く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<BOOK> 「誰も国境を知らない 揺れ動いた『日本のかたち』をたどる旅」

2012年12月29日 | BOOK

【西牟田靖著、朝日文庫新刊】

 中国、韓国との関係が冷え切ったまま年の瀬を迎えた。きっかけは尖閣諸島国有化に伴う中国船の度重なる領海侵犯であり、韓国大統領の竹島上陸である。北方領土についてもロシアによるインフラ整備が加速し、四島返還は遠のくばかり。著者は困難を乗り越えてこれらの島々を訪ね、国境問題に振り回される人々の姿を追った。〝本土〟で暮らす限り普段意識しない国境の存在。そこでの厳しいせめぎあいが伝わってきた。

   

 西牟田氏は1970年大阪府生まれのノンフィクション作家。主に旅や歴史をテーマに取り上げ、近年は朝鮮半島や旧満州(中国東北部)からの引揚者への聞き取り取材に取り組んでいるという。著書に「僕たちの『深夜特急』」「僕の見た『大日本帝国』」「ニッポンの国境」など。

 本書で取り上げたのは尖閣、竹島、北方領土のほか対馬、沖ノ鳥島、与那国島。このうち尖閣諸島と沖ノ鳥島は接近できても、まだ上陸できていない。尖閣の場合、勝手に上陸すると不法上陸で逮捕や起訴・書類送検されかねないからだ。そこで那覇でセスナをチャーターして魚釣島などの上空を旋回した。戦前の鰹節工場跡や日本青年社が建てた灯台、岩にペンキで描かれた日の丸などが見えた。「竹島や北方領土のように他国に奪われているという状態ではないというのに、自由には行けない。その事実が改めて身にしみて、何ともいえないもどかしさが残った」。

 竹島(韓国名「獨島」)には韓国・鬱陵島からの船による上陸ツアーに日本人であることを隠して参加した。韓国がそれまで禁止していた一般人の竹島上陸を解禁したのは、島根県が「竹島の日」を制定した2005年から。島の滞在時間はわずか30分だが、なかなかの人気ツアーという。竹島にはかつてニホンアシカが多く生息していたが、「見渡す限りどこにも見当たらなかった」。竹島へ出漁したことのある漁民が描いた地図によると、現在韓国の施設が林立している東島の頂上付近は日露戦争時の監視所があった場所という。

 北方領土は2部構成で、函館―サハリン―国後島の旅を「渡航を禁じられた島」として、国後島―色丹島―根室を「歴史が止まったままの島」の副題でまとめた。国後島南西部のオホーツク海に面した海岸で、日本から持参した携帯のアンテナマークは「感度良好を示す3つの縦棒が表示されていた」。砂浜には対岸の知床から流れ着いたのか、日本語の書かれたゴミがあちこちに打ち上げられていた。「ゴミや電波がいとも簡単に越えられる海峡を、人だけは面倒な手続きを経なければ越えられない」。

 北海道新聞が2000年に北方領土の島民を対象に行ったアンケートでは、色丹島と歯舞群島の引き渡しに賛成が46%、反対が26%だったという。「正直言うと、ここは日本の領土です。島を日本に返すべきです」。著者が色丹島を訪れた時も70代の男性が声を潜めてこう話してくれたという。だが2006年、プーチン政権は北方四島を含む千島列島の経済発展プログラムを発表した。「名実ともに自国の領土として整備しようという、相当の決意の表れであるように思える」。

 日本政府や千島歯舞諸島居住者連盟などはあくまで四島一括返還を目指す。その一方で二島先行返還や三島返還案も出ている。しかし著者は「択捉・国後では老朽化した滑走路の改装工事が始まり、色丹では新しい学校校舎が使用され始めるなど、現地をまわってみて実際のところ返還が遠のきつつある印象を受けた」。改めて尖閣や竹島も含め今日の領土問題は日本政府の長年の〝事なかれ主義〟が招いた結果のように思えてならなかった。

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