く~にゃん雑記帳

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<BOOK> 「美術品はなぜ盗まれるのか―ターナーを取り戻した学芸員の静かな闘い」

2013年09月13日 | BOOK

【サンディ・ネアン著、中山ゆかり訳、白水社発行】

 ターナーは19世紀英国を代表する巨匠画家。そのターナーの作品2点が所蔵する英国のテート・ギャラリーからドイツ・フランクフルトの美術館に貸与中に盗難に遭った。事件の発生は1994年7月28日。本書はその日から取り戻すまでに要した約8年半を時系列で追ったドキュメンタリーである。しかも執筆者は作品捜索の指揮に当たった当事者の美術館学芸員。それだけにスリルとリアリティーに満ちたものになっている。

   

 ターナーは風景画家として知られるが、盗まれたのはターナー後期の作品で半抽象画の油彩「影と闇―洪水の夕」と「光と色彩(ゲーテの光学理論)―洪水の翌朝」(表紙の写真)。聖書の中の大洪水に題材を取った作品で、画家本人が国に遺贈した〝ターナーの遺産〟と呼ばれるコレクションの中の2点だった。貸与に当たって、これらの作品には2400万ポンド(約37億円)という巨額の保険が掛けられていた。

 著者ネアンは1953年生まれ、盗難当時はテート・ギャラリーの学芸員として内外での展覧会の責任者だった(現在はロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリーの館長を務める)。盗難は〝居残り〟タイプという手口で、フランクフルト警察の威信をかけた捜査で後に9人が逮捕され、うち3人が窃盗や盗品故買の罪で有罪になった。だが、作品の取り戻しは困難を極めた。

 保険会社側は絵の発見につながる有力情報の提供者に、25万ドルを上限に懸賞金を出すことを決める。1995年から2年余りに13件が寄せられたが、真偽の解明は時間と忍耐を要し、そのうちいくつかは保険会社や仲介業者から金をゆすり取ろうという悪質なものだった。「本来無関係な者たちまで事件から利益を得ようとするため、1つの犯罪がより多くの犯罪を新たに生み出しているようだった」。

 この間、絵の所有権は保険金の支払いに伴って保険会社に移るが、その後、テート・ギャラリーが買い戻す。英国の保険業界では初のケースだったという。これによって盗難5年目以降、作品捜索の全責任はテートが負うことになった。膠着状態の中、1999年夏、転機が訪れる。フランクフルトの弁護士が仲介役として浮上し、翌2000年4月には作品2点のポラロイド写真が送られてきた。「盗難からほぼ6年近く……絵は生きていたと叫びたかった」。

 だが、作品が手元に届くまでには粘り強い交渉を要した。「<あちら側>の絵の所持者は、すでに写真代として100万マルクを受け取っているにもかかわらず、さらに前金をほしがっていることが判明した」。2000年夏、フランクフルトでまず「影と闇」が手元に戻った。「まるで旧友に会った気分」と絵を鑑定した美術館の保存修復士。紛れもなく本物だった。その場の緊迫した雰囲気と喜びが手に取るように伝わってきた。もう1つの「光と色彩」を取り戻すにはさらに2年と5カ月を要した。テート側からドイツの弁護士を通じ支払われた金額は最終的に1000万マルク(約5億円)に達したという。

 本書は第2部で、高額美術品の過去の盗難事例や盗難が頻発する理由、盗難の予防策、懸賞金の問題などにまで踏み込む。筆者は「高額美術品の市場価値が天井知らずの成長を見せるのと歩調を合わせ(盗難事件が)著しく増大」し、「麻薬の密輸や流通、売買と、ますます密接な関係をもつようになってきている」と指摘する。背後には犯罪組織と結びついた闇市場があり、美術品が裏社会の〝通貨〟や〝担保〟になっているというわけだ。

 高額な美術品泥棒はその大胆不敵さから小説や映画の題材になり、英雄として描かれることも多い。だが、筆者は「エンターテインメント性を重視する映画やフィクションの世界は、意図せぬうちに、犯罪削減のために一致団結しようとする人々の取り組みの障害となっている」と指摘する。盗難を防ぐための課題としては「単独の国際データベースと各国間の専門警察隊を結びつける方針を定めるガイドラインづくり」などを挙げている。

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