未発表の作品の中には、1925年ごろ書かれたと思われる
リスボンのガイドが残っていた。彼の作品の中にこれほどまで
リスボンが重要な位置を占めるのは、確か母の結婚相手が
領事に任命された南アフリカにわずか9歳で移り住み、そして
彼の地の滞在を本当の「島流し」のように感じた経験によるものと
思われる。1905年、17歳でリスボンに戻ってから、彼は死ぬまで
この街を離れなかった。テージョ川の河畔で事務員として
つつましい生活を送ったペソア。
夜が来ると、独身のペソアは毎晩流行のカフェに通った。
アルコールへの長期間の依存はついには女中部屋のような
狭いアパートでの生活を余儀なくさせた。

ストックホルムは晴れていた(9)

2007-02-23 15:48:08 | 海外(フランス、スペイン以外)
ストックホルムのオペラ座。バレエやオペラが上演されるバロック建築。
中に文学者や芸術家の溜まり場として有名なレストラン、
オペラシャラーランがある。
昼間に前を通りかかったせいか、建物の周りは人気もなくひっそりしている。
ストックホルムで見るオペラってどんなんだろうか?

ストックホルムは晴れていた(8)

2007-02-20 06:38:22 | 海外(フランス、スペイン以外)
美術館をなんだか晴れやかな気持ちになったまま出た後、
足はストックホルムの中心街に向かう。新市街と呼ばれている街区だ。
ここまで来ると北欧らしい建築は姿を潜め、どこかアメリカの
街にでもありそうな近代的なビルが立ち並ぶ。
写真の市場ではガラクタ市が開かれており、捨てる寸前の古ぼけた
スーツケースや、何の価値もなさそうな凡庸な油絵が売られていた。

話は突然戻るが、今日は午後に2つも外部の人とミーティングがあった。
司会させらて疲れた・・・。やっぱミーティングの司会って自分には
合わないぜ。みんなを引っ張っていくのって苦手だし。
しかし年齢とともに司会をやる回数がどんどん増えていく。
って、なんか平凡なサラリーマンのつぶやきみたいだな。そうなんだけど。

ストックホルムは晴れていた(7)

2007-02-19 05:01:40 | 海外(フランス、スペイン以外)
凍えながら、橋を渡って対岸の国立美術館を訪ねる。

1階はスウェーデンデザインのフロア。
洗練された北欧のインダストリアルデザインのオブジェが果てしなく
陳列されている。食器、イス、トースター、壷、ありとあらゆる
オブジェが洗練されたデザインを持って、陳列されているのだ。
こんなに真面目に皿の形を眺めたのはじめてかも。

2階は北欧の風土に根ざした伝統的絵画とフランス絵画の部屋。
印象派の絵画が展示されている。スェーデンの人々はここで
印象派の絵画を見るんだろうか? それよりもパリのオルセー美術館に
直接来たほうがずっといいのではないか? などとちょっと思う。
北欧の絵画で、一枚心に残っているのがある。
「真夏のダンス」というタイトルの絵だ。真夏、といってもみんな長袖。
スエーデンのどこか田舎の真夏に、民族衣装を着て、人々がダンスをしている。
ダンスをしている人の顔に映る弱弱しい夏の光。
こうやってみんな、人生の眩い一瞬、一瞬を人間は生きていくんだろうな。
そしてそれを画家は切り取っては絵画にしていくんだろうな、などと追想。


ストックホルムは晴れていた(6)

2007-02-18 05:45:21 | 海外(フランス、スペイン以外)
ガムラスタンの坂をどんどん上っていく。
冷たい切るような風の中、中世の街角をどんどん後にする。
いきなり視界が開けて、巨大な宮殿風の建物が目に飛び込む。
王宮だ。まるで絵に描いたような、堂々とした巨大な建築。
荘厳で重厚な建築は、スエーデンの国民性をよく表しているかのようだ。