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日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

出張前

2009-05-23 23:25:27 | 海外(フランス、スペイン以外)
明日から海外出張だというのに準備もできず、
しかも土曜なので大学院の授業を受けに行く。
あまり集中できない。

先週提出した授業の報告書を戻される。
書いていて我ながら、「なんてつまらないんだあ」と
思ったが、読んだ教授のほうもそう思ったらしく、
あまり芳しい点数ではなかった。ちなみに何について
書いたかというと、「立憲的基盤」constitutional structure
についてなんだが、いまだにあまり概念整理ができていない。
もともと立憲的基盤なんて単語知らなかったしね。

2週間の出張行ってきます。行く先はイタリアっす。

グアム以後

2009-04-02 22:46:53 | 海外(フランス、スペイン以外)
ということで、4日間の短いグアム旅行が終わって東京に戻る。
会社の同僚は皆、僕の顔の黒さに驚いて、「一体どこに行ったのか?」
などと口々に質問する。たしかに、グアムの抜けるような青空と
30度近い気温の国から、薄暗い、湿っぽい10度前後の花曇りの国に
戻ると、その環境のギャップに閉口する。

会社でエレベーターに乗ろうとしたら、掃除のおばさん
(外部委託の会社の人)が、大きなビニール袋を抱えて乗ってきた。
ビニール袋の中にはシュレッダーのごみが入っている。
おばさんは小さくて、多分もう60歳近くて、すまなさそうな笑いを
浮かべている。そして僕に、「ごめんねえ、汚いのと一緒になって」
と言った。僕は逆にそんなことを言われること自体に驚いた。
汚いなんてこれっぽっちも思っていないのになあ。


グアム4日目

2009-03-31 23:38:00 | 海外(フランス、スペイン以外)
もう今日は日本に帰る日だ。フライトは午後3時。
半日は自由に使えるので、午前中にホテルを抜け出して、
ヒルトンホテル近くの公園に行ってみる。公共の公園らしく
広々と刈り取られた芝生が丘一杯に広がっている。

芝生を見ながら子供の頃を思い出した。
子供の頃住んでいた種子島の、父親の職場には
広々とした駐車場と、こういう芝生のグラウンドがあった。
芝生の上を子供の僕は、一つ年上の姉とよく駆け回って遊んだ。
遠くから心配そうに母親が見ていたっけ。
3歳の頃の記憶というのは不思議だ。あのときの強い太陽が
なんか蘇ってきた。
それともそんな気がしているだけなのかなあ。

実家に帰るたびに思うのだが、うちの両親は5歳になる
姉の子供、つまり僕のおいを宝物のように可愛がっている。
可愛くてしかたがないのだ。あんなふうに子供の僕らのことも
可愛がっていたのかもしれないな。

グアム3日目(2)

2009-03-31 06:39:54 | 海外(フランス、スペイン以外)
数時間すると雲が晴れて、日差しが戻ってくる。
ガンビーチからもっと恋人岬の方向へ海岸沿いを歩いていくと
ファイファイビーチ、という新しいビーチが現れる。
ここに来るともう人気は消えて、自分しかいない。
少し海に入ってみるが、遠浅ではなく、足元も磯海岸のように
岩場があちこちにあって、素足だとケガをしそうだ。
大人しく、浜から水平線を眺めることにする。


グアム3日目

2009-03-29 07:28:55 | 海外(フランス、スペイン以外)
3日目も朝早く起き出して、ホテルロードを北方向へ歩いていく。
ホテル街の外れ、日航ホテルの先にあるガンビーチへ。
あいにく天気が悪く、空は厚い雲で覆われている。気温もそんな高くない。
だんだん通りには人通りも、車も少なくなって、途中で舗装された道が無くなる。

ふと、書いていてトーべ・ヤンソンの短編小説「夏について」
の一節を思い出した。

「だけど、そもそも道なんかつくる必要があるのだろうか。
あってもなくても、行きたいところには行けるのだ!」

その先には曇り空の下に海が広がる、ガンビーチがあった。

グアム2日目(3)

