く~にゃん雑記帳

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<平成23年度京都府内遺跡発掘速報展> 美濃山廃寺跡から謎の土製品相次ぎ出土!

2012年10月03日 | 考古・歴史

【清水寺本堂床下の石垣の隙間に、江戸時代中期の西国三十三所巡礼札】

 鳥のくちばしを模したような不思議な形の土製品、瓢箪のような形をしたひさご形土製品……。京都府埋蔵文化財調査研究センターは京都府立山城郷土資料館との共催で、「平成23年度京都府内遺跡発掘調査成果速報展」を同資料館「ふるさとミュージアム山城」で開催中だが、その中で美濃山廃寺跡(京都府八幡市、下の写真)から見つかった時代も用途も不明な謎の出土品が注目を集めている。8日まで。

   

 美濃山廃寺は木津川左岸の丘陵上に広がる古代寺院。遺跡は7~12世紀のものだが、今回の調査では7世紀後半~9世紀前半の多数の掘立柱建物や区画溝、柵などの遺構とともに、仏堂の壁面を飾った塼仏(せんぶつ)や三彩陶器、不思議な形の土製品などが出土した。鳥のくちばしのような土製品(写真㊧)は硬く焼きしめた須恵器で、赤い塗料の朱が付着していた。13点出土したひさご形土製品(写真㊨)は全国的にも例がないが、塔の宝輪に似ていることから土製小塔とみられる。このほか半球の覆鉢形(ふくばちがた)土製品が35点出土した。いずれも仏具の一種ではないかと推測されている。

  

 長岡京跡の右京からは大きな須恵器の甕(かめ)の破片約300点(下の写真㊧)が見つかった。これを長岡市埋蔵文化財センターで復元したところ、高さ112cm、最大直径114cm、容量670リットルと国内最大級。これほど大きな甕が復元可能な状態で出土したのは平城京や平安京でも過去になかったという。これまでの調査から酒造りに使われたのではないかとみられている。

  

 清水寺本堂床下の発掘調査では江戸時代の享保14年(1729年)の「西国三十三所巡礼札」が見つかった。石垣の隙間に2つ折りにして差し込まれていた。この調査では度重なる火災の跡が確認できたほか、緑や白色の釉で彩られた奈良時代の二彩陶器や、鎌倉末期に中国から輸入された青磁の花瓶や香炉も出土した。江戸時代に薩摩藩邸があった相国寺旧境内からは、薩摩焼や琉球の壺屋焼の徳利などの焼き物のほか、幕末の戦いで使われた火縄銃やライフル銃の弾も出土した。

 同展では小企画「貴族から武士へ~もののふ参上」も同時開催、平氏が活躍した時代などの遺跡や遺物を写真や輸入陶磁器などの出土品で紹介している。平氏の拠点、六波羅邸があった六波羅蜜寺旧境内の発掘では新しく門と堀の跡(上の写真㊨)が見つかった。壇ノ浦合戦後、六波羅邸は源頼朝に接収され、北条氏が鎌倉幕府の政庁「六波羅探題」を設けた。小企画コーナーには日宋貿易や日明貿易で輸入された中国の陶磁器なども展示されている。

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