く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<BOOK> 「松下幸之助からの手紙―大切な人たちへ」(PHP研究所編)

2012年10月11日 | BOOK

【体は弱く9歳で丁稚奉公「それがぼくにとって逆に幸いした」】

 丁稚から身を起こし一代で松下電器産業(現パナソニック)を築いた松下幸之助(1894~1989)。享年94歳で亡くなってすでに23年になるが、なお言行録などの出版が相次ぎ、多くのファンの心を捉えている。生前の1970年代半ば、その松下の考え方に賛同する人たちで自主的な勉強会「PHP友の会」が結成された。本書は松下がその機関紙「若葉」に寄せた〝手紙〟と編集者との質疑応答から成るが、その中で繰り返し強調しているのが「和」と「素直な心」「感謝の心」の大切さ。含蓄のある言葉が随所に盛り込まれている。

   

 松下が郷里の和歌山を出て、大阪・船場で奉公を始めたのは9歳の時。「ものの言い方からお辞儀の仕方、出入りの動作まで細かく教えてもらった。そのような教えを厳しく受けたことが、その後の人生にどれだけ役に立ったか分からない」。こうした経験を踏まえ「暮らしが豊かになればなるほど、一方で厳しいものをおとなが意識して子どもに与えていく必要があると思う」。

 独立したのは22歳の時。自分で考案したソケットの製造販売を始めるが、当初はほとんど売れす、明日の生計をどうするかまで追い込まれる。好不調の繰り返しから「成功とは、成功するまで続けること。途中でやめてしまうことが失敗だ」と考えるように。同時に「自分だけの欲望、私心にとらわれることなく自他ともに生きるということを大切にする、そういう心が素直な心だと思う」。

 松下は小学校を中退、体も弱かった。「学問がない、身体が弱いということは、常識的に考えれば短所であり不幸なこと。けれども、ぼくの場合、そのことがかえって幸いした」。学問がないから社員は偉く見える。だから皆の意見に耳を傾ける。「それで衆知が集まって経営がうまくいった」。体が弱かったから人に頼り、仕事を任せてやってもらう。すると皆持ち味を生かしてやってくれた。「幸不幸、長所短所は人間の心の動きによって変わっていくものであるということを考えると、〝幸福よし、不幸もまたよし〟という淡々とした心境が生まれてくる」。

 「素直の心」といえば、何でも人の言うことを聞くというふうに受け止められがちだが、松下は「たとえ上の立場の人から言われたことでも、それに盲従しない、正邪善悪を自分なりに検討し疑問の点があれば素直に伝えて善処してもらう。本当の素直な心というのはそういう厳しい強さを持ったもの」と指摘。さらに素直な心は「物事の真実、真理が分かる心。乱世になればなるほど企業にしても国にしても、ますます素直な心が大切になってくる」。

 松下は行動実践のあと自ら省みることの大切さを強調する。これを〝自己観照〟と呼ぶ。「特に民主主義の時代においては、国家全体の自己観照、いいかえれば国民1人ひとりの自己観照がますます必要になってくる。その欠如によってさまざまなひずみ、混乱が生まれてきている。今ほど、われわれお互いが、そして国自体も、自省の心を培わねばならないときはない」。また当時の政治状況について「根なし草の政治というか、絶えずフラフラしている」。1978~79年のインタビューの中でこう語っているが、当時の世相をいかに憂えていたかがひしひしと伝わる。「松下政経塾」を創設した背景にもそうした危機感があったのだろう。

 戦後日本の教育については「多くの弊害を社会に及ぼしているのではないか。その端的な例が知識偏重の教育、学歴尊重の社会」と指摘、〝暗記教育〟に警鐘を鳴らす。義務教育の役割は「知育と同様に、いやそれ以上に大切だと思うのは徳育教育、言葉をかえていえば真の人間教育」と強調する。相変わらず点数至上主義のように見える日本の教育界、とりわけ〝学校序列化〟との批判も強い大阪府と一部市町村の動きを、松下だったらどのように評価を下すのだろうか。

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