く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<北九州市立文学館> 森鴎外・杉田久女・林芙美子・火野葦平・松本清張……

2012年12月24日 | メモ

【ゆかりの文人の足跡を、自筆原稿・日記・書簡・映像などでたどる】

 明治以降の近代化の中で北九州は鉄と石炭の重工業都市として発展してきた。同時に独自の文化を育み多くの文人を輩出してきた。小倉城のそばにある「北九州市立文学館」6年前の2006年11月に開館した。北九州ゆかりの文学者の足跡に触れてみようと、帰省の折に初めて訪ねた。

  

 入って階段を上ると常設展示室が広がる。その導入部で作家や俳人などゆかりの22人を直筆原稿や俳句、書などを背景に写真パネルで紹介していた(写真㊧)。陸軍の軍医部長として約3年間小倉に滞在した森鴎外や女性俳人の先駆者・杉田久女をはじめ、林芙美子、岩下俊作、火野葦平、劉寒吉、松本清張、穴井太、橋本多佳子、横山白紅ら錚々たる顔ぶれが居並ぶ。

 森鴎外のコーナーには「森戸事件」(1920年)に関する所感を記した友人宛ての書簡が展示されていた。その中で無政府主義者クロポトキンについて「動物ハ互ニ助ケアフ性質ヲ有スと云フ説ヲ唱へ ダアヰン(ダーウィン)ノ生存競争ノ向フヲ張リ居ル相当ノ学者ダ……互助論ハ部分的ニ一顧スル價ガアル」と書いている。また別の書簡には小倉時代に再婚した18歳下の妻・志げについて「少々美術品ラシキ妻ヲ迎へ大ニ心配候……」と記していた。

 林芙美子については絶筆となった「めし」の自筆原稿や戦後使っていた名刺、ベストセラーの「放浪記」「続放浪記」、陸軍省報道部発行の旅行券などを展示。旅行の目的の欄には「大東亜戦争一周年記念日宣伝資料蒐集ノタメ」とし、マニラやジャカルタなどの宿泊証明が貼られている。火野葦平の中国従軍手帖は後の「兵隊三部作」の執筆資料になった。葦平は「糞尿譚」で芥川賞を戦地で受賞、その後、軍報道部に転属になっていた。

 松本清張は「在る『小倉日記』伝」で芥川賞を受賞したが、その葦平から「芥川賞に殺されないやうにして頂きたい」という手紙をもらった。「富島松五郎伝」(「無法松の一生」として映画化)の岩下俊作からも受賞を祝うこんな書簡が届いた。「これから随分作品活動に努力せねばならないだろうし、いろいろ気を使はねばならぬこともあるでせうが、切角開けた新しい道です。放騰(ママ)に力一杯書いて下さい」。劉寒吉からの受賞を祝う葉書も展示されていた。

 同館1階では特別企画展「働き、書いた―北九州の職場雑誌展」を開催中。同館の近くには「北九州市立松本清張記念館」(1998年開館)もある。


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