く~にゃん雑記帳

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<アンビリバボー> 近代陶芸の巨匠・富本憲吉の〝殿堂〟がなくなる!

2013年10月29日 | アンビリバボー

【奈良県安堵町の記念館(現文化資料館)、来年2月末で閉館】

 奈良県が生んだ近代陶芸の巨匠で人間国宝の富本憲吉(1886~1963年)。その資料や作品を展示する奈良県安堵町の「富本憲吉文化資料館」が来年2月28日で閉館する。39年前の1974年に「富本憲吉記念館」として開館したが、創設者の死去や個人運営の限界もあって2012年5月にいったん閉館、その後は今年3月から文化資料館として週2日だけ(金曜と土曜)開館している。

  

 富本は安堵村(現安堵町)で生まれ、郡山中学(現郡山高校)を卒業後、東京美術学校(現東京芸大)図案科に進学。英国留学から帰国後、英国の陶芸家・バーナード・リーチとの交流がきっかけとなって陶芸の道に進んだ。その生涯は奈良に戻って窯を築いた「大和時代」、その後の「東京時代」と「京都時代」の3期に分かれる。1955年には色絵磁器で初の重要文化財保持者(人間国宝)の1人に選ばれた。

  

 記念館は富本と親交があった地元の実業家、辻本勇氏(1922~2008年)が生家を譲り受け、私費を投じて整備し開館した。辻本氏没後、遺族は奈良県や地元安堵町など各方面に運営の移管を打診したが、結局、受け入れ先は見つからなかった。所蔵していた主な陶磁器作品は現在、兵庫県陶芸美術館(篠山市)や大阪市立美術館に分蔵されている。

 記念館にはこれらの作品とは別に、リーチとの往復書簡や大和を代表する著名な文人で郡山中学時代の恩師・水木要太郎氏宛ての葉書をはじめ、多くの文書類や素描、図案などもあった。これらのうち約660点は富本が京都市立美術大学(現京都市立芸術大学)に陶磁器専攻を創設し学長も務めた縁で、今年3月、京都芸大に寄贈された。

 

 文化資料館は古い土蔵を改造した陳列室に、長さ10mの「富本夫妻合作絵巻」、恩師や友人宛ての絵手紙、富本が愛用した茶碗や八角形の万年筆皿、リーチ作の菓子器などを展示している。夫婦合作絵巻は皿や壷、茶器、徳利、花瓶など30点の陶器が描かれたもの。妻一枝は平塚らいてうが創刊した「青鞜」の門人で、「尾竹紅吉」のペンネームで一時「新しい女」として注目を集めた。この他、輸出陶器図案集や婦人装身具、成城高等女学校の卒業記念ブローチなども並ぶ。

  

 本館入り口には富本が娘2人のために作ったという小さな机(上の写真㊧)。4本脚の下部には娘の成長に合わせて継ぎ足した跡があった。館内には衣装が展示され、富本の生涯をまとめたビデオが流れていた。廊下で結ぶ離れには自作の籐の椅子や屏風、絵皿などが飾られ、結婚式のパネル写真などもあった。

   

 辻本氏没後は義弟の山本茂雄氏が記念館・文化資料館の館長として支えながら、記念館継続のため引き受け先を求め奔走してきた。山本氏は富本研究の第一人者として執筆活動にも取り組んできた。ご夫婦で広い敷地(約3300㎡)の草むしりも「ボランティアのつもりでやってきた」。それだけに閉館に追い込まれてしまうのが残念でならないご様子だった。

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