く~にゃん雑記帳

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<正倉院宝物> 聖武天皇遺愛品の献納 「梵網経」への信仰に基づく!

2013年09月08日 | 考古・歴史

【奈良女子大学公開講座で奈良国立博物館の内藤栄氏】

 奈良女子大学の地域公開講座が7日、同大学記念館で開かれ、奈良国立博物館学芸部長補佐・工芸考古室長の内藤栄氏が「光明皇后の想いを感じる正倉院展」と題して講演した。長く正倉院展を担当してきた内藤氏は聖武天皇の遺愛品が光明皇后によって大仏に献納された背景について、「天皇は生前から梵網経(ぼんもうきょう)を信仰の柱に据えており、遺愛品の献納も梵網経に基づくと推定される。それがおそらく天皇の意志でもあったのだろう」などと語った。

  

 梵網経は鑑真が中国からもたらした戒に関する根本経典。聖武天皇は東大寺の大仏開眼2年後の754年、大仏殿の前で鑑真から菩薩戒を受けた。この受戒によって天皇は名実ともに菩薩となった。梵網経は殺生・盗み・淫行・飲酒などの10戒のほか、物事に執着せず一切の持ち物を仏に捧げる〝捨心〟や病人の看病、武器武具の不所持なども説く。

 天皇は受戒2年後の756年に崩御する。光明皇后は四十九日に天皇の遺愛品と薬物を献納した。宝物リストの「国家珍宝帳」には袈裟、書、鏡、楽器、屏風、遊戯具、武器武具など六百数十件が記されるが、その3分の2を武器武具が占める。その願文は「遺愛品を喜捨することで大仏、諸仏菩薩を供養し、その功徳によって天皇(の御霊)が速やかに『花蔵(けぞう)の宝刹』へと赴いて……」と書かれている。「花蔵の宝刹」は梵網経の思想表現の1つ。

 献納した60種類の薬物を記した「種々薬帳」願文にも「薬効虚しく死去した場合は花蔵世界に往生して廬舎那仏にまみえ、悟りの境地に達しますように」とある。内藤氏は「天皇の病気治癒や追善法要も梵網経を主軸に執り行われた」と指摘し、「続日本紀」の756年12月30日にある「称徳天皇は皇太子、諸臣を諸大寺に派遣し、梵網経を講じさせた」との記述にも注目する。1周忌に向けて全国で梵網経の講義を行わせたというわけだ。この記述の中にも「国家珍宝帳」の願文に似た「華蔵の宝刹」という表現が見える。

 内藤氏はこれらのことから「梵網経に基づく献納の功徳によって、天皇の御霊が大仏の世界である『蓮華台蔵世界海』に達し、菩薩の次のステップである如来(仏)となることを願ったものだろう」と推論する。さらに「遺愛品とともに献納された薬物は国民が等しく仏の世界に往生できることを願ったものだった」とみる。

 講演の最後に今年の正倉院展(10月26日~11月11日)に触れ、見どころとして蘇芳地金銀絵箱、漆金薄絵盤(香印坐)、漆彩絵花形皿、横笛(おうてき)、投壺(とうこ)と投壺矢などの紹介があった

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