く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<長崎「一本柱鳥居」> 原爆のすさまじさを物語る〝生き証人〟

2018年10月28日 | アンビリバボー

【片方の柱を失っても立ち続けて70年余り】

 長崎の「一本柱鳥居」として有名な山王神社(長崎市坂本)の二の鳥居は、浦上街道沿いの参道の石段を上った小高い場所にあった。原爆が投下された爆心地から南東へ約800m。爆心地側の鳥居の左半分は強烈な爆風によって吹き飛ばされたが、右半分は奇跡的に倒壊を免れた。まさに奇跡のバランス感覚! その立ち姿はまるで「被爆の惨禍を伝えるのが私の使命」という強い意思を持っているかのように見えた。

 山王神社の創建は江戸時代初期の1638年といわれ、地元では「山王さん」と親しまれている。二の鳥居が建立されたのは1924年。1945年8月の被爆当時、神社には一の鳥居から四の鳥居まであったが、原爆による爆風で三と四の鳥居は倒壊、最大の一の鳥居はほぼ原形のまま残り、二の鳥居は右半分だけが残った。ただ、この二の鳥居も上部の笠木部分が東に13度回転したままになっているという。無事だった一の鳥居はその後、トラックによる衝突事故で倒壊し撤去されたため、4つの鳥居のうち今も残っているのはこの二の鳥居だけ。

 

 この一本柱鳥居は地元では〝片足鳥居〟と呼ばれているという。そのそばには吹き飛ばされた左半分の柱や笠木、「皇大神宮」と刻まれた額、鳥居の前に立てられていた石灯籠などの遺物が横たわっていた。柱には「大正十三年十月十八日建立」という文字が鮮明に刻まれていた。一本柱鳥居は国指定史跡。2年前の2016年10月、原爆により小川に滑落した浦上天主堂の旧鐘楼など3カ所とともに「長崎原爆遺跡」として史跡に指定された。

 

 山王神社には被爆の惨禍を伝えるものがもう一つある。境内入り口で圧倒的な存在感を見せる2本のクスノキの巨木。樹齢500年ともいわれるが、爆風で幹は折れ枝葉は吹き飛ばされて丸裸の立ち枯れ状態に。幹には無数の瓦や金属、小石などが突き刺さり、その破片を取り除くのは困難を極めたという。12年前には幹の空洞から新たに被爆時のものとみられる無数の焼けた石が見つかった。爆風で舞い上がって空洞の中に入ったと考えられるとのこと。樹勢を回復した被爆クスノキは長崎市天然記念物に指定されるとともに、環境省の「日本の音風景百選」にも選ばれている。


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