く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<ワタ(綿)の花> ムクゲに似たクリーム色の清楚な花

2013年09月05日 | 花の四季

【秋になると成熟した実から綿毛がモコモコと】

 ワタはハイビスカスやタチアオイ、ムクゲなどと同じアオイ科の1年草。高さは1m前後になり、夏に直径5~6cmの5弁花を付ける。花色はクリーム色が多いが、白やピンクもある。1日花で夕方にはしぼむ。5~6週間後、実が成熟すると、中から種子を包み込んだ真っ白い綿毛がモコモコとあふれ出てくる。その様が白い花のように見えるため綿花と呼ばれる。

 綿花栽培の歴史は古い。紀元前2000年前後にインダス文明が栄えたインダス川流域のモヘンジョ・ダロの遺跡からは綿布が見つかっている。ワタに関する日本の最古の記録は「日本後紀」という平安時代初期に編纂された歴史書。そこには延暦18年(799年)に「三河国に崑崙人が漂着し、持っていた綿の種子を諸国で栽培した」と記されている。崑崙は今のインドとみられる。

 一方で綿花は奈良時代から既に栽培されていたのではないかとの説もある。万葉集にはワタの花を詠んだ歌はないものの、綿の暖かさを詠んだ歌が数首掲載されている。その1つに「しらぬひ筑紫の綿は身に着けて いまだは着ねど暖けく見ゆ」(沙彌満誓)。ただ、この歌にある「綿」は蚕の繭を煮て引き伸ばして作った真綿のことを指すらしい。

 崑崙人が指導した綿花栽培は日本の風土に合わなかったのか、うまくいかなかったようだ。国内で本格的に栽培が始まるのは室町末期になってから。中でも大阪の泉州地方は綿花栽培が盛んで、日本の綿業地帯の中心地になった。だが、明治に入って外国産綿花の輸入が始まると、次第に斜陽になって明治の20年代にはほとんど姿を消した。「泉州や海の青さと棉の花」(青木月斗)。

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