2009-03-28 10:48:26 | 海外(フランス、スペイン以外)
昼のあと、ホテルから街に出るともうそこは
夜が下りてきていた。熱帯の夜は少し空気が蒸し暑い。
通りを走る車を見ながら、ぶらぶらレストラン探しに行く。
庶民的な中華料理屋やベトナム料理の店が通り沿いに並ぶ。
ネオンがけばけばしく瞬いている。そういう店に入っても
よかったのだが、非常に空腹だったのでピエトロの
グアム店などに入ってしまう。それって日本のチェーンレストランじゃん!

ちなみにピエトロのワインメニューはありえないほど高額で卒倒するかと
思った。グラスワイン一杯で我慢。それでも5ドルぐらいする。

グアム2日目(2)

2009-03-27 00:49:56 | 海外(フランス、スペイン以外)
海にいるのもちょっと厭きて、午後2時ごろ
一旦浜からホテルに戻る。ホテルの冷房の効いた部屋で
昼寝をするために。ふと思う。冷房の効いた部屋に帰りたいと
思うのは僕が、なんやかんや言って3月に日中の気温が30度に
なる世界にまだ適応してないからであって、もし毎日、
1年中25度から30度の間の気温で暮らしていたら、
冷房の聞いた部屋で昼寝、なんて思いも寄らないんだろうな、なんて。

写真は浜から離れた、高台からみたグアム島内陸の景色。
ただっ広い道路が広がる。

グアム2日目

2009-03-25 23:34:27 | 海外(フランス、スペイン以外)
2日目はいてもたってもいられなくなり、
朝6時に起き、朝食を済ませ8時にはもう浜辺に。
砂浜にタオルを敷いて、靴を並べ、本を取り出し、
I-PODで音楽を聴きながら海をぼんやり眺める

グアムの海は8年前と同じように、遠いラグーンまで
ブルーが広がって、どこまでも澄み切っているのだった。
ときどき起き上がって沖合い、といっても100メートルぐらい
の場所までバシャバシャ泳いでいき、ゴーグルをつけて
海底の魚などを覗き込み-あまりいないのだが-、
そのまま浜に戻ってきて読書を再開。ちょっと疲れたら眠って
陽光の熱と光線の強さにまた目が覚め・・・の繰り返しを
延々と午後2時まで。なんかぜいたくだよなあ。
ノルマを果たすとか、他人に対して誠実でいるとか、
信用されるとか、そんな東京にいるといつも考えないといけないような
俗っぽいこと・・・俗っぽくもないが、何も考えなくてもいいもんな。
肩の荷が下りたような気持ち。

グアム1日目

2009-03-24 22:44:53 | 海外(フランス、スペイン以外)
よく考えるとグアムに来るのはもう3回目だが、
前回が2000年だったから、8年ぶりに来たことになる。

3月のグアム。午後4時にホテルに到着し、荷物を部屋に
そのまま残して、いてもたってもいられなくなり、
通りに出てみる。熱帯特有の湿気を含んだ空気が
陽光の中であふれている。気温30度。道端に無造作に植わっている
植物の葉から立ち上る匂いがつんと鼻に来る。
ああ、こういう匂いを嗅ぎにここに来たのかな、という気がする。

今回はパソコンも持ってこなかった。
携帯も画面を見れば、圏外。誰とも連絡は取れない。
これこそ精神の完璧な自由!

