く~にゃん雑記帳

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<手向山八幡宮> 「転害会」新調鳳輦の晴れ舞台のはずが…

2018年10月06日 | 祭り

【58年ぶりの東大寺転害門へのお渡りが中止に!】

 10月5日は東大寺の鎮守社、手向山(たむけやま)八幡宮の例祭「転害会(てがいえ)」。この八幡宮は聖武天皇が大仏建立に際し、749年(天平勝宝元年)、九州豊前国(大分県)の宇佐八幡宮から八幡大神を勧請して創建された。そのとき大神は紫の輿に乗って東大寺の西北に位置する転害門をくぐったという。これが神輿(みこし)の始まりといわれており、転害会はこの神迎えの様子を再現した祭事。かつては天皇の勅使を迎えて行われる勅祭だった。

 今年の転害会は例年以上に注目を集めていた。それは長く途絶えていた本殿からお旅所の転害門(国宝)への鳳輦(ほうれん、神輿)の渡御が58年ぶりに復活されることになっていたから。平安時代作といわれる鳳輦が重要文化財に指定され老朽化も激しいため、1960年の転害会でのお渡りを最後に退役、その後は渡御のない転害会が続いていた。しかし昨秋、忠実に模した鳳輦が新調されたことで、今年からお渡りも再開されることになっていた。

 

 曇り模様の天候が少々気がかりだったが、お渡りを楽しみに勇んで出掛けた。到着したのは午前10時すぎ。本殿での神事がほぼ終わって、神職ら関係者の記念撮影の最中だった。ところが法被姿の奉仕者に伺ったところ、お渡りは中止で、転害門で行う予定だった神事の一部、舞楽の奉納が正午から拝殿で行われるとのこと。不安定な天候から前日までに早々と中止が決まっていたそうだ。祭り好きのアマチュアカメラマンが少なかったのも、事前に調べて中止の情報を得ていたからにちがいない。

 

 少しがっかりして時間をつぶすため神社の鳥居を抜け法華堂(三月堂)、そして二月堂方向へ。境内は修学旅行生で溢れ返っていた。と、そこへ先ほどお話を伺っていた法被の方。「お渡りじゃないけど、御神輿がまもなく動きますよ」。鳳輦を収蔵庫へ収めるため神社の周りを担いで回るとのこと。お忙しい中、そのことを伝えるためわざわざ駆けてきてくれたその親切なお気持ちがうれしくありがたかった。

 境内に戻ってまもなく鳳輦が20人ほどの氏子らに担がれて動き始めた。この鳳輦を目にするのは新調直後の昨年11月に開かれた東大寺の「宇佐神輿フェスタ」以来。屋根の上には煌びやかに輝く鳳凰。拝殿から運び出す際、その鳳凰が建物に当たるのではないかと、見守る側も気が気でなかった。鳳輦は朱塗りの楼門から階段を下りて反時計回りに境内の外側を一周。その間も鳳凰が木の枝に引っ掛からないように慎重に歩を進め、長い棹で何度も枝を持ち上げたりしていた。担ぎ手の中には東大寺のお坊さんだろうか、剃髪の方も混じっていた。

 

 拝殿では予告通り、正午から舞楽の奉納が始まった。向かって左手に笛や篳篥(ひちりき)など管楽器、右手に大鉦鼓(だいしょうこ)など打楽器の奏者。舞手はまだ8歳という男児だった。曲名は朝鮮半島系の右舞(うのまい)で有名な「納曽利(なそり)」。通常は二人舞で竜を模した面を被るそうだが、この日は一人舞で頭には面の代わりに天冠を着けていた。一身に注目を集めながら優雅に舞い終わると、観客の間から温かい拍手が沸き起こった。この後、主役の男児を中心に再び記念写真を撮っていた。

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