く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<采女祭> 中秋の名月の下、猿沢池で雅な〝管弦船の儀〟

2013年09月20日 | 祭り

【稚児や天平衣装姿約200人の〝花扇奉納行列〟も】

 中秋の名月の19日、奈良市の采女(うねめ)神社で「采女祭」が行われた。花扇奉納行列、神社での神事に続いて、午後7時から満月の下、管弦船が流し灯籠の間を縫って猿沢池を巡った。「采女」の縁で姉妹都市になっている福島県郡山市から、今年も市長や「ミスうねめ」たちが参加した。

  

 采女祭は奈良時代、帝の寵愛が衰えたのを嘆き猿沢池に身を投げた采女(女官の職名)の霊を慰める祭り。入水後、池のほとりに社が建てられたが、采女はわが身を投じた池を見るにしのびないと、一夜のうちに社を後ろ向きにしたという。普段はあまり存在感がない狭い神社だが、この日ばかりは多くの見物客やカメラマンで周辺はごった返した。

 

 行列は稚児や天平衣装をまとったミス奈良、郡山市のミスうねめら総勢約200人。秋の七草で飾られた高さ2mの花扇や御所車に乗った十二単姿の花扇使が彩りを添えた。行列は午後5時、JR奈良駅を出発、三条通りやもちいどの商店街などを経て、ほぼ1時間がかりで采女神社に到着した。神社では午後6時から春日大社の神官によって厳かに神事が行われ、花扇が奉納された。

 

 続いてメーン行事の管弦船の儀。満月が東の空に昇り始めてまもなく、花扇使やミス奈良、ミスうねめたちが2隻の船に乗り込み、雅楽が流れる中、右回りでゆっくりと2周巡った。池の周りにはぐるっと幾重もの人垣。最後に花扇を載せた管弦船が池の中央まで進み、采女の霊を慰めるため花扇を池の中に投じた。

 采女の出身地は陸奥の国安積の里(現在の郡山市)といわれる。奈良時代、巡察使の葛城王に冷害による窮状を訴え、朝廷への貢物の免除をお願いするが、聞き入れられない。その夜の宴で王は春姫の心からのもてなしぶりに感激、春姫を帝の采女として献上することを条件に貢物を免除する。

 

 都に上った春姫は帝の寵愛を受けるが、奈良と郡山の伝説では「その後」が違う。奈良では寵愛がなくなったことを嘆いて猿沢池に入水したことになっている。だが、郡山の伝説によると、春姫にはもともと相思相愛の許婚がおり、悲しみをこらえ都に上ったものの許婚が恋しくて忘れられない。そこで中秋の名月の日、春姫は猿沢池のほとりの柳に衣を掛け、入水したように見せかけて郷里に向かう。だが、許婚は既に亡くなっていた。それを知った春姫は後を追って清水に身を投じる――。

 この伝説を基に、郡山市は1965年「郡山うねめまつり」を始め、49回目の今年も8月1~3日にうねめ踊り流しなど多彩な催しが繰り広げられた。そのうねめまつりと奈良市の采女祭の縁から1971年に両市は姉妹都市として提携、最近では交流の一環として、それぞれの祭りに親善使節団を送り込んでいる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする