【絵馬など基に18年前、約100年ぶりに復活!】
奈良県安堵町の飽波(あくなみ)神社で26日、雨乞いの「なもで踊り」が奉納された。詳しい起源は不明だが、神社には宝暦6年(1756年)銘の「なもで踊り図絵馬」が納められている。その頃の「南無天躍之日記」などによると、江戸時代には少なくとも19回踊りが奉納されたという。灌漑施設の整備などもあってか、明治半ばの1900年頃に途絶えたとみられるが、1995年に絵馬などを基に約100年ぶりに復活させた。
飽波神社は斑鳩宮と飛鳥宮をつなぐ太子道沿いにあり、聖徳太子の飽波葦垣宮跡ともいわれる。境内には聖徳太子が休んだという伝承のある太子腰掛け石もある。祭神は素盞鳴命。鳥居に掲げられた額は安堵町出身で人間国宝だった陶芸家・富本憲吉の筆による。神社には「なもで踊り」用の衣装や鼓、歌詞本などが伝わっており、いずれも奈良県有形民俗文化財に指定されている。
踊りは午後4時半から鳥居の前で始まった。踊り手は女性ばかり8人。黒尽くめの装束で、御幣を背負い腰には瓢箪。踊りの輪にはちびっ子3人も加わり、太鼓と雨乞い歌に合わせ拝むように手を合わせて踊り始めた。しばらくして善鬼が登場すると、踊り手は中央に集まって身を寄せ合う。鬼は長い棒で天を突くような仕草を繰り返し、その後、棒を振り回しながら踊り手の周りをひと回りして退場した。
踊り手は再び輪になって踊り始め、「早馬(はやうま)」と呼ばれる鼓を持った女性4人も加わった。鉢巻きをし、陣羽織のようなきらびやかな衣装姿で飛び跳ねるように踊った。どうも、この「なもで踊り」は雨乞いの踊り、雨を降らせる鬼の登場、恵みの雨に感謝する踊り――という〝3部構成〟のようだ。
約20分で踊りは終わり、その直後に小さなお神輿が子どもたちに引っ張られてやって来た。さほど広くない神社の境内はボールすくいなどに興じるちびっ子たちであふれた。ところで「なもで」とは? 踊りの復活を提案した福井保夫さんによると「なもで」は漢字で「南無天」または「南無手」。地元では「なむで踊り」ともいうそうだ。福井さんは「南無阿弥陀仏と拝むところから来ているのではないでしょうか」と話していた。