写真は道端の樹木。


白く遠いラグーンまで

2009-03-12 23:20:02 | 海外(フランス、スペイン以外)
春が近づいたらからどうか分からないが、最近昼間にやたら
眠くなる。確かに、今週は飲み会が続き(昨日の夜も飲んでいた)、
就寝時間が1時近くになり、結局6時間弱しか眠ってない状態がある。
昔、20代のころ毎日8時間ぐらい寝ていて、夜11時前には寝ていたのだが
「おまえ、そんなに寝ているのか?」とよく父親に呆れられていた。
今は7時間ぐらいしか寝ていない。でも、この欠伸と眠気は??
やっぱり職場で緊張してないからだろうか? 電話でクライアントと
喋りながら、そのまま眠りそうになってしまう。

さて、この3月のくそ忙しいときに、3泊4日でグアム旅行を
予約してしまった。来週の週末に行くのだが・・・。しかも一人。
なんでかしらないが、グアムに行きたくてたまらなかったのだ。
まだガイドブック買ってないよ。申し込みしかしてないっす。
で、また時間がなかった~、などと着の身着のままで出発するんだろうな。自分。

地球のどこかにある島

2009-02-25 23:38:31 | 海外(フランス、スペイン以外)
その島では、いつも夏の風が吹いていて
一年中、生活するのにちょうどいい気温に恵まれている。
日中はちょっと暑いくらいだが、日が暮れるとひんやり
涼風が海から吹いてくる。
野生のハイビスカスが、街角のバス停の脇にも、
海に抜ける小路の脇にも、あちこちに咲いている。
ちょっと浜辺に下りていこう。真っ白な砂浜が
3キロにわたって続いている。そしてビーチ沿いに
ココナツの林が広がっている。海はどこまでも広く、
青いラグーンが波を打ち砕いては静かな浅瀬を作る。

時間に追われることもなく、時計を見ることもなく、
太陽時計で暮らす。文明なんかが一番の関心ごとではなく、
自分の幸福が一番大事なことである。

人間のすること

2008-11-16 21:23:28 | 海外(フランス、スペイン以外)
欧州連合に関する本を読んでいたらこんな一節があった。

   *   *   *
95年夏、スプレニツァ村に住む700人前後のモスレム系住民が
セルビア人武装勢力によって殺された事件は、旧ユーゴ紛争
の中でもっとも悲惨な事件として記憶されている。
[...]セルビア人勢力の攻撃からモスレム人の命を
守るために、国連は当時、この村を安全地域に指定し、国連部隊
を派遣していた。しかし村を占拠したセルビア人勢力は、
住民をキャンプに収容し、95年7月には働き盛りの男性や
男の子供だけを集めてバスに乗せ、そのまま連れ去った。セルビア人
に抵抗する兵士が将来現れないようにと、全員が山中で
次々に殺害された。
                  『大欧州の時代』脇阪紀行
   *   *   *
人間の蛮行というのは測り知れないものだ。薄ら寒くなってくる。
僕にはセルビア人の友人がいるが、彼らにこのことを
聞いてみるするような気持ちにはなれない。彼らがやったこと
ではなく、その当時の国家体制がそうしたのだから。
理性とか理知的であるとか、そんなこと何の意味も持たないんだろうな、
戦時においては、などと当たり前だが思った。

この村にはオランダ人部隊が派遣されていたが、事件発生から
7年後、オランダ国立戦時資料研究所が「保護を求めていた住民を
セルビア人に引渡した責任は逃れ得ない」としてオランダ政府の
責任を問う報告書を提出した。

友達(になりたい人)

2008-11-11 23:33:05 | 海外(フランス、スペイン以外)
仕事の関係で、久しぶりにブリュッセルでNGO
のリーダーをしている女性と電話で話した。最初
英語で話そうとしていたのだが(彼女は英国人)、僕が
フランス語で話すことに固執したので仏語の会話になった。

この彼女がそれは素敵な人なのだ。実際に会ったことも
あるのだが、小柄で、可憐で、でも自己主張が強くなくて、
でも周りのみんなをまとめていく統率力がある、不思議な人なのだ。
この人って多分、他人をうらやんだり、ねたんだりすること
のない人生なんだなあ、とひたすら感心してしまう。
僕のような、大して偉くもない、遠い外国の人間にも
全然分け隔てなく親切にしてくれるのだ。相手を見て態度を
ころころ変えるヤツというのは日本にも、フランスにもどこにでも
たくさんいるのだが、そんなことしなくても彼女みたいに
責任ある地位で、立派な人間になれるんだなあ、などと思う。