く~にゃん雑記帳

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<唐古・鍵遺跡> 今夏で第113次の調査完了 まだ遺跡全体の1割未満!

2012年12月19日 | 考古・歴史

【弥生時代を代表する環濠集落、木製農機具や絵画土器など大量出土】

 登呂遺跡(静岡市)や吉野ケ里遺跡(佐賀県)とともに弥生時代を代表する集落、唐古・鍵遺跡(奈良県田原本町)。その発掘品を展示する「唐古・鍵考古学ミュージアム」を初めて訪ねた。8年前の2004年秋に開館し「展示品にレプリカはほとんどなく、真正の出土品が95%を占める」。遺跡の面積は約30万㎡。1936~37年に京都大学と奈良県橿原考古学研究所が共同で第1次調査を実施、以来この夏までに113次にわたる発掘調査が行われたが、まだ遺跡全体の1割にも満たないという。

  

 遺跡が成立したのは弥生前期で3つのムラがあったが、中期に入って大環濠の掘削で統合され、幾重もの環濠帯の中でムラは古墳時代初期まで約600年間続いた。出土した様々な木製農機具など(上の写真)からも弥生時代が農耕社会だったことが裏付けられた。環濠の機能は灌漑用水の確保や洪水対策、集落の防御のほか、ムラの結束や共同意識を高める目的で掘ったという見方もあるそうだ。

  

 これまでの調査で建物や人物(シャーマン?)、鹿などが描かれた〝絵画土器〟が多く見つかっている。周辺の清水風、八尾九原の両遺跡を含めると、全国で出土した絵画土器の半数以上を占めるという。それらの土器片の中に2層の屋根や渦巻状の棟飾りなどが描かれたものがあった。それらを基に唐古池南西隅に遺跡のランドマークとして復元した高さ12.5mの楼閣(上の写真)が建てられている。

 遺跡南側からは当時の先端技術である青銅器の銅鐸や武器の銅鏃(どうぞく)などを鋳造した鋳型も見つかった。青銅器の工房があったとみられる。木製の盾や磨製石剣なども出土しており戦いがあったと推測される。遺跡の最も南側からは中空の褐鉄鉱(写真㊨)の中から2個のヒスイ製勾玉(まがたま、写真㊧)が出てきた。

    

 土器は紀伊や和泉、摂津、伊勢、伊賀、三河、信濃など各地のものが見つかっている。かなり広域的に交流が行われていたようだ。このほか幼児用の土器棺墓や成人用の木棺墓、巨木をくり抜いた井戸枠、機織りの道具、骨製の縫い針、大型の臼(うす)なども出土しており、弥生時代の暮らしの一端がうかがわれる。次回の発掘調査時期や地域は未定だが、2000年の時を経て新たに画期的な遺物が出てくるかもしれないとの期待を抱かせる貴重な遺跡だ。


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