く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<BOOK> 「奈良県 謎解き散歩」

2012年05月26日 | BOOK

【大宮守友編著、新人物文庫発行】

 都道府県別に順番に出版している「謎解き散歩シリーズ」の一つ。奈良の歴史や民俗、動植物などに詳しい9人が分担して執筆している。「奈良県ってどんなとこ?」から始まって、歴史・考古・史跡編、人物・宗教編、民俗・産業編など6章で構成。「歴史散歩」では平城京跡、飛鳥京跡、山の辺の道、南朝・後南朝の史跡などの見どころを簡潔に紹介しており、手軽なガイドブックとしても役立ちそう。

    

 約100編の中でまず目を引いたのが「郡山城が奈良県の文化財を破壊した!?」という少し衝撃的なタイトル。平城京跡からは瓦や木簡などは多く出土するが、大極殿など大型建物の柱を支える礎石は見つかっていない。編著者でもある大宮氏は「この文化財破壊の犯人はどうも郡山城を築いた筒井順慶らしい」と推測する。順慶は1583年、羽柴秀吉・柴田勝家両軍の衝突に備え、城の守りを固めるため天守閣を造営する。「この時、よほど急いだとみえて、郡山や奈良あたりの石は手当たりしだい郡山城へ運んだ。平城京が荒らされたのも、路傍の石仏まで積み込まれたのもこの時であった」。そういえば以前郡山城に行った時、石垣の少し奥に、下の写真のように斜め下を向いたままの石仏があった。これもその時の築城の人柱、いや〝仏柱〟なのだろうか。

    

 次に「川路聖謨が貧民に慕われたわけ」。川路は幕末の奈良奉行で佐保川の「川路桜」に名をとどめる(4月10日付「花の四季」で紹介)。その川路が5年間の任を終え奈良を離れる時、「困窮を救われた人々数百人が一、二里から三里ばかりも同道して見送った」。着任以来、病人や老人、貧しい人の救済に努め、自ら寄付したり市中から基金を募ったりして救済資金を積み立てていたという。奈良の恩人、川路の功績は緑化運動だけではなかった。

 その他――。△奈良漬の記録の初出は平城京跡から発掘された長屋王木簡に記された「粕漬瓜」 △正倉院宝庫が危険にさらされた火災は計5回も、他に1254年の落雷。この時の傷は北倉内側に残る △東大寺大仏殿の大屋根を支える「虹梁」と呼ばれる棟木の赤松2本は宮崎県の霧島山中から8カ月がかりで運ばれた △奈良県北部の秋祭りには今も古風な相撲神事が残っている(奈良市の奈良豆比古神社や長尾神社など)

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